2009/09/30

吾妻渓谷・八ツ場ダム

帰路,吾妻渓谷沿いのR145を走っていると,突然,目の前に巨大なコンクリート工作物が現れました。

090930政権交代で建設中止か続行か,世間の注目を集めている八ツ場ダムの工事です。ちょうど広報施設「やんば館」があったので,勉強のために立ち寄ることにしました。

八ツ場ダムの完成予定ジオラマでは,上流域の水没状況と,街の再開発計画を模型で解説しています。巨大ダムなだけに,予想以上に広い範囲が湖底に沈むことが分かってびっくりしました。
写真は,水没する県道の付け替え工事です。ダム湖を渡る道路の橋脚ですが,下の田んぼの軽トラックと比べると,その巨大さが分かります。ちなみに,橋脚の下から3番目の足場が満水時の水面になるようです。

R145沿いでは,国道・県道の付け替え工事と移転用の宅地造成が,山を崩して先行して進んでいました。すでに地元の人々の生活は,大きく変わってしまっているのですね。現状を目の当たりにして,問題の難しさを再認識させられました。

さて,今回の旅の機材は,AF-S DX 18-55mmF3.5-5.6GII,Nikon D40,三脚は軽量のスプリントPROを使用しました。R145から渋川伊香保ICに出て関越道を走り,夜の渋滞前に自宅へ帰り着きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/29

草津・白根山

2日目は,草津から白根山の湯釜を目指しました。

090930草津から白根山までは,車で30分ほどです。2000m級の山なみを走る道は「日本ロマンチック街道」と素敵な名前がついています。
あいにくの曇りで,雲が低く視界は真っ白。先行車のテールライトも見えないほどで,ちょっと残念。

湯釜のレストハウスに車を置き,歩いて湯釜へ。標高2160mの白根山の火口湖で,エメラルドグリーンの水面が美しい,強酸性湖です。標高が高く,辺りはすっかり紅葉していました。

最近,火山活動が盛んだそうで,半径500mエリアは立入禁止。一番近い中央展望台への遊歩道は閉鎖中でした。やや遠い西側展望所を目指して,遊歩道を登り始めましたが,結構な急坂で途中で断念。振り返ると,弓池の霧が一瞬晴れて,美しい風景を見せてくれました(上の写真,クリックで拡大)。

レストハウスで信州名物・五平餅をほおばり,帰路につきます。帰りは,白根山から再び草津へ戻り,吾妻渓谷沿いのR145を走って,渋川伊香保ICを目指します。

途中,思いがけず,話題の「八ツ場ダム」建設現場を通りかかったので,次はそのお話など。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/28

草津・ライトアップ

夕食後,夜の湯畑へ。ライトアップされた湯畑は,昼間と違った幻想的な表情を見せていました。

090928湯畑は,もとは8代将軍徳川吉宗がその湯を江戸城に運ばせたことから,「お汲み上げの湯」と呼ばれていました。今もその湯枠が水中に沈んでいます。

寛政4年(1792),源泉は村の管理となりました。明治20年,湯の花を採集する樋が作られ,明治40年ころから,湯の花が採れる畑=湯畑と呼ばれるようになりました。今でも60度の源泉が毎分4600リットル湧き出る,草津最大の源泉です。

滝の岩肌に見える緑色は,強酸性にも耐える藻(イデユコゴメ)です。この硫黄分と高温に耐えるとは,すごい生命力です。

流れ落ちる湯滝を見下ろす燈篭(写真の右上)は,文政13年(1830)に伊勢太々講中が源泉脇にあった不動堂に寄進した常夜灯です。もとは手前の滝にせり出した岩の上にありましたが,崩落しないように現在の場所に移されたそうです。湯気にけむる石灯籠は,なかなか雰囲気がありました。

この時期,草津の気温は13度ほど。浴衣に丹前を羽織ってもまだ寒いくらいでしたが,大勢の観光客が浴衣姿で散策していました。

次は,翌朝,草津から白根山へと向かいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/27

草津・熱の湯

湯畑そばにある「熱の湯」は,もとは共同浴場として使われていました。昭和43年から,草津名物「湯もみ」を実演する観光施設となりました。

090927草津の源泉は,熱いところで95度もあり,そのままでは浴用にできません。水で冷ますと温泉の効能が薄まるので,考え出されたのが「湯もみ」です。
熱い温泉を,六尺の板でかき混ぜて,48度くらいまで温度を下げると同時に,入浴前の準備運動をしたのが「湯もみ」の始まりだそうです。

「熱の湯」では,この時期,1日8回,湯もみの実演をしています。湯もみ娘(?)が「草津よいとこ,一度はおいで。ハァ,どっこいしょ」「お湯の中にもこりゃ,花が咲くよ。チョイナチョイナ」と草津節を唄いながら湯をもむ様子は,草津ならでは。有料施設(大人500円)ですが,一見の価値があります。

湯もみを見た後は,宿に戻って夕食を済ませ,旅館の温泉(白旗の湯)を堪能します。自分の手足が見えないほど白濁した硫黄泉で,リラックスできました。
入浴後,今度はライトアップされた夜の湯畑へ散策に出ます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/09/26

草津・湯畑

シルバーウィークは,連日,房総の祭り取材で駆け回っていたので,罪滅ぼしに妻と草津温泉に行って来ました。

090926自宅を午前10時半ころ出発。外環道→関越道→上信越道を碓氷軽井沢ICで降り,浅間山経由でのんびり草津へ入りました。

最初に,西の河原公園へ向かいます。強烈な硫黄臭とあちこち湧き出る熱湯で,草木も生えない荒涼とした光景が「賽の河原」に例えられます。
温泉街へ戻りがてら,片岡鶴太郎美術館に立ち寄りました。氏の作品はユニークな視点で,結構お気に入りです。入館券が作品の絵葉書なのもちょっとうれしかったです。ミュージアムショップで何点か買い求め,今夜の宿へ。

今回の宿は,湯畑前の老舗旅館さんです。夕食前の時間を,湯畑界隈へ散策に出かけました。遠い新婚時代,湯畑に立ち寄った記憶がありますが,落ち着いて見たのは初めてです。へー,こんな風になってるんだ…などと会話しながら,つい写欲が出て撮り歩きます。
上の写真は,湯畑の滝の落ち口です。今回も,旅のお伴はD40ですが,ちゃんと三脚とリモコン・レリーズ使用です(笑)。湯の花を採る樋を通った源泉が,音を立てて流れ落ち,迫力がありました。

夕食までもう少し時間があるので,「熱の湯」の湯もみショーを観覧に行くことにします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/08

木曽・奈良井宿

今回の旅の終点は,木曽の奈良井宿です。

090808奈良井宿は,中山道の宿場で,俗に「奈良井千軒」と謳われて木曽路11宿の中で最も栄えた宿場でした。

古い街並みが,旧街道に沿って残っています。古い旅籠などが軒を連ねる街並みは,まるで江戸時代に戻ったようで,国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
宿場の端から端まで約1kmを歩いてみましたが,かなり長いです。観光協会では「たぶん日本一長い宿場通り」と言っています(笑)。

奈良井宿の建物は,2階をせり出した出梁(だしばり)造りと袖うだつ,軒の庇を押さえる桟木(さるがしら)が特徴です。家の間口で税が決められたので,間口は狭く,奥行きが長くできています。どの家も表札のほかに屋号の木札が掲げてありました。

写真は,夕方の奈良井宿です。観光客が引き上げると,地元の人たちが打ち水をしたり,水場で立ち話をする姿があちこちで見られ,いつもの静かな街に戻ります。

今回の旅は,高山と白川郷を満喫して大満足でした。旅の機材は,AF-S DX 18-55mmF3.5-5.6GII,Nikon D40,三脚は軽量のスプリントPROを使用しました。
帰路は,R19から塩尻ICに出て中央道を走り,大した渋滞もなく帰り着きました。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009/08/07

信州・野麦峠

帰路は,時間に余裕があったので,白川郷から高山へ戻り,木曽街道(R361)で野麦峠に立ち寄ることにしました。

090807野麦峠は,長野と岐阜の県境にある標高1672mの険しい峠です。江戸~昭和初期ころまで,信州松本と飛騨高山を結ぶルートは野麦峠を通らざるを得ず,多くの旅人を苦しめた難所でした。

特に,明治~昭和初期の殖産興業で信州・諏訪地方の製糸業が盛んになると,貧しかった飛騨の農村から少女たちが女工として集団で出稼ぎに送られました。
懸命に働く女工たちの唯一の楽しみは,正月の飛騨への里帰り。暮れに帰省を許された女工たちは,故郷を目指し,厳寒の野麦峠を歩いて越えました。足を滑らせて谷底へ転落する者,凍傷で動けなくなる者が続出し,たくさんの女工が野麦峠で命を落としたそうです。
その悲哀は,山本茂美のノンフィクション小説「あゝ野麦峠」や同名の映画などで後世に伝えられています。それで一度訪ねて見たいと思っていました。

女工たちが行き来した旧野麦街道は,峠の頂上から信州側ワサビ沢までの約1.3kmが長野県史跡として保存されています。写真は,ワサビ沢の「旧野麦街道」入口です。観光客もなく,ひっそりと静まりかえっていました。

次は,野麦峠を下って木曽奈良井宿へと向かいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/06

飛騨・白川郷

高山から東海北陸道を白川郷ICで降り,合掌造り集落へ向かいます。

090806白川郷は,世界遺産に登録された3集落(白川郷荻町・五箇山菅沼・五箇山相倉)の中で一番大きな集落です。

中でも荻町集落は,巨大な切妻造りの茅葺屋根を持つ合掌造り家屋59棟が点在し,国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。
平成7年には,独特の農村景観が「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録されました。

合掌造りは,江戸時代の建築で,豪雪と養蚕から生まれたといわれます。
この地方では,幕末から昭和初めにかけて養蚕が盛んでした。豪雪に耐えるため屋根を急勾配の切妻とし,1階は生活の場,2階を蚕の飼育場として使い,蚕の成長に合わせて3階や4階を作業場にしたそうです。2~4階の窓は,蚕場に光と風を取り入れるためのもの。生活の中から生み出された庶民の知恵だからこそ,無駄のない美しさに心が惹かれます。

写真は,荻町城趾から見た集落(クリックで拡大します)。ここから見る農村の風景が一番心に響きました。中央の大きな家は,庄屋や番所役人を務めた和田家で,集落で一番大きい合掌造りです(国重文)。集落内を散策しながら写真を撮ると,意外に電柱や電線が目立つのが気になりました。

次は,帰路,野麦峠を目指します。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009/08/05

飛騨・高山の朝市

翌朝,早起きして朝市に行ってみました。

090805朝市は,午前6時ころから高山陣屋前と宮川沿いの2か所で毎朝開かれています。どちらもホテルから歩いて行ける距離なので,両方に行くことにしました。

陣屋前朝市は,大正時代に開かれた昼市・夜市が始まりです。陣屋前の広場に露店が並び,野菜や漬け物,果物や花を売っていました。店の人に聞くと,ほとんどが自家製で,店ごとに袋や説明書きを工夫して個性を出しているそうです。

川沿いを5分ほど歩き,宮川朝市へ移動。こちらは,江戸時代の米・桑・花などの市から始まり,明治中頃から野菜なども並ぶようになりました。道の片側に露店が並び,反対側には早朝営業の土産店や菓子店が並んでいます。こちらは店の数や種類が多く,たくさんの買い物客で賑わっていました。

どちらの朝市も,農家のおばちゃんたち(失礼!)が明るく元気なのが印象的でした。写真は,陣屋前朝市で野菜を売っていたおばちゃん。手前の細長いカボチャを買いました。朝市では,他に漬け物,こくせん,朴葉栗羊羹などを買い込み,楽しい想い出となりました。

次は,いよいよ世界遺産・白川郷へと向かいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/04

飛騨・馬頭絵馬市

夕食は,飛騨牛の朴葉味噌焼きと地ビールを堪能しました。大きな朴葉の上に,味噌,ネギや椎茸などの具を乗せ,混ぜながら焼く素朴な料理で,もとはみそ汁の代わりだったとか。

090804さて,夜の町を散歩していると,「馬頭絵馬市」の幟を発見。ちょうど山桜神社で絵馬市が開かれていました。

高山の馬頭絵馬市は,高山藩主・金森公の愛馬「山桜」にちなんで始まりました。江戸の振り袖大火で,「山桜」は主君を乗せて江戸城の百軒堀を飛び越えて危機を救ったそうです。
その厩舎があった場所が山桜神社で,病に倒れた山桜の平癒祈願をした所が松倉観音と云われ,夏には両方で馬頭絵馬市が開かれています。

絵馬は,木の絵馬ではなく,和紙に描かれた紙絵馬です。家内安全や商売繁盛の縁起物として,地元の皆さんが熱心に選んでいました。「福」が逃げないように,馬の頭が家の中へ向くように貼るのだそうです。

そのまま古い街並みまで足を延ばすと,昼間の喧噪が嘘のように静まりかえっていました。

次は,早起きして朝市に出かけます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧