2019/07/06

来訪神・仮面仮装の神々の現在~南西諸島を中心に

国立歴史民俗博物館で行われた映画の会「世界無形文化遺産 来訪神・仮面仮装の神々の現在~南西諸島を中心に~」に行ってきました。

20190706 歴博映画の会は、歴博が製作・収集した民俗・歴史分野の記録映画を、研究者の作品解説とともに公開している講座です。

今回は、「甑島のトシドン」(1979、民俗文化映像研究所)と「石垣島川平のマユンガナシ」(1982、東京シネマ新社)の上映と、解説は歴博研究部民俗研究系の内田順子氏でした。

甑島のトシドンは、鹿児島県の下甑島に伝承される正月行事です。大晦日の夜、異形の仮面を付けて家々を廻り、子どもらの行状を諫めて去って行く来訪神です。郷中教育の一種ですが、近年は希望者が「トシドン申込書」で申し込み、申し込んだ家だけを廻るように変容したとか。

マユンガナシは、沖縄県の石垣島に伝承され、笠に蓑をまとい、棒を持って家々を祝福して廻る来訪神です。農耕の予祝儀礼の一種と考えられており、現在も続くのは川平地区のみだそうです(原則として非公開、写真撮影不可)。

いずれも存続が危ぶまれる民俗行事で、映像記録による保存・継承の大切さを実感しました。他方、トシドンでは、本来地域ごとに様々な扮装で行われていたところ、記録映画の完成後は映像内の扮装が「スタンダード」とされて地域性が消えたなどの影響が報告され、映像記録による保存の副作用についても考えさせられました。

このテーマでは、2020年2月に東北編が予定されているので、楽しみです。

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2019/06/23

行田無線塔~天に聳ゆる無電塔~展

船橋市飛ノ台史跡公園博物館で開催中の「行田無線塔~天に聳ゆる無電灯~」展に行ってきました。

20190623Googleマップで見ると、行田には不思議な円形道路があります。ここには旧船橋海軍無線電信所がありました。

日露戦争後、海軍の行動範囲拡大に伴い、大正4年(1915)に開設。高さ200mの主塔を中心に、半径400mの円周に副塔18本が建つ巨大な施設でした。翌年、逓信省の電信局を併設し、大正天皇が米ウィルソン大統領と電文を交換したりしています。

昭和初期に自立型の6本鉄塔(高さ182m)に大改修。開戦時は、ハワイ奇襲に向かう艦隊に「ニイタカヤマノボレ」を打電しました。戦後、米軍に接収され、昭和41年(1966)に返還。昭和46年(1971)に鉄塔が撤去されるまで、6本鉄塔は永く船橋市民のシンボルとなっていました。跡地は団地や学校、県立公園に変わり、無線塔のあった風景は市民の記憶から消えつつあります。

今回の企画は、船橋在住の鈴木秀一・秀幸氏が製作した精密な復元模型を中心に、行田無線塔の歴史を写真や資料で解説。地域の歴史にスポットを当てた地元の博物館ならではの好企画です。会期は6月30日(日)まで開催中です。

上の写真は、行田公園内にある「船橋無線塔記念碑」。円形道路のかつての中心付近にひっそりと立っています。

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2019/04/13

市川・里見公園の紫烟草舎

市川市の里見公園にある北原白秋の旧宅「紫烟草舎」を訪ねました。

20190413_1 北原白秋(1885-1942)は、旧柳川藩(福岡県柳川市)の商家に生まれ、早稲田大学に進学。24歳のとき詩集「邪宗門」を発表。26歳で発表した詩集「思ひ出」は、文壇で高い評価を受け、出世作となりました。

白秋は、大正5年(1916)5月~6月ころまで市川・真間の亀井院で暮らし、その後、小岩に移りました。小岩の旧宅「紫烟草舎」が、里見公園に移築されています。

【現地案内板の説明】
「『からたちの花』『砂山』などの作詩で親しまれている詩人・北原白秋(明治18年~昭和17年)は大正5年の夏から約一年間、当時小岩にあったこの離れにおいて、すぐれた作品の創作を続けた。白秋自身、紫烟草舎と名づけたこの建物はその後、江戸川の改修工事のためにとりこわされ、解体されたままになっていた。たまたま、本建物の所有者、本市在住の湯浅伝え焏氏の厚意ある提供を受けた市川市は白秋をしのぶようすとして、家の間どり、木材などすべて当時のままに、ここ里見の地に復元した。復元の地をここにもとめたのは小岩に移り住む前白秋が真間の亀井院に住んでいたこと、小岩に移ってからも対岸の江戸川堤から眺めるこの里見の風景や万葉の昔よりゆかりの深い葛飾の野を、こよなく愛していたことによる。」(市川市・市川市観光協会)

紫烟草舎は常時公開でないのが残念ですが、天気が良い日などに公開されることがあるので再訪したいと思います。

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2019/03/09

写真でつづる千葉県と鉄道展

市川市中央図書館で開催中の巡回展「写真でつづる千葉県と鉄道」展に行ってきました。

201900309この巡回展は、千葉県博図公連携事業(博物館・図書館・公民館が連携して情報発信)の企画です。
明治150年の節目に、県内の鉄道をテーマに、鉄道開通から現在までの歩みを写真で辿っています。

写真は、第一部「鉄道の発達・変わる景色」(総武鉄道の開通など)、第二部「鉄道と世相・時代の一面」(戦時下の出征風景など)、第三部「消えた鉄道・失われた路線」(軽便鉄道や人車鉄道など)、第四部「鉄道連隊と千葉県・隠れた主役」(旧陸軍鉄道第一・二連隊など)の4部構成で52点が展示されています。

併せて、京成電鉄から各種記念乗車券や改札鋏・合図灯の出展と、館所蔵品の昔の鳥観路線図や沿線行楽案内などの資料を展示。館職員さんによる鉄道模型やプラレールもありました。

個人的には、姿を消した鉄道(第三部)と鉄道連隊(第四部)の展示と解説が興味深かったです。

この巡回展は、昨年11月に野田市立南図書館からスタートし、今回の市川市中央図書館で最後。期間は3月14日まで開催中です。

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2019/02/25

「下勝田の獅子舞」の獅子頭

かつて佐倉市下勝田・天満神社で奉納されていた「下勝田の獅子舞」。

20190225後継者難で平成16年を最後に廃絶し、現在はその舞を見ることはできません。

佐倉市史に次のような記述がありました。

「下勝田の三匹獅子舞は、毎年七月十五日(旧くは二月二十五日、九月三日も演じた)の午後、三十三歳まで若連が下勝田の天満神社で演じ、夜は下勝田共同館(旧くは西光寺)で舞う。夜の獅子を模範獅子といい、年配の舞手が演じ、猿という役が加わる。この獅子舞には、天下泰平、五穀成就、家内安全と書かれたダシという万灯が出る。獅子頭の名称は、雌獅子、中獅子、雄獅子といい、雌獅子には角がなく、中獅子と雄獅子に角がある。(~中略~)獅子舞を囃す楽器は、篠笛と鋲打ち太鼓である。これらは囃子方が担当する。獅子の腰に付けた太鼓は、ほどんど音がしない。また手に鈴や御幣を持って舞うことがある。」

演目は、神楽(庭固め→雌獅子→中獅子→よつあげ→雄獅子→デンツクデン)、幣束(庭固め→雌獅子→幣束がえし→よつあげ→雄獅子)、橋渡り(振り込み→庭固め→雌獅子→中獅子→よつあげ→雄獅子→デンツクデン→橋渡り)の3つの舞があったようです。

夜の「模範獅子」は、年配の舞手が猿面に蓑笠の衣装で踊ったようで、佐倉市史は「仮面をつけるということは個性を超えた存在を示すことであり、蓑笠をつけた衣装は非常に遠いところからお出でになることを意味するもので、山の神とか祖霊神のなり変わりであるとされるので(~中略~)神人一体の舞であると解される」と書いています。

このほか、昼の獅子舞の演目の間に(夜は獅子舞の前に)、輪になって弥勒踊りを踊ったといいます。

廃絶して久しい「下勝田の獅子舞」ですが、その獅子頭は、和田ふるさと館歴史民俗資料室に良い状態で保管・展示されています。
今も年2回、春祈祷(2月25日)と祭礼日(7月15日)に天満神社に里帰りし、神事が行われているそうです。

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2019/02/24

佐倉・百万遍(春祈祷)

佐倉市天辺・宝寿院の春祈祷で行われた「百万遍」を見学。

20190224宝寿院(真言宗)は、弘法大師ゆかりの地蔵菩薩を祀り、「渋なし蕨」の伝承が残っています。

春祈祷(毎年2月24日)では、農事が始まる節の折目に五穀豊穣を祈願して「百万遍」が行われます。

地区の人々が、長さ約六間(10.9m)の大数珠の周りに輪になって座り、中央には鉦叩き役と数取り役が座ります。鉦の音に合わせて念仏を唱えながら、大数珠を左回りに廻します。途中、房が付いた親玉が廻ってくると、少し高く掲げて一礼し、次の人に廻します。
数珠の廻った回数は、数取り役が「一千遍」「一万遍」などと書かれた木札で数えます。

この行事は、地元では「地蔵さまのオビシャ」と呼ばれ、大切に受け継がれています。

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 準備(天辺青年館)
13:30~ 百万遍
13:45~ 直会
14:30ころ 終了

【採訪メモ】
かつては本堂で行ったが、現在は地蔵堂そばの天辺青年館で行われる。導師はおらず、区長さんの合図で鉦に合わせながら大数珠を左に廻す。念仏を唱えながら廻す形態から、和気藹々とおしゃべりしながら廻す形に変化しており、信仰行事としての性格は薄れている。親玉が廻る度、数取り役が木札を数枚ずつ移し、木札がなくなると終了。昔はもっと長い時間を廻したが、実際に百万回も廻した訳ではないという。
百万遍のあと、茶菓子で直会して1時間ほどで解散。この日は19世帯から21人が参加。女人講による地区が多い中、天辺では男性も参加するのが特徴。見学者は私を含め2人、寺に駐車場なし(和田ふるさと館から徒歩推奨)。
詳しい資料を頂いた上、現地で案内を頂いた和田公民館のEさん、詳しく教えて頂いた宝金剛寺住職さん、お世話になった区長さんはじめ地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2019/01/20

市川・にらめっこおびしゃ

市川市大野・駒形大神社で行われた御奉謝(おびしゃ)を見学。

20190120【現地案内板の解説】
「駒形大神社は経津主神を主神に、大野の地域に伝説として残っている平将門を合祀した神社です。
この、駒形大神社には、古くから五穀豊穣と村内安全を祈願する御奉謝の行事が伝えられています。かつては一月十九日、当番宿に集まった氏子たちによって、神社に飾る注連縄がつくられ、次に三臼の餅がつかれました。
最初の一臼は供物の下に敷く、径五寸(15cm)ばかりの煎餅をつくり、二臼目は烏帽子型兜・擬宝珠型兜・皿頭型兜の型をした供物をつくります。三臼目の餅は集まった氏子たちが、互いに投げ合う餅ぶつけに使います。餅に当たるとその歳の厄を祓うといい、またこの餅は、風邪除けに効き目があるともいわれています。これで一日目の行事は終わりです。
二十日は前日用意した供物・注連縄・酒肴等を捧げて神社に参拝、太鼓を打ち鳴らして題目を唱え、終わって御神酒を頂き、当番宿に引きあげます。このあと、宿では二組に分かれて行司役を中央に、両組から一人ずつ出て向かい合い、互いににらみ合って行司役の合図をまち酒を呑みあいます。このとき笑った方が負けとなり、さらに大盃につがれた酒を呑むことになります。こうした行事のあるところから、俗に『にらめっこおびしゃ』の異名が付けられています。
これらの行事は安政六年(1859)の記録を、明治11年(1878)に書き写したものによって踏襲されてきましたが、太平洋戦争後は一月二十日の一日で、総ての行事を済ませるように改められ、毎年、神社の社務所で行われています。この行事は昭和四十年、市の民俗文化財に指定されています。」

【この日の進行スケジュール】
8:00 呼太鼓、氏子中集合
8:30~ 式場始(しばきり=分担決め)
注連縄・蓬莱飾り作り
10:00~ 五穀豊穣祈願
念仏→玉串奉奠→大盃
10:30~ 餅搗き
煎餅→兜作り→餅投げ
12:00~ 昼食休憩
13:30~ 当番渡し(神札・日記受渡しの儀式)
14:10~ にらめっこの儀式
15:00~ 直会
17:20ころ 終了

【採訪メモ】
式場始の分担どおり組ごとに注連縄を作って張り、大根で鶴亀・松竹梅の蓬莱飾りを作って飾る。五穀豊穣祈願では氏子のみ(神職なし)で大太鼓に合わせて南無阿弥陀仏を唱和し、大盃を廻し飲む。その後、シンコ餅を搗く。一臼目の「煎餅」は、日記受渡しの儀式の際、新当番に2片ずつ配られる(無病息災)。当番渡しは新当番が5人ずつ前に出て、行司役から盃を受け、神社神札・日記を回して確認し、最後に新ヤド役が背中に背負って引継ぐ。続いて末社日記の引継ぎが行われる。にらめっこは卓上に小盃と沢庵2切れを置き、東西組が相対して睨みながら熱燗を飲む。笑うと双方が大きな罰盃を受ける。笑わそうとヤジが飛び、和気藹々と進む。全8組(東部1~4組・西部1~4組)が対戦するが勝ち負けはなく、3組終わる毎に全員で高砂を謡う。
見物人は50人以上、カメラマンは報道ほか多数。神社裏に駐車場あり。
お忙しい中詳しく教えて頂いた氏子中の皆さん、貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2019/01/05

印西・別所の宝剣様

印西市別所の宝泉院地蔵寺で行われた宝剣様を見学。

20190105宝泉院(天台宗)に伝わる宝剣は、平安期に飢饉・悪疫が流行し、慈覚大師円仁が当地で悪疫退散・五穀豊穣の護摩供修法を行った際に使ったとされ、薩摩の名工・波平行安の作と伝わります。

毎年1月5~6日の両日、宝剣を奉じて檀家を廻り、厄祓いと五穀豊穣を祈願する「宝剣様」が受け継がれています。

出発前の法要後、錦布の箱に納めた宝剣が奉持役に渡されて、ムラ廻りに出発。住職を先頭に、奉持役、札持ち、籠背負いが続き、金剛鈴の音とともに檀家を廻ります。
各戸では、仏壇に宝剣を祀り、般若心経と地蔵尊の真言(おんかあかあかびさんまえいそわか)を唱和し、護符2枚(厄除地蔵尊・百由旬内無諸災難)を渡します。最後に奉持役(又は住職)が宝剣を家人にかざして厄を祓います。
檀家は、お布施として金一封(昔は米一升)を籠背負いに渡します。

二日間で別所・鳴沢・別所新田・宗甫地区の檀家60軒ほどを廻ります。

【この日の進行スケジュール】
8:30 集合(宝泉院)
8:45 法要
9:00~ 檀家廻り(午前)
12:00 寺に戻り昼食
13:00~ 檀家廻り(午後)
16:00ころ 寺に戻り法要

【採訪メモ】
初日、住職・檀家総代・役員など10人での檀家廻りに同行。奉持役の持つ宝剣は意外に重かった(3㎏くらい?)。札持ちは風呂敷包みに木札と御守り。籠背負いは、昔はお布施の米を入れる籠を背負ったが、現在は護符を入れた箱を持って廻る。檀家によっては玄関先で読経することも。初日は別所・鳴沢地区40軒ほどを廻った(歩いた距離7.5km)。二日目はクルマ移動もあり。古老によれば、戦前~昭和30年代までは船橋や浦安まで行ったとのこと。
地元ケーブルTVのほか見学者なし。寺に駐車場あり。
大変お世話になった住職さん、檀家総代の市長さん・役員さん、檀家の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2018/11/25

「モータースポーツと湾岸部の歴史」展

船橋市郷土資料館で開催中の「モータースポーツと湾岸部の歴史」展に行ってきました。

20181125かつて船橋の湾岸部(浜町・若松町)には、船橋競馬場(1950-)、船橋ヘルスセンター(1955-77)、船橋飛行場(1958-69)、船橋サーキット(1965-67)、船橋オートレース場(1968-2016)が集中し、都心から近い一大娯楽エリアとして賑わいました。

現在は、船橋ヘルスセンター跡はららぽーとTOKYO-BAYに、船橋飛行場跡はスキードームSSAWSを経てイケアに、船橋サーキット跡は船橋オートレース場と物流倉庫群にそれぞれ姿を変えています。

今回の企画展示は、中でもモータースポーツにスポットを当て湾岸部の歴史を振り返る、船橋ならではの好企画です。

展示は、1階ロビーに船橋とモータースポーツの歴史年表、2階常設展示に「湾岸部のヒミツ」として船橋ヘルスセンター関係資料、3階企画展示に船橋サーキットとオートレース関係資料を解説。
往時の写真や、船橋サーキットに散った若き天才レーサー浮谷東次郎の記事、船橋オートの常勝選手飯塚将光の等身大パネルと優勝バイクの実車など、モータースポーツ全盛期の興奮が伝わってきます。

四輪ファンの私としては、幻の船橋サーキットが3.1kmとショートながら複雑なコース設計で鈴鹿・富士と並ぶ三大コースだったことは大変興味深く、浮谷東次郎の伝説がやっと現実とつながった気がします。

この企画展は、12月16日(日)まで開催しています。

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2018/11/18

成田・滑河観音木まち

成田市・滑河観音で行われた「木まち」を撮影。

20181118滑河観音は、正式には滑河山龍正寺(天台宗)といい、承和五年(838)、慈覚大師の開創と伝わります。
御本尊に、飢饉の際、近くの渕から出現した観音像を祀ることから、地元では滑河観音として親しまれています。

毎月18日は観音さまの縁日で、中でも11月18日の縁日は、「木まち」と呼ばれて一年で最も賑わいます。 かつては境内で馬市が開かれましたが、馬の需要がなくなって、植木市に代わりました。

木まちでは、午前中に2回、稚児行列が行われ、大護摩法要が執行されます。

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 稚児行列→大護摩法要
11:00~ 稚児行列→大護摩法要
終日 植木市(境内)

【メモ】
毎年11月18日に行われる「木まち」では、参道に数軒の露店と境内に3軒の植木屋が出る。稚児行列は、仁王門~本堂まで、稚児が僧侶・導師を先導して行列で進む。午前10時と11時の2回行われ、各回とも数人の稚児が参加した。大護摩法要後、導師が稚児に優しく語りかけたり、楽しそうに記念撮影したりと、女性ならではの温かな心配りが印象的。他にカメラマンはなく、神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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