2018/06/02

市川・行徳神輿ミュージアム

市川散策で4月にオープンした行徳神輿ミュージアムへ。

20180602行徳地区の神輿造りは、江戸期から続きます。

塩の出荷で栄え、旧街道には商家や寺社が建ち並び、宮大工などの職人も多く住んでいたことから、神輿造りが始まったとされます。
行徳大唐派風と呼ばれる形が特徴で、後藤神輿店・浅子神輿店・中台製作所が造る神輿は全国にその名が知られました。後藤・浅子の両神輿店が廃業した今、中台製作所のみが伝統を受け継いでいます。

ミュージアムは、中台製作所の六代目社長が、神輿職人の技と本物の良さを知ってもらおうと開設。大・中・小の神輿のほか、道具や製作過程の説明展示、行徳の祭りを紹介したシアターで、神輿ができるまでがよく分かります(ミュージアムの方の説明も分かり易かったです)。地元小学校の体験学習先にも選ばれているようです。

神輿も安価な製品が選ばれる時代ですが、本物は精緻で見惚れるほど素晴らしい造りでした。これはもう3年に一度の行徳五か町例大祭(前回は平成29年10月)で渡御する大神輿(480kg)をぜひ見たいと思いました。

神輿製作の技術と文化を伝える神輿師の心意気を感じさせるミュージアムです。なお、開館は月曜~土曜の9:00~17:00(昼休みあり)、日曜・祝日は休館なので注意が必要です。

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2018/05/27

船橋・吉澤野球博物館資料展示室

船橋散策で吉澤野球博物館資料展示室へ。

20180527かつて日本では「野球といえば六大学野球を指す」時代がありました。

日本の野球史は、明治11年(1878)、米留学帰りの鉄道技師平岡熙(ひろし)が結成した初のbaseballチーム「新橋倶楽部アスレチックス」に始まります。これに参加した大学生らを中心に、慶応大・一高(今の東大)・早稲田大にチームが誕生。明治27年(1894)、一高の中馬庚(かのえ)が「野球」と翻訳し、知識階級の娯楽として定着しました。

明治36年(1903)、早稲田大の挑戦状により初の早慶戦が行われました。娯楽の少ない時代、早慶戦は国民を熱狂させ、学生野球は庶民の人気に。しかし、応援合戦が加熱して衝突したり、学生選手がスターなみにもてはやされて学業が疎かになり社会問題化。このため、明治39(1903)~大正14年まで20年間も中断しました。

中断の間、選手らは米国遠征で技術を学び、大正14年(1925)、明治・法政・立教・東京帝大を加えた六大学で学生野球が復活。ホームグラウンドの神宮球場が完成すると、六大学野球は再び大人気となり、大正末期~昭和初期に黄金期を迎えます。昭和11年(1936)、プロ野球が創設されましたが、今の野球人気の原点は東京六大学野球にありました。

吉澤野球博物館は、東京六大学野球の資料収集家・吉澤善吉氏(故人)が昭和54年(1979)に開設。数少ない東京六大学野球関連資料のコレクションとして知られましたが、平成26年に惜しまれながら閉館。コレクションは船橋市に寄贈されました。

市は、平成29年に船橋総合体育館(船橋アリーナ)内に資料展示室を開設。明治期の天狗倶楽部のユニフォーム、黄金期の早慶戦チケット、当時の新聞記事や選手のブロマイド写真のほか、沢村栄治が日米野球で渡米した際の旅券などを展示して、往時の熱狂が伝わるようです。

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2018/05/20

匝瑳・八日市場東照宮例大祭

匝瑳市八日市場で行われた東照宮例大祭を撮影。

20180520八日市場東照宮は、慶長九年(1614)、東金に鷹狩に出かけた家康公の愛鷹が行方知れずになり、当地にあった医王寺の松(お鷹の松)で見つかりました。この由来を聞いた日光山の天海僧正が、寛永九年(1632)、松の根元に東照大権現を勧請したのが始まりと伝わります。
平成4年、市道の拡張に伴い現在地に社殿が移りました。

毎年5月の例大祭では、高張提灯と大榊を先頭に、独特の祭り囃子と「あんりゃあどした」の掛け声も勇ましく、神輿が萬町区内を練り歩きます。

【この日の進行スケジュール】
11:30~ 神事式典
13:00~ 神輿発御
東照宮→河野木材(休憩)→JR八日市場駅→匝りの里(お囃子披露)→八重垣神社→門前十字路(休憩)→東照宮
17:00ころ 神輿還御

【メモ】
八日市場の祭りといえば、大きな担ぎ太鼓とお囃子が特徴。神輿の渡御に合わせて、砂切、馬鹿囃子、早馬鹿、揉み太鼓などが奏でられる。特に揉み太鼓の早調子は一度聞くと忘れられない。神輿は大神輿と子供神輿の二基が出る。この日は匝りの里まで神輿に同行。
見物人は地区の皆さんが多数、他にカメラマンはなし。神社に駐車場なし。久々の神輿祭りに元気をもらって帰路についた。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2018/05/05

房総の出羽三山信仰

睦沢町歴史民俗資料館で開催中の企画展「房総の出羽三山信仰」に行ってきました。

20180505

この企画展は、房総に伝わる出羽三山信仰を、一宮町・大日堂行屋(2016年11月廃絶)と、長南町・芝原行屋(現行)の修行の様子などを関連資料で紹介しています。

千葉県は、関東地方でも出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)信仰が盛んな地域です。かつては、一生に一度は三山に参詣するのが通過儀礼とされ、その背景には「擬死再生」(死装束である白衣をまとい、一度他界(三山)に行って再び生まれ変わることにより、特別な力を獲得する)の考え方がありました。
現在も、市原~長生郡にかけて多くの講があり、三山に代参する行人は、出立前の数日間、行屋(修行場)に梵天を立てて籠もり、厳しく身を浄めます。

展示は、廃絶した一宮町・大日堂行屋の内部を再現し、祀られた掛軸、御神鏡や御幣、五鈷鈴や弘法大師像を展示したコーナーのほか、芝原行屋での拝みの様子、実際に使われた行衣・金剛杖や梵天、宿坊の関東檀家回りで配られた牛図の神札など、資料館が収蔵する出羽三山関係資料600点の中から特に貴重なものを公開しています。
仏画と神号の掛軸を祀り、仏具と神具が混在しているので、神仏習合時代から続いたことが分かります。

祭事撮影で訪れる神社の多くに出羽三山碑が立ち、大日堂行屋廃絶の記事を見かけてから、出羽三山信仰とは?と気になっていました。行屋の内部が公開されることは稀なので、今回の企画展はとても興味深かったです。

企画展「房総の出羽三山信仰」は、6月3日(日)まで開催しています。

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2018/01/07

君津・蔵玉の神楽

君津市蔵玉の熊野神社で奉納された獅子神楽を撮影。

20180107b小櫃川流域の村々では伝統的に神楽奉納が行われてきました。

蔵玉の神楽もその一つで、熊野神社の歳旦祭(旧行1/2)・春祈祷・宮薙祭・秋祭りに奉納されます。
演目は、「ヤマ」「サガリハ」「オンベの舞」「スズの舞」「オコリ」で、オンベの舞では途中に神楽歌が入ります。

戦後は後継者難で多くの地区で伝承が途絶え、蔵玉地区でも昭和58年ころに神楽保存会が解散。現在は、地元の有志による神楽愛好会が継承しています。

蔵玉の神楽歌
1 千早振う 天の岩戸 押し開き
2 これぞ 神代の 始めなり
3 いざや 神楽を舞いらする
4 神を いさめて 人踊り
5 皆白妙の 御幣を持って 悪魔を祓う そこで楽 泰平楽世と改まる

【この日の進行スケジュール】
12:40~ 神楽櫃を組立
13:30~ 歳旦祭(拝殿)
14:10~ 獅子神楽奉納
ヤマ→サガリハ→オンベ→スズ→オコリ
14:40~ 神楽櫃を分解
14:50ころ 終了
終了

【メモ】
かつて各村々が神楽を奉納した亀山神社(滝原)の祭礼で宮元を務めた由緒ある神楽。現在は、地元でのみ奉納。神楽櫃をその都度組み立て、終わったら解体するのが珍しい。神楽は石段下の鳥居前で奉納され、力強い端正な舞。囃子方は笛2・小太鼓2・大太鼓1。歳旦祭は、数年前から1月第一日曜日に変更。後継者難と舞手不足で中止になる年が多く、この日は長生村からの帰路、ダメ元で立ち寄ったところ見学できた。見物人は集落の皆さんが数人、カメラマンは3人。神社に駐車場あり。
拝殿に向いて舞うので、いい場面は逆光と強いコントラストでカメラマン泣かせ。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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長生・高根新屋敷の筒粥占い

長生村・八坂神社で行われた筒粥占いを撮影。

20180107a【現地解説板の説明】
「この占いは、高根新屋敷の鎮守祇園宮に伝わる神事で、長さ九センチの葦の筒一六本を、米一合の入った鍋に入れて火を焚き、筒の中に粥の満、満足らざるをもってその年の農作物の出来映えや、景気、不景気、吉凶を占うために古来より年頭の正月七日に行われている。」

【この日の進行スケジュール】
8:00ころ~ 準備
炉に榊と注連縄→鍋に水を沸かし米を入れて炊く→葦筒作り
9:00~ 筒粥神事(中殿)
祝詞(神前)→大祓詞(炉前)・葦投入→祝詞(神前)
9:30~ 判定→記録→貼り出し
10:00ころ 終了

【メモ】
地元では「高根新屋敷の祇園さま」と呼ばれる八坂神社。筒粥神事の起源は不詳だが、天保二年(1831)に行われていた記録が残る。神職が炉前で大祓詞を唱え続ける間、葦筒を入れて煮る。作物や天候・世情など16種を占う。判定は、最初の1本を「基準」(五分)とし、相対評価で一~十分を決定。皆で悩みながらも和気藹々と進む。結果は社殿に貼り出し、氏子には神符で配る。かつて氏子は、粥占いの結果を作付けの参考にした(現在は専業農家は2軒のみとのこと)。
他に見学者・カメラマンなし、神社に駐車スペースあり。詳しく教えて頂いた氏子総代さん、自治会長さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2018/01/02

富津・船祝い

富津市の富津漁港で行われた「船祝い」を撮影。

20180102船祝いは、年初めに豊漁と安全を祈願する伝統行事で、漁村ならではの風物詩です。
富津漁港では、船に大漁旗を掲げて御神酒を捧げ、集まった人たちに御ひねりを撒いて祝います。

初めに、船霊に御神酒と神饌を供え、御神酒をかけて浄めます。その後、船主が舵を握り、舳先に先手が立って安全祈願の儀式があります。船主が「面舵よ」「取舵よ」「ヨーソロ」と声をかけ、先手が手を右に上げ「おもーかじよ」、左に上げ「とーりかじよ」、上に上げ「ヨーソロ」と復唱します。最後に船上から御ひねりを撒きます。

【この日の進行スケジュール】
8:00ころ~ 船祝い
船ごとに時間が異なり、漁港内のあちこちで行われる
9:30ころ 終了

【メモ】
朝7時に現地入り。場所は、大勢の人が集まっているのですぐ分かる。船ごとに行うため時間はバラバラ。船主が到着して乗り込むと始まる。御ひねりは百円硬貨やお菓子。子供たちが優先だが、大人も負けずに熱くなっていた。強風で、海に落ちた御ひねりも相当あったが、子供たちがタモ網で上手に回収していた。
集まった人は百人ほど、カメラマンは5~6人。始まりそうな船があると、みなそちらへ走る。漁港に駐車スペースあり。
撮影は、強い北西風と朝の光線の向きを考えると、西寄りの岸壁よりも真ん中の岸壁(漁協事務所の所)が吉。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/12/27

横芝光町・成田山御本尊上陸地

横芝光町・尾垂浜で行われた「成田山御本尊上陸聖地報恩法会」を撮影。

20171227尾垂浜は、成田山新勝寺の本尊・不動明王が上陸した地です。
平将門の乱(939)の時、朱雀帝の命により、寛朝僧正が不動明王像を奉じて海路で房総に入り、公津(成田)の地で将門調伏の護摩祈祷をしたのが、新勝寺の始まりです。

ちなみに、調伏祈願の満願日に将門が討ち取られたことから、今でも平将門を祀る神田明神の氏子は新勝寺に参拝せず、新勝寺の門徒は神田明神に参詣しないそうです。

上陸地には、開山1060年祭(1998)で波切不動尊像が建立され、毎年5/27と12/27、新勝寺の僧侶が巡錫して上陸聖地報恩法会が行われます。

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 法会開始
洒水加持→読経→参拝者焼香→法話
11:20ころ 終了

【メモ】
鳥居前~不動明王像まで練り行列で入る。像前で儀式と焼香が行われ、導師の法話があり、20分ほどで終了。法話の内容は、お不動さまの教えの他、地元の人々による上陸地への奉仕活動に対する謝辞、来年は開山1080年祭で当地では4/22に稚児行列が予定されていることなど。
参拝者は地元の皆さんが十数人、カメラマンはなし。自分も1年間の感謝を込めて焼香。終了後、下げた供物のお裾分けで果物まで頂き、恐縮した。上陸地に駐車場なし(付近にスペースあり)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/12/26

市原・地磁気逆転地層

市原市田淵の「地磁気逆転地層」を見学。

20171226養老川沿いに露出した白っぽい地層は、77万年前に御岳山(長野)が噴火した火山灰が海底に堆積し、隆起したものです。

ここは、世界でも珍しい逆磁極帯→磁場遷移帯→正磁極帯の3つの層を連続して観察できる場所として、一躍注目を浴びることになりました。

地層ができた新生代四紀更新世前~中期(77万~12万6000年前)には、国際呼称がありません。申請どおり「国際標準模式地」として認定されると、国際呼称が「チバニアン」(千葉時代)に決まります。

写真は採掘調査の跡で、杭の色は、上から緑が正磁極帯、黄色が磁極が混在して定まらない遷移帯、赤が磁場が逆転している逆磁極帯を示しています。

学術的に何がどうすごいのかよく分からないけれど、ひと目見たいという(私のような)人々が、田淵集落に殺到。地元では、見学者駐車場として集会所(田淵会館)を提供したり、臨時トイレを作ったり、崖に降りる小径に竹の手すりを仮設したり…と対応に追われています。民有地なので何か申し訳ない感じ…。

訪れた時は、平日の午後で人が少なく、しばらく貸切り状態で見学できました。
以前は、崖の杭まで斜面を登り近づけましたが、現在は斜面が危険な状態で立入禁止に。訪れた時は、階段を設置する工事中だったので、これから訪れる人はもう少し待った方がいいかも知れません。

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2017/12/03

発祥の地めぐり

師走の晴れた日曜日、京葉地区を散策。

20171203aJR西千葉駅(中央区)北口に設置されたばかりの「ロケット研究発祥の地」碑を訪ねます。

かつてこの地にあった東大生産技術研究所で、糸川英夫博士が観測ロケットの研究に着手しました。
糸川博士は、荻窪にあった富士精密(旧中島飛行機)と共同で、日本初のペンシル型ロケット(長さ23cm、重さ200g)を試作。昭和30年(1955)、国分寺で水平発射実験に成功しました。
ここから現在のH2B型ロケット(長さ56.6m、重さ531t)に続く国産ロケット開発の歴史が始まった記念すべき場所です。

碑は、糸川博士の功績を称え、NPOちばサイエンスの会が建てて市に寄贈したものです。正面には、実物大のペンシル型ロケットがはめ込まれています。

20171203bお隣のJR稲毛駅からバスで稲毛海浜公園(美浜区)に移動して、稲毛民間航空記念館へ。

明治43年(1910)、国産飛行機で初めて空を飛んだ奈良原三次。軍の飛行場しかなかった当時、この地に遠浅の干潟を利用した日本初の民間飛行場を開設し、民間航空発祥の地となりました。

記念館には、三次が明治末期に開発した奈良原式複葉機の四号機「鳳号」が復元されています。かつての海岸線(国道14号)に近い稲岸公園南端には、航空機の翼をイメージした「民間航空発祥の地」碑も建っています。

20171203c京成線で谷津(習志野市)に移動して、谷津公園に「読売巨人軍発祥の地」碑を訪ねます。

谷津公園と谷津バラ園の一帯には、かつて谷津遊園という遊園地がありました。
昭和9年、正力松太郎(読売新聞社長)が米大リーグ選抜チームを招聘し、東京六大学などから混成された全日本チームは、谷津遊園にあった谷津球場で猛練習して迎え撃ちました。

この時のメンバーを中心に、東京巨人軍(のちの読売巨人軍)が結成され、日本にプロ野球が誕生しました。碑には、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治など歴代名選手の手形がはめ込まれています。

20171203d最後に、京成線で国府台(市川市)に移動して、江戸川土手の「市川関所跡」へ。

江戸期、入り鉄砲と出女を厳しく取り締まった関所の一つです。当時は、小岩村側に番所が、市川村側に定船場がありました。

関所は明治2年(1869)に廃止されましたが、渡船は江戸川に橋が架かる明治38年(1905)まで存続しました。関所跡には、門を象ったモニュメントが建ち、背景の近代的なビル(市川が本社の山崎製パンクリエイションセンター)との対比が不思議な感じです。

今回は、全行程を電車とバスで回りました。市川~船橋~稲毛の道路は激しく渋滞するので、クルマより公共交通機関の利用がおすすめです。機材はD40+AF-S18-55/3.5-5.6GIIでした。

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