2020/07/11

成田・新勝寺の祇園会

梅雨の晴れ間、妻と一緒に成田山新勝寺で行われている祇園会に行ってきました。

20200711奥之院・大日如来さま(不動明王の本地仏)の祭礼で、期間中(7/7~12)、奥之院の特別開扉と天国宝剣(あまくにのほうけん)加持が行われます。

奥之院の特別開扉は、感染症拡大予防のため間隔をあけて並び、マスク着用、アルコール消毒を受け、1組ずつ洞窟内に入って参拝。内部は正面から右側道への一方通行で、通路の大型扇風機で換気にも配慮されていました。

続いて光明堂で天国宝剣加持を受けます。開山時に寛朝大僧正が朱雀帝から賜ったとされる剣は、「此の宝剣を拝する時は、乱心狂気もたちどころに止み、熱病寒疾も速やかに癒え、諸々の魔障を除き、息災成就を得る」と伝わり、僧が参拝者の身体に当てて祈祷します。こちらは、体温チェックとアルコール消毒を受け、3人ずつ大日如来さまの前に進み、立拝のまま加持を受けました。

例年なら期間中の土日に門前9町から人形山車・屋台10台が出て盛大に「成田祇園祭」が催行されますが、今年は神振行事はすべて中止。神輿は飾り置き、境内は人もまばらで静かな祇園会となりました。

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2020/02/08

匝瑳・時曽根の大蛇まつり

匝瑳市の時曽根地区で行われた「時曽根の大蛇まつり」を見学。

20200208豊栄地区時曽根では、毎年2月8日、古くから伝わる大蛇まつりが行われます。

朝、時曽根コミュニティセンターに各戸から藁を持ち寄り、長さ3m・太さ30cmほどの大蛇を3匹作ります。できあがった大蛇は、庭の槇の木に巻き付け、千手院の護符を口に挿し、御神酒を飲ませて魂入れの後、ムラ境3か所の樹上に吊るします。区内安全、無病息災、五穀豊穣、悪魔退散を祈願します。

ムラ境に道祖神と同じ性格を持つ蛇神を祀り、ムラに災いが入るのを一年間防ぐことを願う「辻切り」習俗の一つです。

【この日の進行スケジュール】
8:00~ 藁を持って集まり始める
9:00~10:30ころ 藁蛇作り
14:15~ 護符・魂入れ
14:30~ ムラ境に吊るす(北・東・西)
15:00ころ 片づけて終了

【メモ】
藁蛇は、下あご、上あご、胴体の順に作る。時曽根では、眼や舌も藁を編んで作る。昼食休憩の後、米倉の千手院(西光寺の末寺)から頂いた護符を榊葉の枝で挿し、一升瓶で盛大に御神酒を飲ませて魂を入れる。3組に分かれて北・東・西のムラ境に運び、樹上に結び付けて吊るす。古い藁蛇はその場で焼き、煙にして天に戻す。時曽根では地区の若者により受け継がれている。
見学者は3人、駐車場なし(周辺にスペースあり)。忙しい中、詳しく教えていただいた区長さん、地区の皆さん、ありがとうございました。

※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2020/01/26

房総の郷土芸能2019

香取市の佐原文化会館で行われた「房総の郷土芸能2019」を見に行ってきました。

20200126参加団体は、おらんだ楽隊(香取市)、文違麦つき踊(八街市)、久能獅子舞(富里市)、中沢麦つき踊り(同)、伊能歌舞伎(成田市)、北辺田獅子舞(栄町)、佐原囃子(香取市)の7団体でした。

今回は印旛・香取地域の伝統芸能がテーマです。
おらんだ楽隊は、客席通路からステージに練り込む演出で、観客と一体感があって盛り上がりました。伊能歌舞伎は、子供たちが「白浪五人男~稲瀬川の場~」を熱演。佐原囃子は、佐原の大祭で奏でる曲々を披露して、女衆の手踊りが華を添えました。
個人的には、以前から気になっていた文違麦つき踊(八街市)を見ることができて良かったです。

ステージ公演なので音録りと、初投入のZ50+Z DX16-50/3.5-6.3、Z DX50-250/4.5-6.3で200コマほど撮影。ミラーレスで民俗芸能を撮ると、動きの激しい被写体で微妙なタイムラグ(EVFとかシャッターとか)が気になります。三匹獅子など舞・踊り系の民俗芸能はDf、それ以外の民俗芸能はZ50と使い分けるのが良さそうです。

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2020/01/19

柏・船戸のおびしゃ

柏市船戸の船戸会館で行われた「船戸のおびしゃ」を見学。

20200119【現地案内板の解説】
「おびしゃ」は、新春に行われる村寄り合いの大切な行事です。関東地方、特に千葉県に多く、もとは弓を射って的に当てることで、その年の豊凶を祈る行事でした。
船戸のおびしゃは現在は的射(まとい)はありませんが、古い形態が残され、農民の生活感情、娯楽、また武士への皮肉などが込められており、貴重な存在となっています。
新年に当番が交代し、氏子当番の人たちが神前供物から酒肴膳部の準備をし酒宴の中で「三助踊り」「三番叟」「おかめ踊り」が演じられます。
かつては天満宮で神事をしてから4区域の旧家4軒を宿として酒宴が行われていましたが、大正7年からは神事も酒宴も「医王寺」で、平成6年からは「船戸会館」で行われるようになりました。
伝えによりますと、元和年中(1620年頃)から始まり、1月20日と決められたのは天保7年(1836年)からと言われています。平成6年からは1月20日直前の日曜日に改められました。〔柏市教育委員会・船戸のおびしゃ保存会〕

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 神事
13:35~ 当番長挨拶→加入者紹介→奉納品披露→燗酒上呈
13:45~ 祝宴・余興(三助踊り→三番叟→おかめ踊り)
14:33~ 謡曲→手締め→万歳
14:45ころ 終了

【メモ】
正式には「船戸鎮守奉社祭」。現在は6地区が順番に年当番を務める。神事は旧4坪(区域)に伝わる菅原道真公の掛軸4幅を掛け、左右に蓬莱山(松竹梅に折り鶴と木製の亀)を飾り、神官が五穀豊穣と無病息災を祈願。その後の進行は当番組が仕切る。今年の当番は第三組合で「三助踊り」、「三番叟」(船戸では氏子の娘さんが舞う)、「おかめ踊り」を披露。増田社中の指導を受け、12月から練習を重ね、素人芸とは思えない踊りで会場を沸かせた。
宴席は氏子のみで見学者は座敷に入れない。見学は廊下からの立見になる。見学者用の駐車場なし。

※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2019/12/01

お浜降りセミナー2019(2)

千葉県博図公連携事業の「お浜降りセミナー2019」。

第2回セミナーが君津市立中央図書館の視聴覚室で行われました。

20191201

この日は、1講「神輿の起源と祭礼」(國學院大學・笹生衛氏)、2講「お浜降り習俗と潮の民俗」(日本民俗学会・田村勇氏)、3講「福島県浜通りの浜下りと漂着神伝承」(元福島県立博物館・佐々木長生氏)、4講「映像資料・南相馬市男山八幡神社のお浜下り」(南相馬市博物館)の上映でした。

1講では、特定の場所に坐す神が移動するようになったのは何故か、その手段としての神輿の起源とその展開を考察し、渡御行列が祭礼へと変化していく様子を古絵巻などから考察。分かりやすい解説で、富津・吾妻神社の神馬が古態を残す貴重な祭礼であることを再認識しました。

2講では、安房地方の浜降り習俗を「潮」(海)の視点から考察。南房総をフィールドとする講師ならではのアプローチで興味深かったです。

3講は、福島県内の浜下りの信仰形態と作神系・漂着神伝承の関係を紹介。詳細な参考資料を提供いただき、地域差の存在を再確認できました。

セミナーも2回目となり、具体的な祭礼を詳細に分析した各論的な解説で面白くなってきました。今後も継続的にセミナーを開催するそうなので楽しみです。

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2019/11/23

お浜降りセミナー2019(1)

千葉県博図公連携事業として県立中央博物館が開催する「お浜降りセミナー2019」。

20191123第1回セミナーが柏市・東葛テクノプラザで行われました。

この日は、1講「東日本のお浜降り行事」(東京文化財研究所・菊池健策氏)、2講「神輿が海に帰る祭り―房総のお浜降り点描-」(江戸川大学・高橋克氏)、3講「記録映画・房総のお浜降り習俗(普及編)」(文化庁)の上映でした。

1講では、西日本の「浜下り」と東日本の「浜降り」の相違点、東日本の浜降り行事として「東・西金砂神社の大祭礼」(常陸太田市)、「大國魂神社の御潮取り神事」(いわき市平)、「鹿島日吉神社の浜下り」(南相馬市)、「三山の七年祭(磯出祭)」(船橋市)を例に、東日本の特徴を解説。

2講では、房総の浜降り祭礼を駆け足で紹介し、内容を概観。中でも、今では見られない浮島渡しの様子(鋸南)、船形祭礼の御浜出(館山)、寒川神社お浜降りの復活前(千葉市中央区)の写真と解説は大変興味深いものでした。

今回は総論的な話が多く既知感がありましたが、解説を聞きながら、各地の祭礼を撮影に訪れた際の苦労が思い出されて楽しかったです。急な会場変更(県民プラザの機材故障とか)と悪天候で聴講者が少なかったのが残念でした。

第2回のセミナーは、12月1日に君津中央図書館で行われます。

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2019/11/03

企画展「オビシャはつづくよ400年~年のはじめの村まつり~」

関宿城博物館(野田市)で開催中の企画展「オビシャはつづくよ400年~年のはじめの村まつり」に行ってきました。

20191103この企画展は、南関東の利根川流域を中心に見られるオビシャ行事を、名前の謎・地域差の謎・組織の謎・儀式の謎・始まりの謎・村の願いと楽しみのテーマに分けて考察。オビシャの本質に迫る好企画です。

この日は、関連事業として行われた講演会「オビシャ、四百年 祭りのはじまり、村の歴史」を聴講。講師は民俗学者の水谷類氏(元明大講師)です。

柳田国男はオビシャの原型は歩射(弓射)の神事であるとしましたが、弓射を伝えない地域が多いのは何故か、南関東に集中している理由、各地域のトウワタシ儀式に共通性が見られるのは何故か、400年以上遡れないのは何故かなど最新の研究成果を紹介。

オビシャ行事を撮影していると地域ごとに弓射・作り物・盃事など様々な形態があり、柳田説に違和感を感じていた私には、とても勉強になりました。

講演会の前、講師の展示解説に同行させてもらいましたが、まだまだ知らない形態のオビシャがたくさんありました。詳細な図録(800円)は、数少ないオビシャをまとめた資料として必携です。

この企画展は、12月1日まで開催しています。

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2019/10/27

香取・下小野神楽

香取市下小野地区で奉納された「下小野神楽」を見学。

20191027江戸中期から350年ほど続く獅子神楽で、尾張熱田派の流れを汲むとされています。演目は、布舞・幣束舞・剣舞・花掛りと余興(鬼と鍾馗・カムロ萬歳・三河萬歳・道化萬歳・鳥刺し・神子舞)がありました。かつては神社で奉納後、夜は地区の皆さんに余興舞を披露し、「伊能の歌舞伎に小野の神楽」と並び称されました。

この日は、鎮守・八幡神社と稲荷神社、豊年稲荷神社で神社舞を奉納後、約20年ぶりに下小野公会堂で地区の皆さんに「鳥刺し」「神子舞(おかめ)」「鬼・鍾馗」「剣舞」が披露されました。

【この日の進行スケジュール】
9:00~ 神社舞(八幡神社→稲荷神社→豊年稲荷神社)
13:00~ 下小野公会堂前広場
(馬鹿囃子~砂切→鳥刺し→神子舞→鬼・鍾馗→剣舞)
15:30ころ 終了

【メモ】
現在は、香取神宮神幸祭(毎年4月15日)とステージ公演でしか見られない。この日は、高齢化が進む下小野神楽会が、体力のあるうちに地区の皆さんに見て欲しいと初の演舞会を開催。下小野の布舞は九反の胴布に十数人が入る大きさが特徴で、歴代会長さんによれば、元々は十三反あった大布が擦り減って短くなったとか。また、保管中の古い面を見せてもらい、新旧の面談義から、鬼面は古い面を着けて舞うことになった(上の写真)。見物人は集落の皆さんが多数、カメラマンも十数人。地区のお年寄りが笑いながら声援を送り、大盛況の演舞会となった。

※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2019/07/06

来訪神・仮面仮装の神々の現在~南西諸島を中心に

国立歴史民俗博物館で行われた映画の会「世界無形文化遺産 来訪神・仮面仮装の神々の現在~南西諸島を中心に~」に行ってきました。

20190706 歴博映画の会は、歴博が製作・収集した民俗・歴史分野の記録映画を、研究者の作品解説とともに公開している講座です。

今回は、「甑島のトシドン」(1979、民俗文化映像研究所)と「石垣島川平のマユンガナシ」(1982、東京シネマ新社)の上映と、解説は歴博研究部民俗研究系の内田順子氏でした。

甑島のトシドンは、鹿児島県の下甑島に伝承される正月行事です。大晦日の夜、異形の仮面を付けて家々を廻り、子どもらの行状を諫めて去って行く来訪神です。郷中教育の一種ですが、近年は希望者が「トシドン申込書」で申し込み、申し込んだ家だけを廻るように変容したとか。

マユンガナシは、沖縄県の石垣島に伝承され、笠に蓑をまとい、棒を持って家々を祝福して廻る来訪神です。農耕の予祝儀礼の一種と考えられており、現在も続くのは川平地区のみだそうです(原則として非公開、写真撮影不可)。

いずれも存続が危ぶまれる民俗行事で、映像記録による保存・継承の大切さを実感しました。他方、トシドンでは、本来地域ごとに様々な扮装で行われていたところ、記録映画の完成後は映像内の扮装が「スタンダード」とされて地域性が消えたなどの影響が報告され、映像記録による保存の副作用についても考えさせられました。

このテーマでは、2020年2月に東北編が予定されているので、楽しみです。

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2019/06/23

行田無線塔~天に聳ゆる無電塔~展

船橋市飛ノ台史跡公園博物館で開催中の「行田無線塔~天に聳ゆる無電灯~」展に行ってきました。

20190623Googleマップで見ると、行田には不思議な円形道路があります。ここには旧船橋海軍無線電信所がありました。

日露戦争後、海軍の行動範囲拡大に伴い、大正4年(1915)に開設。高さ200mの主塔を中心に、半径400mの円周に副塔18本が建つ巨大な施設でした。翌年、逓信省の電信局を併設し、大正天皇が米ウィルソン大統領と電文を交換したりしています。

昭和初期に自立型の6本鉄塔(高さ182m)に大改修。開戦時は、ハワイ奇襲に向かう艦隊に「ニイタカヤマノボレ」を打電しました。戦後、米軍に接収され、昭和41年(1966)に返還。昭和46年(1971)に鉄塔が撤去されるまで、6本鉄塔は永く船橋市民のシンボルとなっていました。跡地は団地や学校、県立公園に変わり、無線塔のあった風景は市民の記憶から消えつつあります。

今回の企画は、船橋在住の鈴木秀一・秀幸氏が製作した精密な復元模型を中心に、行田無線塔の歴史を写真や資料で解説。地域の歴史にスポットを当てた地元の博物館ならではの好企画です。会期は6月30日(日)まで開催中です。

上の写真は、行田公園内にある「船橋無線塔記念碑」。円形道路のかつての中心付近にひっそりと立っています。

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