2020/08/14

夏季展「坂川・江戸川 水景色」

松戸市の戸定歴史館で開催中の「坂川・江戸川 水景色」展に行ってきました。

20200814この企画展は、明治期に松戸に移り住んだ最後の水戸藩主・徳川昭武が趣味で撮影した古い松戸の風景などの古写真を通して、地域の変遷を辿っています。

展示は、第1章「坂川」、第2章「松戸徳川家の誕生」、第3章「徳川家の夏休み」、第4章「江戸川」の4部構成です。

「坂川」では、好んで撮った水辺風景や農作業をする庶民など、写真14点を紹介(右の写真は同じ場所で2017年撮影)。
「松戸徳川家の誕生」では、明治25年の分家の際、水戸徳川家から贈られた御譲品(おゆずりひん)など21点を展示。
「徳川家の夏休み」では、旅行先での家族や風景など、写真10点で華族の夏休みを紹介しています。
「江戸川」では、当時の松戸・市川・小岩の風景など、写真4点で当時の江戸川流域の風景を伝えます。

この企画展は、夏季展として定期的に開催されています。写真が高価だった時代、日常生活を記録した写真は貴重な歴史資料ですし、現在との対比が面白い企画展示になっています。

夏季展「坂川・江戸川 水景色」は、9/13(日)まで開催中です。

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2020/02/01

来訪神・仮面仮装の神々の現在~東北・北陸地方を中心に

国立歴史民俗博物館で行われた映画の会「世界無形文化遺産 来訪神・仮面仮装の神々の現在~東北・北陸地方を中心に~」に行ってきました。

20200201今回は、歴博研究部民俗研究系の川村清志氏が撮影・編集した「来訪神の今ーナマハゲ・アマメハギ・スネカ」(2020)の上映と解説でした。

ナマハゲ(秋田・男鹿半島)は、大晦日の夜、異形の仮面を付けて家々を廻り、怠け者の行状を諫めます。
アマメハギ(石川・能登半島)は、天狗・ガチャ(角のない鬼)2人・猿の4人で家々を廻り、ノミと槌を打ち鳴らして暴れ、家人の行状を諫めます。
スネカ(岩手・大船渡地方)は、異形の仮面に蓑をまとい、包丁を持って数人で家々を廻り、家人の行状を諫めますが、現在は中学生が扮して行われています。

いずれも家々の繁栄と豊穣を祈る来訪神で、家人を諫める過程で子供を威すのは郷中教育の一種です。しかし、民俗芸能は、世界無形文化遺産登録などで地域外にも知られるようになると、地元の想いとは無関係に、メディアの要望や海外からの誤解など様々な外的要因の影響を受けて芸能が変容する現実があり、東北・北陸地方の芸能もその局面にあるようです。他方、変容を避けるため外の影響を厳しく遮断(撮影・録音・メモ取りを禁止)して文化財化を拒むアカマタクロマタ(沖縄・八重山諸島)の例も紹介され、民俗行事の伝承と記録・公開の在り方(資源化)について深く考えさせられました。

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2020/01/10

特別公開「高御座と御帳台」

東京国立博物館で開催中の特別公開「高御座と御帳台」に行ってきました。

20200110「即位礼正殿の儀」(令和元年10月22日)で用いられた高御座・御帳台と、儀式に使われた威儀物が無料で公開されています。

高御座は、大正天皇即位の際に製作され、高さ6.48m・幅6.06m・奥行5.45m。黒漆塗りの基壇に朱塗りの高欄をめぐらせ、八角形の天蓋を8本の円柱で支えています。天蓋に大鳳凰、8つ角の蕨手に小鳳凰、蓋縁は華形・鏡光・瓔珞で装飾されています。内部は中央に御倚子(ごいし)が、その左右に剣璽と国璽・御璽を置く案(あん)が置かれています。

御帳台は、大正天皇以降に用いられるようになりました。造りは高御座とほぼ同じですが、高さ5.67m・幅5.3m・奥行4.77mとやや小ぶり。天蓋に瑞兆の鳥である鸞(らん)を載せ、蕨手や蓋縁の装飾が少なく、内部は御倚子のみなどの違いがあります。

展示は、第一会場にガラス越しで高御座・御帳台(撮影可)、第二会場に威儀物(太刀・弓・鉾・盾)と従者(武官・文官・女官)の装束再現が展示されています。無料公開なのに展示図録の小冊子も用意され、充実しています。

特別公開は1月19日(日)まで。会期後は、高御座と御帳台は解体されて京都御所に戻るそうです。

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2019/12/23

十二月大歌舞伎

妻と一緒に、歌舞伎座で公演中の「十二月大歌舞伎」を観に行ってきました。

20191223夜の部で、演目は「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」と「本朝白雪姫譚話(ほんちょうしらゆきひめものがたり)」でした。

「神霊矢口渡」(67分)は平賀源内の原作。強欲非道の渡し守・頓兵衛(尾上松緑)が褒美欲しさに落ち武者(坂東亀蔵)とその愛人・うてな(中村児太郎)を討とうとするのを、頓兵衛の娘・お舟(中村梅枝)が命を賭して防ぐ悲恋の物語です。後段の頓兵衛とお舟の激しい掛け合いが見せ場で、松緑の憎々しさと梅枝の女形が見事な作品でした。

「本朝白雪姫譚話」(113分)は、グリム童話「白雪姫」を素材にした新作歌舞伎です。実の母・野分の前(中村児太郎)から美しさを妬まれ、いじめられる白雪(坂東玉三郎)。暗殺を命ぜられた家臣・新吾(中村獅童)に命を助けられ、七人の妖精と山中で暮らしますが、老婆に扮した野分の前から毒リンゴを食べさせられ…。おなじみの童話を通じて、人間の欲望と不安、狂気を描いた大胆な作品でした。

歌舞伎座は初めてでしたが、1階席の3列目で花道のそばだったので、演者の生の声や表情を大迫力で感じることができました。イヤホンガイドの解説で場面の展開がよく分かり、楽しめました。ホールで買い求めた「筋書き」も、丸山勉作「令月枝垂梅」の表紙で、令和にちなんだ粋な趣向でした。

難しいイメージがある歌舞伎ですが、意外と分かりやすく、また別の演目を見てみたいと思いました。

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2019/12/04

大嘗宮と「大嘗祭」展

妻と一緒に皇居東御苑「大嘗宮一般参観」と國學院大學博物館「大嘗祭」展に行ってきました。

20191204a大嘗宮は、「大嘗祭」を行うため特別に設けられた祭場です。東の悠紀殿、西の主基殿、中央の廻立殿を中心に、東西の神饌を用意する「膳(かしわ)屋」と付属建物で構成されています。

大嘗祭は、即位後の天皇が皇祖神に神饌を捧げ、国の安寧と豊穣を祈る祭祀です。廻立殿で身を浄め、卜占で選ばれた東日本(悠紀地方)と西日本(主基地方)の神饌田で採れた新穀を悠紀殿と主基殿で捧げます(今回は11/14夜~15未明に催行)。

この日は、乾通り秋季一般公開中で、坂下門から乾通りの紅葉を見ながら、西桔橋から大嘗宮へ。ものすごい人出で坂下門から大嘗宮まで約2時間半かかりました。一般参観は12/8(日)までです。

20191204bより深く知るために、國學院大學博物館で開催中の「大嘗祭」展へ足を延ばしました。

この企画展は、「大嘗祭とは?-歴史と目的ー」「神に供える米ー新穀の準備ー」「大嘗祭の場ー大嘗宮 悠紀殿・主基殿ー」「天皇の神事ー神饌供進ー」「祭りのあとの祝宴ー節会ー」「吉田家文書と大嘗祭」の6テーマで大嘗祭の意味に迫っています。

同大学所蔵資料と解説で、大嘗祭は壬申の乱(672)で乱れた国の安寧を願い天武・持統天皇の時代に始まり、南北朝期や応仁の乱後の中断を経て江戸中期に桜町天皇が再興(1738)したこと、即位が7月より前ならその年の、後なら翌年の11月二の卯日に行われること、悠紀殿と主基殿は、もとは両地方の人々が七日前から建て始め、五日間で竣工し、祭祀が終わるとすぐに取り壊したこと、両殿内で行われる神事と作法、捧げられる神饌の模型など、非公開で行われる大嘗祭がよく分かる好企画です。

國學院大學博物館は、常設展示の考古祭祀と神道関係が充実しています。企画展「大嘗祭」の展示図録は早々に完売で手に入らず残念でした。こちらの会期は12/22(日)までです。

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2019/12/01

お浜降りセミナー2019(2)

千葉県博図公連携事業の「お浜降りセミナー2019」。

第2回セミナーが君津市立中央図書館の視聴覚室で行われました。

20191201

この日は、1講「神輿の起源と祭礼」(國學院大學・笹生衛氏)、2講「お浜降り習俗と潮の民俗」(日本民俗学会・田村勇氏)、3講「福島県浜通りの浜下りと漂着神伝承」(元福島県立博物館・佐々木長生氏)、4講「映像資料・南相馬市男山八幡神社のお浜下り」(南相馬市博物館)の上映でした。

1講では、特定の場所に坐す神が移動するようになったのは何故か、その手段としての神輿の起源とその展開を考察し、渡御行列が祭礼へと変化していく様子を古絵巻などから考察。分かりやすい解説で、富津・吾妻神社の神馬が古態を残す貴重な祭礼であることを再認識しました。

2講では、安房地方の浜降り習俗を「潮」(海)の視点から考察。南房総をフィールドとする講師ならではのアプローチで興味深かったです。

3講は、福島県内の浜下りの信仰形態と作神系・漂着神伝承の関係を紹介。詳細な参考資料を提供いただき、地域差の存在を再確認できました。

セミナーも2回目となり、具体的な祭礼を詳細に分析した各論的な解説で面白くなってきました。今後も継続的にセミナーを開催するそうなので楽しみです。

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2019/11/23

お浜降りセミナー2019(1)

千葉県博図公連携事業として県立中央博物館が開催する「お浜降りセミナー2019」。

20191123第1回セミナーが柏市・東葛テクノプラザで行われました。

この日は、1講「東日本のお浜降り行事」(東京文化財研究所・菊池健策氏)、2講「神輿が海に帰る祭り―房総のお浜降り点描-」(江戸川大学・高橋克氏)、3講「記録映画・房総のお浜降り習俗(普及編)」(文化庁)の上映でした。

1講では、西日本の「浜下り」と東日本の「浜降り」の相違点、東日本の浜降り行事として「東・西金砂神社の大祭礼」(常陸太田市)、「大國魂神社の御潮取り神事」(いわき市平)、「鹿島日吉神社の浜下り」(南相馬市)、「三山の七年祭(磯出祭)」(船橋市)を例に、東日本の特徴を解説。

2講では、房総の浜降り祭礼を駆け足で紹介し、内容を概観。中でも、今では見られない浮島渡しの様子(鋸南)、船形祭礼の御浜出(館山)、寒川神社お浜降りの復活前(千葉市中央区)の写真と解説は大変興味深いものでした。

今回は総論的な話が多く既知感がありましたが、解説を聞きながら、各地の祭礼を撮影に訪れた際の苦労が思い出されて楽しかったです。急な会場変更(県民プラザの機材故障とか)と悪天候で聴講者が少なかったのが残念でした。

第2回のセミナーは、12月1日に君津中央図書館で行われます。

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2019/11/03

企画展「オビシャはつづくよ400年~年のはじめの村まつり~」

関宿城博物館(野田市)で開催中の企画展「オビシャはつづくよ400年~年のはじめの村まつり」に行ってきました。

20191103この企画展は、南関東の利根川流域を中心に見られるオビシャ行事を、名前の謎・地域差の謎・組織の謎・儀式の謎・始まりの謎・村の願いと楽しみのテーマに分けて考察。オビシャの本質に迫る好企画です。

この日は、関連事業として行われた講演会「オビシャ、四百年 祭りのはじまり、村の歴史」を聴講。講師は民俗学者の水谷類氏(元明大講師)です。

柳田国男はオビシャの原型は歩射(弓射)の神事であるとしましたが、弓射を伝えない地域が多いのは何故か、南関東に集中している理由、各地域のトウワタシ儀式に共通性が見られるのは何故か、400年以上遡れないのは何故かなど最新の研究成果を紹介。

オビシャ行事を撮影していると地域ごとに弓射・作り物・盃事など様々な形態があり、柳田説に違和感を感じていた私には、とても勉強になりました。

講演会の前、講師の展示解説に同行させてもらいましたが、まだまだ知らない形態のオビシャがたくさんありました。詳細な図録(800円)は、数少ないオビシャをまとめた資料として必携です。

この企画展は、12月1日まで開催しています。

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2019/07/06

来訪神・仮面仮装の神々の現在~南西諸島を中心に

国立歴史民俗博物館で行われた映画の会「世界無形文化遺産 来訪神・仮面仮装の神々の現在~南西諸島を中心に~」に行ってきました。

20190706 歴博映画の会は、歴博が製作・収集した民俗・歴史分野の記録映画を、研究者の作品解説とともに公開している講座です。

今回は、「甑島のトシドン」(1979、民俗文化映像研究所)と「石垣島川平のマユンガナシ」(1982、東京シネマ新社)の上映と、解説は歴博研究部民俗研究系の内田順子氏でした。

甑島のトシドンは、鹿児島県の下甑島に伝承される正月行事です。大晦日の夜、異形の仮面を付けて家々を廻り、子どもらの行状を諫めて去って行く来訪神です。郷中教育の一種ですが、近年は希望者が「トシドン申込書」で申し込み、申し込んだ家だけを廻るように変容したとか。

マユンガナシは、沖縄県の石垣島に伝承され、笠に蓑をまとい、棒を持って家々を祝福して廻る来訪神です。農耕の予祝儀礼の一種と考えられており、現在も続くのは川平地区のみだそうです(原則として非公開、写真撮影不可)。

いずれも存続が危ぶまれる民俗行事で、映像記録による保存・継承の大切さを実感しました。他方、トシドンでは、本来地域ごとに様々な扮装で行われていたところ、記録映画の完成後は映像内の扮装が「スタンダード」とされて地域性が消えたなどの影響が報告され、映像記録による保存の副作用についても考えさせられました。

このテーマでは、2020年2月に東北編が予定されているので、楽しみです。

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2019/06/23

行田無線塔~天に聳ゆる無電塔~展

船橋市飛ノ台史跡公園博物館で開催中の「行田無線塔~天に聳ゆる無電灯~」展に行ってきました。

20190623Googleマップで見ると、行田には不思議な円形道路があります。ここには旧船橋海軍無線電信所がありました。

日露戦争後、海軍の行動範囲拡大に伴い、大正4年(1915)に開設。高さ200mの主塔を中心に、半径400mの円周に副塔18本が建つ巨大な施設でした。翌年、逓信省の電信局を併設し、大正天皇が米ウィルソン大統領と電文を交換したりしています。

昭和初期に自立型の6本鉄塔(高さ182m)に大改修。開戦時は、ハワイ奇襲に向かう艦隊に「ニイタカヤマノボレ」を打電しました。戦後、米軍に接収され、昭和41年(1966)に返還。昭和46年(1971)に鉄塔が撤去されるまで、6本鉄塔は永く船橋市民のシンボルとなっていました。跡地は団地や学校、県立公園に変わり、無線塔のあった風景は市民の記憶から消えつつあります。

今回の企画は、船橋在住の鈴木秀一・秀幸氏が製作した精密な復元模型を中心に、行田無線塔の歴史を写真や資料で解説。地域の歴史にスポットを当てた地元の博物館ならではの好企画です。会期は6月30日(日)まで開催中です。

上の写真は、行田公園内にある「船橋無線塔記念碑」。円形道路のかつての中心付近にひっそりと立っています。

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