2017/06/04

我孫子・布佐ひょっとこ睦の里神楽

我孫子市・湖北地区公民館ホールで行われた布佐ひょっとこ睦の江戸里神楽「八雲神詠」を撮影。

20170604布佐ひょっとこ睦は、地元・竹内神社の祭礼で2丁目の山車でお囃子を演じるほか、湖北・安食(成田)・六軒(印西)・布川(茨城)の祭礼で活動されています。

今回は結成40周年記念公演で、第一幕としてお囃子(葛西囃子・江戸囃子・踊り囃子(仁羽・投げ合い))と里神楽(寿獅子・大黒舞・両面踊り)が、第二幕として里神楽(三番叟・八雲神詠)が演じられました。

江戸里神楽「八雲神詠」は、高天原を追放された須佐之男命が、出雲を通りかかった際、国津神の老夫婦の娘(櫛名田比売命)を助けるため、一計を講じてヤマタノオロチを退治する物語です。
〆で須佐之男命が日本初の和歌となる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と詠い、舞い納めます。

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 第一幕
葛西囃子→江戸囃子→踊り囃子(仁羽・投げ合い)→寿獅子・大黒舞・両面踊り
14:15~ 休憩
14:30~ 第二幕
三番叟→五人囃子→八雲神詠
16:00ころ 終了

【メモ】
布佐竹内神社の祭礼で山車で演じられる里神楽と異なり、「八雲神詠」は長編の面芝居。八岐大蛇、須佐之男命、老親(足名椎命と手名椎命)、櫛名田比売命が登場する5人舞で、約50分間の熱演だった。第一幕・二幕とも見応えがあり、お囃子や舞で子供たちが活躍していて頼もしい。
大勢の観客で客席は8割方埋まり、後方ではVTR撮影の人が数人。ホールに駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/05/28

浦安・水神祭(再現行事)

浦安市の境川で再現された水神祭を撮影。

20170528浦安の水神祭は、かつて漁師町だった堀江・猫実地区で行われた祭事です。

戦前は毎年6月巳の日(戦後は6月第二週前後の日曜日)に、境川から数十隻の舟を連ねて、沖合に立てた「水神様のボンギ」(棒の木)に向かいます。ボンギでは、神職が御神酒と稚貝を撒き、神楽や囃子を奉納して、海の神様に豊漁祈願と海難者供養をしました。

昭和46年(1971)、海の埋立てが進み、浦安の漁師が漁業権を全面放棄して舟を降りると、水神祭も廃絶しました。

平成9年(1997)に一度再現されて以来、今回は20年ぶりの再現。大漁旗を掲げた「御座舟」を先頭に、猿田彦と浦安囃子保存会が乗る「音舟」、神楽を舞う「踊り舟」、おひねりを網で受け取る伴舟に、浦安細川流投網保存会の「投網舟」の5艘が、境川を往復しました。

【この日の進行スケジュール】
13:45~ 水神祭(再現行事)
境川のあけぼの橋~江川橋間400mを往復
14:20ころ 終了

【メモ】
かつてはべか舟が雑然と係留され、漁師町独特の趣があった境川。放置船が撤去され、きれいに護岸された川では、毎年「カフェテラスin境川」イベントが開かれる。今回は、そのイベント行事の一つとして催行。御座舟と音舟は伝馬船、踊り舟はべか舟、伴舟と投網舟はFRP漁船が使われた。ボンギは、漁師が水路や漁場の目印として沖合に立てた棒で、「棒の木」がなまったもの。現在の浦安市役所から南はすべて埋立地で、かつてボンギが立っていた浅瀬は住宅団地に姿を変えている。漁師の舟が待ち合わせた「待ち合わせのボンギ」の跡は、現在の入船中央エステート内に説明板がある。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2016/06/04

千葉開府890年祭

千葉中央公園で行われた千葉開府890年祭のイベントに行ってきました。

20160604「千葉」の地名は、平安末期~鎌倉期にこの地を治めた千葉氏がルーツです。

大治元年(1126)、千葉常重が亥鼻(今の千葉市)に本拠を移し、その子常胤は、房総に逃れた源頼朝を助けて源平合戦を戦い抜き、鎌倉幕府の樹立に貢献しました。
千葉氏の武士団は、幕府の信頼が厚く、奥州征伐や元寇で活躍し、恩賞として東北や九州に領地を拡大しました。全国の領地には、常胤の6人の子(千葉六党)が遣わされ、武蔵千葉氏(東京)、会津相馬氏(福島)、亘理武石氏(宮城)、郡上東氏(岐阜)、小城千葉氏(佐賀)などを名乗りました。

鎌倉中期以降は度重なる内紛で一族が分裂。戦国期には小田原北条氏に付きますが、豊臣秀吉の小田原征伐(1590)で北条氏とともに滅亡しました。

今年は、常重が亥鼻に本拠を移してから890年の節目の年。千葉市が中心になり、開府祭や千葉氏サミット、まんが「千葉常胤公ものがたり」出版など、様々な企画でお祝いムードを盛り上げています。
今日のイベントでは、メインステージで太鼓パフォーマンス、市民参加によるチャンバラ大会、甲冑試着体験などが行われました。周辺には、十数店の屋台やキッチンカーが並ぶ「千葉氏カフェ」も出現。

認知度が低いのか、人出はそれほど多くなく、やや盛況さに欠けた感はありましたが、白熱したチャンバラ大会が面白かったです。
私的には、お目当ての「千葉氏どらやき」(虎屋さん謹製)と「千葉のつきと星」(成田米屋さんほか)を購入できたのでよかったです(「千葉開府890年巾着袋」(辻忠商店さん)は品切れで残念でした)。

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2014/06/15

東金・道庭の獅子舞

東金市道庭の稲荷神社で奉納された獅子舞を撮影。

20140615毎年6月中旬の日曜日、五穀豊穣と村内安全を祈願して、神社拝殿と公民館で舞われます。

この獅子舞は、江戸期から伝わるとされ、昭和31年ころまで神社祭礼で奉納されていましたが、舞手と囃子方の後継者難で長く中断。地元の皆さんの熱意で、隣区の二又から鼓を習い、平成8年に復活しました。
現在は、道庭獅子連保存会の皆さんが伝承しています。

舞は、平神楽で「布舞」「幣束舞」「鈴舞」「くるい」の4種類です。現在は、大人の舞いに続いて、子獅子(高校生と中学生)による「くるい」も演じられ(左の写真)、後継者が育っています。

【この日の進行スケジュール】
8:30~ 式典(稲荷神社)
8:50~ 獅子舞奉納(雌獅子による平神楽→子獅子による狂い)
10:00~ 獅子舞奉納(道庭公民館、演目は同じ)
10:30ころ 終了

【メモ】
道庭地区の産土様・稲荷神社は、農耕を司る宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)を祀る。神職はおらず、式典は区長さんが代行。婦人講が太鼓を打ち鳴らし、御神酒で乾杯後、獅子舞を奉納。獅子は、古い祠を覆う「さや堂」方式の本殿に向き、拝殿と本殿をつなぐ幣殿部分で舞う。幣束舞では「千早ふる天の岩戸を押し開く」と謡いが入る。見物人は地元の古老が数人、カメラマンは4人。神社に駐車場なし(公民館周辺にスペースあり)。詳しく教えていただいた保存会の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/06/24

東金・武射神社夏越の神事

東金市上武射田の武射神社で行われた夏越神事を撮影。

Dsc_3221【現地案内板の解説】
「この神事は、毎年六月晦日、武射神社で執行される夏越(水無月)の祓え(禊)と云い、田植えが終わり季節の交替に当たって、邪神を祓い災を除く年中行事の一つである。
祭事は古式に則り清浄厳粛に展開する中を、一般参詣人は予めその鳥居に設けられた浅茅の輪をくぐり、茅麻の幣で身を祓い清め、撫物と云う人形で身を撫でてもらい参拝を終わる。
昇殿者は神前に設けられた真菰のござに座し、二人の介添人が挙げる輪をくぐり、この二人が声高く『水無月の夏越の祓えをする人は千歳の命のぶというなり』の和歌を朗詠する間に玉串を奉奠して退出するのである。
この祭事に使用した一切の輪・幣・撫物等は取り纏められ、作田川の川原に持ち出し、水辺に斎串を立てて祝詞を奏し、祓い清めて水中に流し祭事は完了となる。所謂、禊の神事である。
この神事の起源は、遠く慶長年間(1596~1614)と云われているが、これが世に喧伝され始めたのは江戸中期といい、以後武射郷は勿論、近郷近住の農民の信仰を集め、現在に至るまで素朴な民俗信仰の姿を伝えているのである。」

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 拝殿神事
12:00ころ 終了

【メモ】
現行は6月最終日曜日に催行。朝9時から1時間毎に上がる花火の合図で、地元の皆さんが三々五々参詣に集まってくる。参詣者は、身を撫でて穢れを移した撫物を奉納し、御神酒を頂いてから鳥居の茅の輪をくぐる。その際、先導の神主役が紙吹雪を撒き「水無月の~」と朗詠し、氏子はその後に続く。昇殿者は氏子役員・来賓が参列。輪は地元の茅を乾燥させ、太い配管用チューブを芯にして3人がかりで1時間ほどかけて編み込むとのこと。夏越の神事で無形民俗文化財は千葉県内でここだけ。参詣者は地元の皆さんが多数訪れていた。カメラマンは私一人。神社境内に駐車スペースあり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2011/06/25

市川・湊の水神祭り

市川市湊の水神宮で行われた水神祭りを撮影。

110625【現地解説板の説明】
「当祭礼は、古くから地元漁師の人々に豊漁、海難除けの守り神として崇められていたと伝えられています。
また、江戸川は生活水路でもあったので、船の安全運行、川遊びに興じる子どもたちの水難除けと水泳上達を祈願して、毎年六月末日の夜にお参りをしていたそうです。それがいつ頃からか定かではありませんが、祭礼の形態として年々盛大になり、地域の人々に親しまれてきました。
現在は、川が汚れ生活水路としての意味はなくなりましたが、水神宮はその後も水難除け、水泳上達、交通安全、受験生の合格祈願の神として崇められ、祭礼当日には数千名の参拝者があります。

祭礼当日は、多くの露天商が出店し、祭り情緒を盛り上げます。夕方五時頃から徐々に参拝者が増えてゆき、ピークは六時半頃から八時半頃までで、神社付近は身動きできないほどの人出になります。
自治会、育成会、青年会、婦人会、南行徳交通安全協会、自治会組長が総力をあげて祭礼行事の進行と事故防止に力を合わせ楽しいお祭りにしています。これからも地域の人々が楽しめる伝統ある祭礼として、存続させていきたいと考えております。
なお、平成十六年より祭礼運営上の関係から祭礼日を六月の最終土曜日としました。」

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 水神宮にて神事(修祓→祝詞奏上→玉串奉奠)
11:25~ 御仮屋にて神事(修祓→祝詞奏上→玉串奉奠)

【メモ】
朝9時半ころ現地入り。水神宮と御仮屋の設営から見学。神事は船橋大神宮から神職を迎えて行われた。水神宮で15分ほどの神事の後、神輿の御仮屋へ移動(ただし地元の皆さんは「本部」と呼んでいた)。御仮屋で古い行道系の獅子頭と尻尾2対を発見。古老に聞くと、かつてはお囃子とともに神輿が渡御し、獅子が巡遊したとか。夜の縁日は大混雑するので、日中参詣に来た人を撮影して混み始める前に帰路へ。日中の参詣者は少なく、カメラマンは私一人。駐車場なく、スペースもなし(近くのコイン駐車場を利用)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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2011/06/19

青梅・武蔵御嶽神社太々神楽

東京・青梅の武蔵御嶽神社で行われた太々神楽を撮影。

110619【現地配布資料の説明】
「御嶽神社の神楽は、昭和32年に東京都無形民俗文化財の指定を受け、社家32戸の世襲により二百数十年間伝承され続けています。
神楽は崇敬者が最も格式の高い参拝の方法として、大神様の御神慮をお慰め申すため奏上されますから、神様と共に見て楽しむ事が御嶽の神楽の特徴です。
この神楽は素面神楽と面神楽に大別され、寛延2年(1749)に神吉田流の素面神楽が、安永年間(1780年頃)に江戸眞先稲荷より江戸里神楽の系統である面神楽が伝えられました。元はそれぞれ12座で構成されていたといわれていますが、現在素面神楽は奉幣、剪、大散供の3座を残すのみで、面神楽は14座が残されています。」

【この日の進行スケジュール】
11:00~ 雅楽の一般公開
越殿楽→千秋楽
11:20~ 神楽の一般公開
奉幣→鍛冶→天孫降臨→山の神(餅撒き)
12:00ころ 終了

【メモ】
年2回(6月第三日曜・9月敬老の日)の一般公開。朝8時半、山麓の滝本駐車場にクルマを置き、機材を担いでケーブルカーで山頂へ。周りは登山客で軽装にカメラバッグの自分は場違いな雰囲気。さらに急な坂道と330段の石段を30分ほど歩いて御嶽神社(標高929m)に到着。この時点ですでに足はガタガタ。神楽殿は屋内に舞台と大座敷があり、畳に座って見る方式。厳格に神座を向いて舞う形を守っており、シャッターチャンスは少ない。ストロボは使用不可。霧雨が降る悪天候でも観客は座りきれないほど多数、カメラマンは私一人。駐車場は山麓の滝本駅周辺にあり(有料)。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/06/14

匝瑳・八雲神社祭礼囃子

匝瑳市野手の八雲神社に伝わる祭礼囃子を撮影。

110614毎年6月14日、八雲神社の祭礼(宵宮)で神社境内と徒歩下座で演奏されます。

曲は、田楽(農作業の曲目)として「砂切」「種蒔き」「桜囃子」「開花」「量穀」、道中談物(神社参りの曲目)として「三島」「山登」「早囃子」「獅子囃子」「宮巡り」「権現」「宮昇天」「山登返し」、その他の曲目として「磯辺」「大漁節」「八木節」「枯れススキ」「庄八盆踊り」が伝わっています。

神輿の渡御がなくなって久しいけれどお囃子だけは絶やさないと、西宿八雲睦会の皆さんが伝統を守っています(市無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
19:00~ お囃子(神社)
砂切→磯辺→桜囃子→種蒔き→開花→量穀→権現→昇天→三島→山登→早囃子→八木節→大杉囃子→枯れススキ→山登返し→大漁節
20:30~ 地区廻り(徒歩下座)
祭り囃子
21:00ころ 終了

【メモ】
神社境内で囃した後、西宿地区を交差点~弁天池まで(片道300m)徒歩下座で練り歩く。地区廻りのことを「渡御」と呼ぶのは、神輿とともに廻った名残りか。最後は神社前で盛大に祭り囃子を奏でて、威勢よく跳ね太鼓を披露。久々の祭り囃子に元気をもらいました。見物人は地元の人が数人、カメラマンは3人。駐車場なし(廃業スーパー跡にスペースあり)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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2011/06/11

浦賀・横須賀の虎踊

神奈川・横須賀の浦賀地区に伝わる虎踊を撮影。

110611【現地解説板の説明】
「虎踊は、享保五年(1720年)、奉行所が伊豆下田から浦賀に移った時に伝えられたといわれています。
近松門左衛門の『国性爺合戦』における和藤内の虎刈りの場面を取り入れた芸能で、ここ為朝神社に特設舞台をつくって演じられます。
和藤内の登場に始まり、太唐人が引き連れた唐子(からこ)の踊り、そして虎の出現と虎の舞(舞台上を自由に振る舞い数種の芸を披露)と進行し、最後に和藤内が虎を神符で成敗し、みえを切ります。
虎は親子二体で、親虎には青年、子虎には少年が二人ずつ入り、和藤内は男児、唐子は女児、太唐人は成人男子が演じます。
記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択された『横須賀の虎踊』は、浦賀と野比の虎踊が対象です。」

【この日の進行スケジュール】
18:20~ 余興(お囃子、カラオケ、民謡など)
19:50~ 虎踊
20:05ころ 終了

【メモ】
為朝神社例祭の宵宮(6月第二土曜日)で公開(国記録選択無形民俗文化財)。もとは下田から移った人々が故郷を偲んで舞った虎舞(獅子舞に酷似)が始まりで、黒船来航の1800年代半ばに唐子踊りを伴う現在の形になった。唐子踊りは詞と振りが不思議な舞。異国情緒あり、房総にはない芸能で興味深かった。最後に「あれあれ有り難いな。叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり」と虎を退治。雨上がりの中、狭い境内は見物客で大混雑。虎踊は15分程と短い上、撮影場所の移動は困難。カメラマンは10人ほど。臨時駐車場(西浦賀海岸公園)あり。
※関連記事は,写真ブログ「Perforation?」に掲載。

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2011/06/05

成田・雷神社オタチ(御太刀)

成田市山口の雷神社で行われたオタチ行事を撮影。

110605オタチ(御太刀)は、刀の形をした御神木を担いで地区内の家々を回り、区内安全と悪疫払いを祈願する行事です。かつては利根川や印旛沼流域に広く見られた風習です。

雷神社は山口地区(86戸)の鎮守で、オタチは毎年6月第一日曜日(旧行は6月1日)、太鼓の先触れで2mほどのオタチを担ぎ、起伏の激しい地区内を歩いて回ります。
かつては5mほどもある巨大なオタチを数人で担いで回ったそうで、拝殿の天井に大オタチが納められていました。

【この日の進行スケジュール】
8:00~ 縄ない(雷神社)
8:50~ 修祓(神職は参加しない)
9:00~ ムラ廻り
10:30~ 休憩(山口青年館)
12:30~ ムラ廻り
14:50~ オタチを納めて終了(雷神社)

【メモ】
オタチは、御神体を捧持して巡行する「神輿」より古い形態とされ貴重。留守や不幸があった家を除いて全戸を祓い清めて回る。午前中30軒、午後は50軒ほど回り、汗だくに。見学者はなく、カメラマンは7人。駐車場は神社にあり。休憩所では茹でたソラマメや自家製漬け物を頂き恐縮しました。区長さんを始め、地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載。

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