2019/07/28

呉・てつのくじら館

大和ミュージアムから、すぐ隣の「てつのくじら館」(海上自衛隊呉史料館)へ。

20190728b 呉には、海上自衛隊の呉地方総監部と潜水艦の基地があります。てつのくじら館は、海自の「掃海部隊」と「潜水艦」を紹介した広報施設です。

展示は、2階が「掃海部隊」関係で、戦後の機雷処理~湾岸戦争での国際貢献までの歴史を機雷(模型)や掃海用具、パネルで解説。

3階が「潜水艦」関係で、潜水艦の構造、浮き沈みの仕組み、艦内生活の様子を模型やパネルで学んだ後、屋外の展示用潜水艦「あきしお」を見学する順路になっています。

「あきしお」(2250t)は、ゆうしお型の7番艦で、平成16年(2004)に引退後、展示用に陸揚げされました。海自のディーゼル涙滴型潜水艦としては第2世代に当たります。見学エリアは居住区画と発令室、魚雷発射管室の一部です(写真撮影可)。潜望鏡を通して沖に停泊中の護衛艦がよく見えました(ちなみにNikon製です)。

展示が少ないのと、隣の大和ミュージアムが旧海軍関係の展示で迫力があるので、やや見劣りする感は否めませんが、最高機密とされる潜水艦を、引退後とはいえ見学できる機会は貴重で良い経験になりました。

帰路は、呉→広→竹原→三原と各駅停車で海沿いを回るルートを選択。瀬戸内の穏やかな景色を楽しみながらのんびり帰りました。旅のお伴はOLYMPUS OM-D E-M10Mk3+M.ZUIKO D 14-42/3.5-5.6でした。

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呉・大和ミュージアム

広島から電車40分ほど、呉の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)を訪ねました。

20190728a 戦艦大和を生んだ軍港・呉の歴史と、造船・製鋼など科学技術の歩みを、先人の努力や当時の生活・文化の視点から紹介しています。

入場すると、1階フロアの中央にいきなり大和(1/10模型)が現れます。設計図や写真を基に、技術者らが精密復元して寄贈。全長26.3m、エンジンを搭載すれば航行可能だそうです。呉海軍工廠にドック入りした状態を再現しており、左舷ドック擁壁の一部に当時の石材(実物)が使われています。

呉の歴史展示では、明治期に鎮守府と海軍工廠が置かれて東洋一の軍港となり、戦時下の空襲を経て、造船で戦後復興を遂げた呉の歴史を、パネルや模型資料で解説。軍艦建造は最先端技術の集大成で、それを支えたのは技術者の知恵だったことがよく分かります。沖縄特攻に出撃する大和乗組員の遺書や遺品も展示され、後世の平和を願いながら悲壮な覚悟で出撃したことを知り、深く考えさせられました。

大型資料展示は、酸素魚雷、零戦62型、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などの実物を技術解説とともに展示。「海龍」後期量産型は、水の抵抗が大きい粗雑な造りで、戦争末期に熟練工がほとんどいなかったことを物語ります。

今回はボランティアさんのガイドツアー(約80分)で見学。展示内容と趣旨がよく理解できました。映画「この世界の片隅に」では呉空襲の様子が描かれていますが、地元ボランティアさんの空襲の話は実感がこもり迫力がありました。

企画展「海底に眠る軍艦」では、潜水調査で発見された「武蔵」「大和」の現状と、「大和」引揚げ品を展示。こちらの会期は2020年1月26日までです。

次は、海上自衛隊「てつのくじら館」に向かいます。

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2019/07/27

ヒロシマ

夏のよく晴れた日、広島の平和記念資料館を訪ねました。

20190727 今年4月にリニューアルしたと知り、広島で中~高校時代を過ごした者としては見ておかねばと思い、40年ぶりの再訪となりました。

リニューアル前は、被爆再現人形と瓦礫のジオラマの印象が強烈で、ショックを受けながらも原爆の凄惨さが伝わって、平和への想いを新たにしたものでした。

今回のリニューアルでは、被爆再現人形が(賛否両論ありながらも)撤去され、造作資料に替えて遺品や写真などの実物資料で、人々が「生きていた証」を感じさせる展示になっています。

順路も見直され、最初にヒロシマの被爆の実相を、最後に核兵器の現状に変更されました。短時間で回る見学者が多いのでより効果的に工夫したとのこと。時代とともに伝え方は変化しても、「歴史」とともに「記憶」をしっかり受け継ぐことの大切さを実感しました。

なお、館内は写真撮影可ですが、実物資料は遺品でもあるのでにカメラを向けるのが憚られ、写真はありません。

原爆死没者慰霊碑には、昔と変わらず「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。手を合わせながら、キャロル・グラック教授(米コロンビア大)の「抽象的に『繰り返さない』と言うだけでは決して十分でない。なぜそれを防ごうとしないのかという、現在における我々の、人間としての責任の話だ」という言葉を思い出しました。

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2019/05/05

ひたち海浜公園

めんたいパークからひたち海浜公園へ。

20190505b_20190810100801 平成3年に開園した国立の自然公園で、花や草木の名所として、5月のネモフィラ、10月のコキアのシーズンは首都圏から大勢の人が訪れます。

中央ゲートから遊園地エリアを通って自然の森を抜けると、みはらしの丘です。ちょうどネモフィラが最盛期で、青く染まった丘の風景は圧巻でした。

GWで人出が多く、丘の小径は渋滞気味。どの方向にカメラを向けても人が写り込みますが、逆に広さが協調できていいかも。丘の頂上から海側の眺めはさぞや…と思いましたが、工業港と原電だけでやや興ざめ。丘は下から眺めるのがベストなようです。

遊園地エリアに戻って大観覧車「ブルーアイズ」へ。ネモフィラの英名にちなんだ青い観覧車は、地上65m、1周約15分。眼下に園内の全景と原電の様子が一望できます。

秋にはコキアで赤く染まった丘をぜひ見に来たいと思いました。

帰路は、ひたち海浜公園ICから北関東道→常磐道→外環道と渋滞もなく帰宅。旅のお伴はOLYMPUS E-M10Mk3+M.ZUIKO D 14-42/3.5-5.6でした。

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大洗・めんたいパーク

妻と茨城・大洗町の「めんたいパーク大洗」へ。今回は下の娘も一緒です。

20190505 外環道→常磐道と走り、水戸大洗ICからR51で大洗へ。

めんたいパークは、明太子の老舗・かねふくが全国4か所(大洗・常滑・神戸三田・大阪ATC)で運営する明太子のテーマパークで、大洗はその最初の施設だそうです。

館内に入るといきなり工場直売店ですが、まずは奥に進んでスケソウダラの知識を学ぶトンネルギャラリーへ。

スケソウダラの「鳴声」を再現した音響ゾーンやパネル、映像を見たりしながらトンネルを抜けると、明るく近代的な工場に直結。

ガラス越しに製造工程を見学…のはずが、祭日でラインは停止中。一部の作業のみ見学して、直売店に戻りお土産を購入。フードコートでは、できたて明太子のおにぎり(おいしい)と明太子ソフトクリーム(微妙)が大人気でした。

わが家は明太子が大好物なので、なかなか面白かったです。GW後半とあって、館内は家族連れで大混雑でした。

次は、ネモフィラが見ごろのひたち海浜公園へ向かいます。

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2019/05/04

埼玉・サイボク(埼玉種畜牧場)

妻と一緒に、埼玉・日高市のサイボクハム(埼玉種畜牧場)本社に行ってきました。

20190504 種豚と肉豚の育成から肉製品への加工、販売までを自社で行っている食品加工メーカーで、欧州の食品品質コンテストで金メダル常勝の実力派です。最近ではアド街などTVで取り上げられて、埼玉県外にも知られるようになりました。

創業は、戦後、フィリピンから復員した笹﨑龍雄氏(故人)が「食こそ人間の根本」として、昭和21年(1946)、日高に育種牧場を開いたのが始まりです。

肉(ミート)の理想郷(ユートピア)を目指す「ミートピア構想」を掲げて、日高の本社工場には直売ショップ、レストラン、農産物直売所、日帰り温泉施設やミニアスレチックなどが併設され、ちょっとしたテーマパーク的な複合施設になっています。

この日は、GWイベント「とこトンまつり」を開催中。諸国うまいもの市や和菓子販売なども出て、家族連れなどで場内は大混雑でした。ちょうどお昼どきだったので、屋外のフードコートで一番人気のスペアリブ(土日祝限定)とノンアルビールでBBQ気分を味わいました。

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2018/12/17

伊香保・温泉神社と美術館

二日目は伊香保神社(温泉神社)と美術館を巡ります。

20181216a伊香保神社は、365段の石段の最上段に鎮座し、大国主命と少彦名命を祀ります。
伊香保温泉の石段が整備されたのは戦国時代で、そのころにはすでにこの地にあったようです。

境内には、明治11年(1877)の伊香保大火後に再建された仮宮と小さな神楽殿があります。解説板によると、毎年9月の例祭には神輿が出て、伊香保祭囃子(市無形民俗文化財)が奏されるようです。

20181216b続いて、温泉饅頭を求めて神社下の饅頭屋さんへ。

創業は明治43年、江の島・片瀬饅頭にヒントを得て、伊香保の湯(茶褐色)をイメージした湯乃花饅頭を考案。昭和天皇の陸軍特別大演習賜天覧御買上で全国に知られ、ここから各地に温泉饅頭が広まったそうです。
朝の開店直後でしたが有名店だけに長蛇の列…。気温-3度の中、しばらく並んでホカホカのできたてを頂きました。

伊香保の石段街を離れ、伊香保保科美術館へ移動。

20181216c竹久夢二、現代日本画家、友永詔三の木彫などの作品を収集・展示した私設美術館です。
特に大正~昭和にかけて活躍したデザイナー小林かいちの作品コレクションは国内唯一で、楽しみにしていました。

かいちは、京都を拠点に絵葉書・絵封筒のデザインを手がけたデザイン画家で、トランプや十字架など西洋的なデザインを取り入れ、アール・デコ調の作品が人気を博しました。デザイナーの先駆けですが、その人物像は謎で、幻のデザイン画家と云われます。

絵葉書・絵封筒やマッチ箱など小作品が中心ですが、独特の色彩とタッチで女性観を描いたレトロモダンな作品を堪能しました。

20181216d最後に、伊香保切り絵美術館へ。
切り絵作家の佐藤源治氏とお弟子さんの作品を展示した私設美術館です。
入館すると切り絵について詳しい説明があり、作品の鑑賞ポイントがよく分かります。

白と黒で光と影を表現する切り絵は、緻密に光を計算し尽くして表現する白黒写真との共通点が多い気がします。展示作品は作家ごとに作風が異なり、彩色セル画のような作品もあって奥深さを感じました。

切り絵体験では、手先が器用な妻が挑戦。用意された下絵を選び、黒い紙を敷いてカッターで切り抜いていきます。作家さんが一番大変なのは下絵描きで、切り抜きの失敗はないそうですが、なかなか難しかったようでした。

この後、舞茸センターと農産物直売所に立ち寄り、関越道が混む前に帰宅。旅の機材はOLYMPUS OM-D E-M10III+M.ZUIKO D 12-40mm/f2.8 PROでした。

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2018/12/16

伊香保・源泉かいわい

水沢観音から北上して伊香保温泉の源泉へ。

20181215c伊香保の石段街を過ぎ、街道を左に逸れて河鹿橋へ。さらに5分ほど歩けば源泉に辿り着きます。

発見は1300年以上前で、泉質は硫酸塩泉、泉温は40~43度、湧出量は毎分4000リットル前後だそうです。無色透明ですが、酸素に触れると茶褐色に変わります。

源泉は透明なドームで保護され、地中からじわっと湧き出ています。そばに公共露天風呂があり、途中には源泉を飲める飲泉所があります。試しに舐めると、錆びた釘の味がしてかなり強烈でした。

源泉は石段に沿って湯樋(大堰)を流れ、湯口の樋(小間口)で9軒の源泉所有者(旅館)に権利分に応じた量が厳格に引湯され、引湯量により湯坪の大きさも決められたそうです(伊香保温泉特有の小間口制度)。

20181215dこの日は、伊香保関所跡とハワイ王国公使別邸(市史跡)も見学。

伊香保関所は、江戸幕府が寛永八年、三国街道の裏往還の要所だったこの地に置いた口留番所(正規の関所の要件に満たない小規模な番所)です。
現在は建物が復元され、関所に関する資料を展示しています(無料公開)。

20181215eハワイ王国公使別邸は、旧ハワイ王国駐日公使ロバート・W・アルウィン(1844-1925)の別荘を移築したものです。
氏は、慶応二年(1866)に駐在員として来日。明治14年(1881)に同国総領事に任命され、翌年、日本女性と結婚(日本初の国際結婚)。のち代理公使となり、ハワイへの日本人移民事業に尽力しました。
毎夏を伊香保の別荘で過ごし、地元では「アルウィンさん」と親しまれ、終生を日本で過ごしました。

現存する数少ない旧ハワイ王国ゆかりの史跡で、当時は平屋と二階建ての別棟がありました。併設のガイダンス施設ではハワイと日本、アルウィン家と伊香保の関係が詳しく分かります(無料公開)。

伊香保は先週の降雪が所々に残り、寒さで凍えます。早々に引き上げ、石段街の宿に撤収しました。

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2018/12/15

伊香保・水沢観音

師走の週末、妻と伊香保に行ってきました。

関越道から旧水沢街道を北上し、途中で水沢観音に立ち寄ります。

20181215a正式には五徳山水澤観世音(天台宗)といい、開創は1300年以上前、高麗の恵灌僧正によると伝わります。往時は30余堂を有する大寺でしたが、度々焼失し、元禄年間に徳川幕府が祈願所として再建しました。

参道石段の途中に仁王門(市重要文化財)、境内に観音堂(同)、六角二重塔(県重要文化財)、釈迦堂などがあります。

仁王門は、狩野派の絵師・狩野探雲の龍図が天井で睨みをきかせています。
観音堂は、軒唐破風の丸瓦に葵紋が入り、本尊の十一面千手観音菩薩(秘仏)を祀っています。
六角二重塔(上の写真)は、六角輪転の台座に六地蔵と大日如来を安置した輪蔵で、参拝者が左に3回廻して供養できる仕組みです。
釈迦堂は、平成の大修復で完成した近代的な「宝物殿」です。寺宝の円空作・一刀彫り阿弥陀如来坐像などを収蔵しています(特別無料拝観中)。

20181215bちょうど昼時になり、門前で水沢うどんの昼食。

讃岐(香川)・稲庭(秋田)と並ぶ日本三大うどんの一つで、その昔、参拝客に出したうどんが評判となりました。門前の街道筋に立派な構えのうどん屋が建ち並び、どこに入るか悩みます。
今回は、老舗の1軒でざるうどんと舞茸の天ぷらを頂きました。

次は、伊香保の源泉を目指して北上します。

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2018/09/18

秋田・秋田市内の文化財めぐり

三日目は秋田市内を巡ります。

20180916aまずは秋田市立赤れんが郷土館へ。
明治末期に旧秋田銀行本店として建築された建物で、外観は白タイルと赤レンガのお洒落なルネサンス様式、内装は高い天井の格調高いバロック様式です(国重文)。

豪華な内装もさることながら、郷土館ということで、秋田出身の鍛金家・関谷四郎(人間国宝)の作品を展示した記念室と、生涯秋田を離れず独特の刻線と色彩で習俗を描き続けた版画家・勝平得之の作品を展示した記念館を併設しており、どちらも興味深かったです。

続いて、郊外の秋田城(出羽柵)跡へ。
奈良期(733)に蝦夷対策として山形から移され、出羽国府が置かれた最北の古代城柵官衙遺跡です(国史跡)。ここを秋田城と呼ぶため、江戸期の藩公佐竹氏の居城は「久保田城」の名で区別されました。

20180916b最初に歴史資料館で発掘された様子や出土品について予備知識を得てから、少し離れた史跡公園へ移動します。
史跡公園では、奈良期の技法で復元された東門や古代水洗厠舎があり、ボランティアガイドさんが詳しく説明してくれました。
中でも、復元された古代水洗厠舎は、緩い傾斜の木管で沼に流す方式で日本唯一の遺構です。出土した沈殿物の特徴から、大陸の渤海国からの使者が使ったと考えられています。

再び秋田市内に戻り、旧金子家住宅へ。
江戸後期に質屋・古着商を営み、明治期に呉服卸商として栄えた旧家で、昭和50年まで営業していました。江戸後期の間口に比べて奥が長い建物と、雪国ならではの屋内と連結した土蔵が公開されています(市有形文化財)。屋根には火除けの大きな水桶が載っています。

20180916c最後に、秋田市民俗芸能伝承館(ねぶり流し会館)で竿燈を見学。
市内に伝わる秋田の竿燈(国重要無形民俗文化財)、土崎神明社祭の曳山行事(同)、広面赤沼の梵天祭を詳しく紹介するほか、秋田万歳(県無形民俗文化財)、下浜羽川の羽川剣ばやし(市無形民俗文化財)、金足黒川の黒川番楽(同)、太平山谷の山谷番楽(同)の解説もあります。
練習室も完備され、市内の民俗芸能の伝承のために練習の場を提供しています。

この日は上亀之丁竿燈会による実演で、大きな竿燈を自在に操る妙技を間近で見学。一番小さな「幼若」(重さ5kg)に挑戦しましたが、見るとやるとでは大違い、真っすぐ立てるのすら難しかったです。

秋田の旅はとても印象深いものでした。帰りは秋田南IC→東北道→常磐道で渋滞もなく23時ころ帰宅。
旅の機材は、初投入のオリンパスOM-D EM10Mk3+M.ZUIKO 14-42/3.5-5.6 EZ、ED 40-150/4.0-5.6 Rでした。

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