2019/05/05

ひたち海浜公園

めんたいパークからひたち海浜公園へ。

 20190505b 太平洋に面して、平成3年に開園した国立の自然公園です。花や草木の名所としても知られ、4月のチューリップ、5月のネモフィラ、10月のコキアのシーズンは首都圏から大勢の人が訪れます。

南駐車場にクルマを置き、中央ゲートから遊園地エリアを通り、自然の森を抜けると、みはらしの丘です。ちょうどネモフィラの見ごろで、見渡す限り青に染まった丘の風景は圧巻でした。

GW終盤で人出が多く、丘の小径は渋滞気味。どの方向にカメラを向けても人が写り込みますが、逆に広さが協調できていいかも。丘の頂上からの眺めはさぞや…と思いましたが、海側は工業港と原電だけでやや興ざめ。どうやら丘は下から眺めるのがベストなようです。

遊園地エリアに戻り、大観覧車「ブルーアイズ」へ。ネモフィラの英名にちなんだ青い大観覧車は、地上から65m。1周約15分の空中から、眼下に広がる園内の全景と原電の様子が一望できます。

秋にはコキアで赤く染まった丘をぜひ見に来たいと思いました。

帰路は、ひたち海浜公園ICから北関東道→常磐道→外環道と渋滞もなく帰宅。久々に1号車での遠出となりました。旅のお伴はOLYMPUS E-M10Mk3+M.ZUIKO D 14-42/3.5-5.6でした。

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大洗・めんたいパーク

妻と茨城・大洗町の「めんたいパーク大洗」へ。今回は下の娘も一緒です。

20190505 外環道→常磐道と走り、水戸大洗ICからR51で大洗へ。

めんたいパークは、明太子の老舗・かねふくが全国4か所(大洗・常滑・神戸三田・大阪ATC)で運営する明太子のテーマパークで、大洗はその最初の施設だそうです。

館内に入るといきなり工場直売店ですが、まずは奥に進んでスケソウダラの知識を学ぶトンネルギャラリーへ。

スケソウダラの「鳴声」を再現した音響ゾーンやパネル、映像を見たりしながらトンネルを抜けると、明るく近代的な工場に直結。

ガラス越しに製造工程を見学…のはずが、祭日でラインは停止中。一部の作業のみ見学して、直売店に戻りお土産を購入。フードコートでは、できたて明太子のおにぎり(おいしい)と明太子ソフトクリーム(微妙)が大人気でした。

わが家は明太子が大好物なので、なかなか面白かったです。GW後半とあって、館内は家族連れで大混雑でした。

次は、ネモフィラが見ごろのひたち海浜公園へ向かいます。

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2019/05/04

埼玉・サイボク(埼玉種畜牧場)

妻と一緒に、埼玉・日高市のサイボクハム(埼玉種畜牧場)本社に行ってきました。

20190504 種豚と肉豚の育成から肉製品への加工、販売までを自社で行っている食品加工メーカーで、欧州の食品品質コンテストで金メダル常勝の実力派です。最近ではアド街などTVで取り上げられて、埼玉県外にも知られるようになりました。

創業は、戦後、フィリピンから復員した笹﨑龍雄氏(故人)が「食こそ人間の根本」として、昭和21年(1946)、日高に育種牧場を開いたのが始まりです。

肉(ミート)の理想郷(ユートピア)を目指す「ミートピア構想」を掲げて、日高の本社工場には直売ショップ、レストラン、農産物直売所、日帰り温泉施設やミニアスレチックなどが併設され、ちょっとしたテーマパーク的な複合施設になっています。

この日は、GWイベント「とこトンまつり」を開催中。諸国うまいもの市や和菓子販売なども出て、家族連れなどで場内は大混雑でした。ちょうどお昼どきだったので、屋外のフードコートで一番人気のスペアリブ(土日祝限定)とノンアルビールでBBQ気分を味わいました。

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2018/12/17

伊香保・温泉神社と美術館

二日目は伊香保神社(温泉神社)と美術館を巡ります。

20181216a伊香保神社は、365段の石段の最上段に鎮座し、大国主命と少彦名命を祀ります。
伊香保温泉の石段が整備されたのは戦国時代で、そのころにはすでにこの地にあったようです。

境内には、明治11年(1877)の伊香保大火後に再建された仮宮と小さな神楽殿があります。解説板によると、毎年9月の例祭には神輿が出て、伊香保祭囃子(市無形民俗文化財)が奏されるようです。

20181216b続いて、温泉饅頭を求めて神社下の饅頭屋さんへ。

創業は明治43年、江の島・片瀬饅頭にヒントを得て、伊香保の湯(茶褐色)をイメージした湯乃花饅頭を考案。昭和天皇の陸軍特別大演習賜天覧御買上で全国に知られ、ここから各地に温泉饅頭が広まったそうです。
朝の開店直後でしたが有名店だけに長蛇の列…。気温-3度の中、しばらく並んでホカホカのできたてを頂きました。

伊香保の石段街を離れ、伊香保保科美術館へ移動。

20181216c竹久夢二、現代日本画家、友永詔三の木彫などの作品を収集・展示した私設美術館です。
特に大正~昭和にかけて活躍したデザイナー小林かいちの作品コレクションは国内唯一で、楽しみにしていました。

かいちは、京都を拠点に絵葉書・絵封筒のデザインを手がけたデザイン画家で、トランプや十字架など西洋的なデザインを取り入れ、アール・デコ調の作品が人気を博しました。デザイナーの先駆けですが、その人物像は謎で、幻のデザイン画家と云われます。

絵葉書・絵封筒やマッチ箱など小作品が中心ですが、独特の色彩とタッチで女性観を描いたレトロモダンな作品を堪能しました。

20181216d最後に、伊香保切り絵美術館へ。
切り絵作家の佐藤源治氏とお弟子さんの作品を展示した私設美術館です。
入館すると切り絵について詳しい説明があり、作品の鑑賞ポイントがよく分かります。

白と黒で光と影を表現する切り絵は、緻密に光を計算し尽くして表現する白黒写真との共通点が多い気がします。展示作品は作家ごとに作風が異なり、彩色セル画のような作品もあって奥深さを感じました。

切り絵体験では、手先が器用な妻が挑戦。用意された下絵を選び、黒い紙を敷いてカッターで切り抜いていきます。作家さんが一番大変なのは下絵描きで、切り抜きの失敗はないそうですが、なかなか難しかったようでした。

この後、舞茸センターと農産物直売所に立ち寄り、関越道が混む前に帰宅。旅の機材はOLYMPUS OM-D E-M10III+M.ZUIKO D 12-40mm/f2.8 PROでした。

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2018/12/16

伊香保・源泉かいわい

水沢観音から北上して伊香保温泉の源泉へ。

20181215c伊香保の石段街を過ぎ、街道を左に逸れて河鹿橋へ。さらに5分ほど歩けば源泉に辿り着きます。

発見は1300年以上前で、泉質は硫酸塩泉、泉温は40~43度、湧出量は毎分4000リットル前後だそうです。無色透明ですが、酸素に触れると茶褐色に変わります。

源泉は透明なドームで保護され、地中からじわっと湧き出ています。そばに公共露天風呂があり、途中には源泉を飲める飲泉所があります。試しに舐めると、錆びた釘の味がしてかなり強烈でした。

源泉は石段に沿って湯樋(大堰)を流れ、湯口の樋(小間口)で9軒の源泉所有者(旅館)に権利分に応じた量が厳格に引湯され、引湯量により湯坪の大きさも決められたそうです(伊香保温泉特有の小間口制度)。

20181215dこの日は、伊香保関所跡とハワイ王国公使別邸(市史跡)も見学。

伊香保関所は、江戸幕府が寛永八年、三国街道の裏往還の要所だったこの地に置いた口留番所(正規の関所の要件に満たない小規模な番所)です。
現在は建物が復元され、関所に関する資料を展示しています(無料公開)。

20181215eハワイ王国公使別邸は、旧ハワイ王国駐日公使ロバート・W・アルウィン(1844-1925)の別荘を移築したものです。
氏は、慶応二年(1866)に駐在員として来日。明治14年(1881)に同国総領事に任命され、翌年、日本女性と結婚(日本初の国際結婚)。のち代理公使となり、ハワイへの日本人移民事業に尽力しました。
毎夏を伊香保の別荘で過ごし、地元では「アルウィンさん」と親しまれ、終生を日本で過ごしました。

現存する数少ない旧ハワイ王国ゆかりの史跡で、当時は平屋と二階建ての別棟がありました。併設のガイダンス施設ではハワイと日本、アルウィン家と伊香保の関係が詳しく分かります(無料公開)。

伊香保は先週の降雪が所々に残り、寒さで凍えます。早々に引き上げ、石段街の宿に撤収しました。

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2018/12/15

伊香保・水沢観音

師走の週末、妻と伊香保に行ってきました。

関越道から旧水沢街道を北上し、途中で水沢観音に立ち寄ります。

20181215a正式には五徳山水澤観世音(天台宗)といい、開創は1300年以上前、高麗の恵灌僧正によると伝わります。往時は30余堂を有する大寺でしたが、度々焼失し、元禄年間に徳川幕府が祈願所として再建しました。

参道石段の途中に仁王門(市重要文化財)、境内に観音堂(同)、六角二重塔(県重要文化財)、釈迦堂などがあります。

仁王門は、狩野派の絵師・狩野探雲の龍図が天井で睨みをきかせています。
観音堂は、軒唐破風の丸瓦に葵紋が入り、本尊の十一面千手観音菩薩(秘仏)を祀っています。
六角二重塔(上の写真)は、六角輪転の台座に六地蔵と大日如来を安置した輪蔵で、参拝者が左に3回廻して供養できる仕組みです。
釈迦堂は、平成の大修復で完成した近代的な「宝物殿」です。寺宝の円空作・一刀彫り阿弥陀如来坐像などを収蔵しています(特別無料拝観中)。

20181215bちょうど昼時になり、門前で水沢うどんの昼食。

讃岐(香川)・稲庭(秋田)と並ぶ日本三大うどんの一つで、その昔、参拝客に出したうどんが評判となりました。門前の街道筋に立派な構えのうどん屋が建ち並び、どこに入るか悩みます。
今回は、老舗の1軒でざるうどんと舞茸の天ぷらを頂きました。

次は、伊香保の源泉を目指して北上します。

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2018/09/18

秋田・秋田市内の文化財めぐり

三日目は秋田市内を巡ります。

20180916aまずは秋田市立赤れんが郷土館へ。
明治末期に旧秋田銀行本店として建築された建物で、外観は白タイルと赤レンガのお洒落なルネサンス様式、内装は高い天井の格調高いバロック様式です(国重文)。

豪華な内装もさることながら、郷土館ということで、秋田出身の鍛金家・関谷四郎(人間国宝)の作品を展示した記念室と、生涯秋田を離れず独特の刻線と色彩で習俗を描き続けた版画家・勝平得之の作品を展示した記念館を併設しており、どちらも興味深かったです。

続いて、郊外の秋田城(出羽柵)跡へ。
奈良期(733)に蝦夷対策として山形から移され、出羽国府が置かれた最北の古代城柵官衙遺跡です(国史跡)。ここを秋田城と呼ぶため、江戸期の藩公佐竹氏の居城は「久保田城」の名で区別されました。

20180916b最初に歴史資料館で発掘された様子や出土品について予備知識を得てから、少し離れた史跡公園へ移動します。
史跡公園では、奈良期の技法で復元された東門や古代水洗厠舎があり、ボランティアガイドさんが詳しく説明してくれました。
中でも、復元された古代水洗厠舎は、緩い傾斜の木管で沼に流す方式で日本唯一の遺構です。出土した沈殿物の特徴から、大陸の渤海国からの使者が使ったと考えられています。

再び秋田市内に戻り、旧金子家住宅へ。
江戸後期に質屋・古着商を営み、明治期に呉服卸商として栄えた旧家で、昭和50年まで営業していました。江戸後期の間口に比べて奥が長い建物と、雪国ならではの屋内と連結した土蔵が公開されています(市有形文化財)。屋根には火除けの大きな水桶が載っています。

20180916c最後に、秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し会館)で竿燈を見学。
市内に伝わる秋田の竿燈(国重要無形民俗文化財)、土崎神明社祭の曳山行事(同)、広面赤沼の梵天祭を詳しく紹介するほか、秋田万歳(県無形民俗文化財)、下浜羽川の羽川剣ばやし(市無形民俗文化財)、金足黒川の黒川番楽(同)、太平山谷の山谷番楽(同)の解説もあります。
練習室も完備され、市内の民俗芸能の伝承のために練習の場を提供しています。

この日は上亀之丁竿燈会による実演で、大きな竿燈を自在に操る妙技を間近で見学。一番小さな「幼若」(重さ5kg)に挑戦しましたが、見るとやるとでは大違い、真っすぐ立てるのすら難しかったです。

秋田の旅はとても印象深いものでした。帰りは秋田南IC→東北道→常磐道で渋滞もなく23時ころ帰宅。
旅の機材は、初投入のオリンパスOM-D EM10Mk3+M.ZUIKO 14-42/3.5-5.6 EZ、ED 40-150/4.0-5.6 Rでした。

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2018/09/17

秋田・男鹿半島めぐり

真山から移動して、入道崎から半島をぐるっと巡ります。

20180915d入道崎は、日本海に突き出した男鹿半島の最北端で、断崖絶壁(高さ30m)と穏やかな芝生の大地、どこまでも青い日本海が織りなす大パノラマが絶景です。

入道埼灯台は、明治31年(1898)に設置された古い灯台で、高さ27.9m。一般公開されている数少ない灯台の一つで、日本の灯台50選に選ばれています。

大地には北緯40度のモニュメントがあり、地図石に日時計石を置いた「太陽の舞台」と、その周りを「波の石舞台」が取り巻く造形で、男鹿産の安山岩で造られています。
日時計石の海側に立つ「北斗の石」と、陸側に並ぶ4つの石を結ぶ線が真北のラインで、この真北ラインと陸側4番目の石で直角に交わるラインが北緯40度線になるようです(ちょっとややこしい)。
同じ緯度には、北京、マドリード、ニューヨークなどがあります。

お昼は数軒並ぶ土産物店で名物「時空を超えた海鮮丼」を堪能し、男鹿水族館GAOへ。

20180915e秋田県唯一の水族館で、秋田の県魚ハタハタや男鹿の海に生息する400種1万点の海洋生物を展示。寒い地域に住むホッキョクグマやアシカ、アザラシの生態も観察できます。
周辺の荒々しい海岸は、3000年前(古第三紀)に溶岩が固まったもので、男鹿半島・大潟ジオパークの一部です。

水族館ではちょうど大水槽やペンギン、アザラシ、アシカの給餌時間で、飼育係のお姉さんが解説しながら巧みに餌を与える様子を見ることができました。この日は汗ばむ陽気でしたが、ホッキョクグマの豪太くんも元気に動き回っていました。

荒々しい海岸線を見下ろしながら走り、赤神神社五社堂へ立ち寄ります。

20180915f貞観二年(860)に慈覚大師が開き、平安末期に天台密教の修験道場として発展。鎌倉期に比叡山を模して建て替えられ、江戸期には9か寺48坊あり、明治の神仏分離で赤神神社になりました。

駐車場には「五社堂へ徒歩20分」の案内板が…。入口に用意された竹杖を頼りに妻と登り始めましたが、鬼が一晩で積んだという999段の石段が延々と続き、相当きつい。日頃の運動不足を反省しながら、やっとの思いで五社堂へ辿り着きました。

静かな山中に同型式の社殿五棟が並び、とても珍しい光景です。現在の社殿は、江戸中期の再建で、向かって右から三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂(いずれも国重文)。秋田の昔話には、漢から武帝が連れて来た5匹の鬼を祀り、ナマハゲの起源となったという説も。
ともあれ、心静かに手を合わせると登りの苦労も吹き飛びました。が、すぐに下りの苦労が待っていましたけど…。

夕陽に染まる日本海を眺めながら海岸線をひた走り、男鹿半島を後にします。
二日目は秋田市内で泊。明日は秋田市内を巡ります。

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2018/09/16

秋田・男鹿のナマハゲ習俗

二日目は男鹿半島へ。まずはナマハゲ習俗を訪ねます。

20180915a男鹿半島に伝わるナマハゲ習俗は、大晦日(旧行は小正月)に怠惰や不和などの悪事を諫め、災いを祓いに山から降りてくる来訪神です。「悪いコはいねがー、泣ぐコはいねがー」と奇声をあげながら家中を探して暴れ回ります。家人は正装で出迎え、酒肴を振る舞ってナマハゲから問答を受け、丁重に送り返します。

半島の中央部・真山(567m)の麓にある「なまはげ館」は、真山地区に伝わるナマハゲの記録映像や、男鹿各地のナマハゲ110体を展示して、男鹿のナマハゲ習俗を詳しく紹介。隣接の古民家「男鹿真山伝承館」では実際にナマハゲの実演があり、その迫力と雰囲気を体感することができます。

20180915bまず先立がナマハゲの来訪を告げ、主人と挨拶を交わし、ナマハゲ2匹が現れます。
ナマハゲは、玄関でシコを7回踏むと家に上がり、「ウォー。泣ぐコはいねがー、怠け者はいねがー、親の面倒みない悪りい嫁はいねがー。ウォー」と奇声をあげ、床を踏み鳴らし、板戸をバンバン叩きながら家中を探し回ります。
主人がとりなして膳を勧めると、ナマハゲはシコを5回踏んで座につきます。
ナマハゲは、酒肴の接待を受けながら、主人と問答を始めます。稲の作柄に始まり、子らは言うことを聞くか、嫁は親不孝でないかなど、家人の悪行を聞き出そうとしますが、主人は家人を庇って善い事しか言いません。
すると、ナマハゲは台帳を取り出し、「本当だが?庇っても悪事は台帳に全部書いてあるど」と脅し、もう一回探すと言って立ち上がり、再び家中をウォー、ドタンバタンと暴れ回ります。
主人は、頃合いを見計らいナマハゲに餅の土産を持たせて丁重に見送り、ナマハゲはシコを3回踏むと来年の再訪を約束して去って行きました。

20180915cナマハゲ習俗は、かつて半島一円の集落で行われましたが、現在は徐々に姿を消しつつあるそうです(国重要無形民俗文化財)。

冬、働かずに囲炉裏にばかりあたっていると、手足にできる紅い斑紋(ナモミ)。ナモミは怠け者の証しで、これを剥いで懲らしめるナモミハギが「ナマハゲ」の語源とされます。
怠惰を戒め、家々の安全と子らの成長を見守るナマハゲの役割も、近年は少子高齢化で高齢者の見守りに変化しているとか。ともあれ、集落の安全を願うやさしい来訪神の行事がこれからもずっと続いて欲しいものです。

次は男鹿半島をぐるっと巡ります。

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2018/09/15

秋田・角館の武家屋敷

角館は、慶長七年(1602)、常陸から出羽に遷った藩主佐竹公が、一族の芦名氏の知行地とし、芦名氏断絶後は佐竹北家の所預り(支配地)となりました。

20180914c黒板塀の門構えや枡形に交差する路など、芦名氏が整備した町割りが今も残っています(重要伝統的建造物群保存地区)。

武家屋敷にほど近い宿にチェックインし、ぶらぶらと散策。黒板塀に沿って小田野家→角館武家屋敷資料館→岩橋家→石黒家→旧青柳家と歩きます。

小田野家は、佐竹北家組下の中級武士で、解体新書の挿絵を描いた小田野直武はこの家の本家筋です。建物は明治33年(1900)の大火後の再建(無料公開)。

20180914d角館武家屋敷資料館は、河原田家(修復工事中)の米蔵を改装して佐竹北家の陣幕や武具などを展示。愛好家グループが熱心に見入っていましたが、観光客にはちょっとディープな内容でした(有料施設)。

岩橋家は、芦名氏断絶後に佐竹北家組下となった中級武士(八十六石)です。建物は幕末の改修後の姿をそのまま伝えており、映画「たそがれ清兵衛」のロケでも使われました(無料公開)。

石黒家は、佐竹北家で勘定役を務めた上級武士(百五十石)です。薬医門は文化六年(1809)の建築で角館最古。座敷に上がって説明を聞きながら見学できる唯一の武家屋敷です(法人組織による有料公開)。

20180914e旧青柳家は、芦名氏断絶後に佐竹北家組下となり、最終的には百四石の家格でした。上級武士にしか許されない薬医門を特に許され、築200年を超えるの母屋のほか、広大な敷地に様々な展示館が点在して歴史テーマパークのようです。
小田野直武の親戚筋に当たる関係で直武が描いた解体新書附図などを展示した「解体新書記念館」もありました(法人組織による有料公開)。

武家屋敷の門構え、門前の馬つなぎ石や馬乗り石、黒板塀とのぞき窓、側溝の疎水と大威徳石の積石、樹齢百年以上の巨木が織りなす景観はとても風情があります。地元の人によれば、春の桜は美しいけれど、秋の落ち葉と冬の積雪(1.6m位)は大変だとのことでした。

初日は角館できりたんぽ鍋を堪能して泊。明日は男鹿半島へ向かいます。

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