2020/02/08

匝瑳・時曽根の大蛇まつり

匝瑳市の時曽根地区で行われた「時曽根の大蛇まつり」を見学。

20200208豊栄地区時曽根では、毎年2月8日、古くから伝わる大蛇まつりが行われます。

朝、時曽根コミュニティセンターに各戸から藁を持ち寄り、長さ3m・太さ30cmほどの大蛇を3匹作ります。できあがった大蛇は、庭の槇の木に巻き付け、千手院の護符を口に挿し、御神酒を飲ませて魂入れの後、ムラ境3か所の樹上に吊るします。区内安全、無病息災、五穀豊穣、悪魔退散を祈願します。

ムラ境に道祖神と同じ性格を持つ蛇神を祀り、ムラに災いが入るのを一年間防ぐことを願う「辻切り」習俗の一つです。

【この日の進行スケジュール】
8:00~ 藁を持って集まり始める
9:00~10:30ころ 藁蛇作り
14:15~ 護符・魂入れ
14:30~ ムラ境に吊るす(北・東・西)
15:00ころ 片づけて終了

【メモ】
藁蛇は、下あご、上あご、胴体の順に作る。時曽根では、眼や舌も藁を編んで作る。昼食休憩の後、米倉の千手院(西光寺の末寺)から頂いた護符を榊葉の枝で挿し、一升瓶で盛大に御神酒を飲ませて魂を入れる。3組に分かれて北・東・西のムラ境に運び、樹上に結び付けて吊るす。古い藁蛇はその場で焼き、煙にして天に戻す。時曽根では地区の若者により受け継がれている。
見学者は3人、駐車場なし(周辺にスペースあり)。忙しい中、詳しく教えていただいた区長さん、地区の皆さん、ありがとうございました。

※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2019/02/25

「下勝田の獅子舞」の獅子頭

かつて佐倉市下勝田・天満神社で奉納されていた「下勝田の獅子舞」。

20190225後継者難で平成16年を最後に廃絶し、現在はその舞を見ることはできません。

佐倉市史に次のような記述がありました。

「下勝田の三匹獅子舞は、毎年七月十五日(旧くは二月二十五日、九月三日も演じた)の午後、三十三歳まで若連が下勝田の天満神社で演じ、夜は下勝田共同館(旧くは西光寺)で舞う。夜の獅子を模範獅子といい、年配の舞手が演じ、猿という役が加わる。この獅子舞には、天下泰平、五穀成就、家内安全と書かれたダシという万灯が出る。獅子頭の名称は、雌獅子、中獅子、雄獅子といい、雌獅子には角がなく、中獅子と雄獅子に角がある。(~中略~)獅子舞を囃す楽器は、篠笛と鋲打ち太鼓である。これらは囃子方が担当する。獅子の腰に付けた太鼓は、ほどんど音がしない。また手に鈴や御幣を持って舞うことがある。」

演目は、神楽(庭固め→雌獅子→中獅子→よつあげ→雄獅子→デンツクデン)、幣束(庭固め→雌獅子→幣束がえし→よつあげ→雄獅子)、橋渡り(振り込み→庭固め→雌獅子→中獅子→よつあげ→雄獅子→デンツクデン→橋渡り)の3つの舞があったようです。

夜の「模範獅子」は、年配の舞手が猿面に蓑笠の衣装で踊ったようで、佐倉市史は「仮面をつけるということは個性を超えた存在を示すことであり、蓑笠をつけた衣装は非常に遠いところからお出でになることを意味するもので、山の神とか祖霊神のなり変わりであるとされるので(~中略~)神人一体の舞であると解される」と書いています。

このほか、昼の獅子舞の演目の間に(夜は獅子舞の前に)、輪になって弥勒踊りを踊ったといいます。

廃絶して久しい「下勝田の獅子舞」ですが、その獅子頭は、和田ふるさと館歴史民俗資料室に良い状態で保管・展示されています。
今も年2回、春祈祷(2月25日)と祭礼日(7月15日)に天満神社に里帰りし、神事が行われているそうです。

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2019/02/24

佐倉・百万遍(春祈祷)

佐倉市天辺・宝寿院の春祈祷で行われた「百万遍」を見学。

20190224宝寿院(真言宗)は、弘法大師ゆかりの地蔵菩薩を祀り、「渋なし蕨」の伝承が残っています。

春祈祷(毎年2月24日)では、農事が始まる節の折目に五穀豊穣を祈願して「百万遍」が行われます。

地区の人々が、長さ約六間(10.9m)の大数珠の周りに輪になって座り、中央には鉦叩き役と数取り役が座ります。鉦の音に合わせて念仏を唱えながら、大数珠を左回りに廻します。途中、房が付いた親玉が廻ってくると、少し高く掲げて一礼し、次の人に廻します。
数珠の廻った回数は、数取り役が「一千遍」「一万遍」などと書かれた木札で数えます。

この行事は、地元では「地蔵さまのオビシャ」と呼ばれ、大切に受け継がれています。

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 準備(天辺青年館)
13:30~ 百万遍
13:45~ 直会
14:30ころ 終了

【採訪メモ】
かつては本堂で行ったが、現在は地蔵堂そばの天辺青年館で行われる。導師はおらず、区長さんの合図で鉦に合わせながら大数珠を左に廻す。念仏を唱えながら廻す形態から、和気藹々とおしゃべりしながら廻す形に変化しており、信仰行事としての性格は薄れている。親玉が廻る度、数取り役が木札を数枚ずつ移し、木札がなくなると終了。昔はもっと長い時間を廻したが、実際に百万回も廻した訳ではないという。
百万遍のあと、茶菓子で直会して1時間ほどで解散。この日は19世帯から21人が参加。女人講による地区が多い中、天辺では男性も参加するのが特徴。見学者は私を含め2人、寺に駐車場なし(和田ふるさと館から徒歩推奨)。
詳しい資料を頂いた上、現地で案内を頂いた和田公民館のEさん、詳しく教えて頂いた宝金剛寺住職さん、お世話になった区長さんはじめ地区の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/02/26

市川・団子あげ

市川市・北方子之神社(北方3-17-23)で行われた「団子あげ」を撮影。

 

20170226北方子之神社は、亀山帝の文永年間(1264-75)の創建で、大己貴命(大國主命)を祀ります。

 

「団子あげ」は、北方1~3丁目・4丁目(一部)に伝わるおびしゃ行事で、毎年2月26日(子之神社の祈年祭)に行われます。
無病息災と豊作を祈る予祝行事で、梅の小枝に団子で「餅花」を咲かせて奉納し、参詣者に配ります。
この団子を持ち帰り、焼いて食べると一年間風邪をひかないとされています。

 

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 祈年祭
10:15~ 参詣者に配布
10:30ころ 終了

 

【メモ】
朝9時ころ、北方会館(公民館)に氏子総代・役員12人が集まり、梅の枝に団子をさして準備し、神前に奉納する。午前10時、拝殿で祈年祭の式典執行(15分)。その後、参詣者に配布される。昔は、氏子の家々が前年に収穫した米を粉に挽いて団子を作り、梅の小枝にさして奉納した。現在は、周囲は住宅街で農家はなく、業者に発注した団子を使って氏子役員のみで継承している。参詣者と見学者(取材含む)は計10人ほど。公民館に駐車スペース数台(狭いので付近のコイン駐車場を推奨)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/02/19

香取・廻り祭頭

香取神宮で行われた鹿島神宮祭頭祭「廻り祭頭」を撮影。

20170219茨城・鹿行地域に春の訪れを告げる鹿島神宮の祭頭祭(毎年3月9日)。
大総督(当番区から卜定で選ばれた男児)を頭(かしら)に、陣笠・羽織袴の役員、色とりどりの祭衣・襷・鉢巻で樫棒を持った囃子人が数百人の行列で囃す勇壮な祭りです(国記録選択無形民俗文化財)。

本祭の前に、予行演習(棒揃え)を兼ねて大総督の地元を囃して廻る「廻り祭頭」が行われます。今年の右方大頭(清水郷)の大総督は、香取・西蔵院のお孫さん。その縁で、31年ぶりに香取神宮で廻り祭頭が披露されました。

【この日の進行スケジュール】
10:30~11:30 廻り祭頭(西蔵院)
13:30~14:30 廻り祭頭(香取神宮)
楽士一斉囃し(朱鳥居前)→棒ふり一斉囃し(総門前)→一斉囃し(拝殿前)

【メモ】
氏子66郷を南と北に分け、双方の当番区(左方大頭・右方大頭)で大総督が選ばれる。今年は左方(奥野谷郷)は大総督のもと16組500人が、右方(清水郷)は大総督のもと13組270人が「出陣」する。祭頭囃行列は、肩車された大総督を先頭に、高張提灯、幟旗、金馬簾(馬印)、大軍配、纒を立てた大行列で練り歩く。
右方(清水郷)の廻り祭頭では、朱鳥居前・総門前・拝殿前で一斉囃しが行われた。警護役人が囃し場を確保すると、大軍配が走り込み、大きく振り回して場を浄める。次に、纏も同様に繰り返す。その後、囃人が組ごとに走り込み、楽士(太鼓)を中心に円陣になり、祭頭唄を歌いながら六尺の棒を組んだり解いたりを繰り返す。房総には見られない芸態で大変珍しかった。
突然現れた祭人に観光客は大喜び。見物人もカメラマンも多数。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2015/02/28

千葉・子安神社の湯立神楽

船橋から千葉市花見川区へ移動し、子安神社の湯立神楽を撮影。

20150228b子安神社は、三山の七年祭で妻役を勤める古社です。毎年2月28日の湯立神楽祭では、室町期から続く湯立神事と、江戸後期から続く十二座神楽が奉納されます。

神楽は、「街神(ちまたのかみ)六合堅目舞(庭掃き舞と天狗の舞)・老翁悪神祓舞・千箭発弓(ちのりはっきゅう)舞・湯笹露祓舞・天狐乱れ舞・稲倉魂神(いねくらしこめのかみ)五穀種蒔舞・八重事代主神釣舞・石凝姥(いしこりどめのかみ)鍛冶舞・天鈿女神遊行舞・大山祗神悪魔退散舞・豊楽餅投げ舞」の十二座が伝わっています。

舞と囃子は畑町子安神社神楽連が伝統を受け継いでいます。

【この日の進行スケジュール】
14:00~15:00 神事(拝殿)
15:30~16:30 神楽奉納(二座)
街神六合堅目-庭掃き舞→八重事代主神釣舞
16:50~17:10 湯立神事
17:20~17:30 神楽奉納(一座)
豊楽餅投げ舞
17:30ころ 終了

【メモ】
正午ころ現地着。待機中、神職から神社や神楽の現状について話を伺う。神楽の途中で湯立神事があり、最後に餅を撒いて終了。神楽連は、舞手も笛も高齢な上、7人で回している。この日も人手不足で演目が限られ、午後3時半に時間をずらして「庭掃きの舞・八重事代主神釣舞(大黒様)・豊楽餅投げ」の三座のみを奉納。舞時間は短く、長い休憩を入れながらの奉納だった。氏子の長男に限るので後継者がおらず、継承が危ぶまれる。神楽殿は床が高く、正面・左右が開く。囃子方(大太鼓と鼓)は奥に並ぶので、脚立があれば左右からの撮影は容易(脚立は3段を推奨)。見物人は40人前後で、カメラマンは10人くらい。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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船橋・大仏追善供養

船橋市本町の不動院で行われた「大仏追善供養」を撮影。

20150228a【現地案内板の説明】
「船橋の海は、江戸時代初めころから半ば近くにかけて幕府に魚介を献上する、「御菜浦」とされた好漁場でした。
元禄16(1703)年の大地震による海底地形の変化などで、翌年から魚介の献上は中止され、代金納になりました。その後この漁場を巡って、近隣(堀江・猫実・谷津・鷺沼など)の漁師たちと多くの争いが起こりました。
文政7(1824)年、船橋村と猫実村(現在の浦安市)との漁場の境界を巡る争いが続いていた時、船橋漁師の占有漁場に他村漁師の船が侵入してきました。その中に、一橋家の幟を立てた船があり、乗っていた侍を船橋の漁師が殴打し、幟を奪ってしまいました。大きな事件であったことから、船橋の漁師総代3名が入牢させられました。1名は牢死し、1名は牢を出て間もなく死亡しました。そのため、延享3(1746)年の津波による溺死者と、漁場を守り死んでいった漁師総代の供養をあわせて行うようになったのです。
大仏追善供養は事件の翌年の文政8(1825)年以来、毎年1月28日(明治以降は2月28日)に行われるようになりました。本来この大仏は、津波によって溺死した漁師や住民の供養のため、延享3年に建立された石造釈迦如来坐像です。供養の日には、炊きあげた白米の飯を大仏に盛り上げるようにつけます。これは牢内で食が乏しかった苦労をなぐさめるためといわれています。大仏の西側には漁師総代2名の供養碑が建てられています。」

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 追善供養
読経→焼香→飯盛り
10:30ころ 終了

【メモ】
毎年2月28日に船橋漁協の主催で行われる。不動院(真言宗)の門前に鎮座する大仏の顔や肩、胸に飯を盛るように付ける。境内でなく門前にあるのは、地元の話では、建立の趣旨から宗派に関係なく誰でも参れるようにとのことらしい。9時ころから漁協関係者が準備を始め、10時に不動院と他寺の僧侶が二人で読経して焼香。漁業関係者が焼香し飯盛り。大仏に盛った飯を食べると風邪をひかないとされる。
この日は土曜日で見物人は30人前後と多く、狭い門前は人でいっぱい。カメラマンも多い。不動院に駐車場なし(付近のコインP利用)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2015/02/21

地域伝統芸能まつり

渋谷のNHKホールで行われた「第15回地域伝統芸能まつり」(初日)に行ってきました。

20150221伝統芸能の保存・伝承を通じて地域の活性化を図る目的で、毎年、二日間にわたり開催されます(文化庁、観光庁が後援)。

今年のテーマは「咲(わら)う」。出演は、江差餅つき囃子(北海道・江差)、御嶽神楽(大分・豊後大野)、蔵王のはねおどり(広島・福山)、古典芸能の狂言「鬼瓦」(人間国宝山本東次郎氏)、根知山寺の延年(新潟・糸魚川)、大脇の梯子獅子(愛知・豊明)で、各団体20分ずつの持ち時間でした。

神楽ファンとしては、豊後大野の「御嶽神楽」(国重文)が興味深かったです。演目は15番「貴見城」で、海幸彦と山幸彦の神話の一場面。重い衣装と面をつけ、複数の舞手が一糸乱れず跳ねたり踏み込んだり、大きな所作で激しく舞い続けるのが圧巻です。房総の十二座神楽とは全く異質なので、いつか現地で見たいと思いました。

「根知山の延年」は、長生きを願う十演目の芸能(歌と舞)の総称で、稚児による「鏡の舞」と「獅子舞」(才蔵とのからみ)を披露。山村集落に残る珍しい趣旨の芸能でした。
「大脇の梯子獅子」は、通常12mの梯子を6mに短縮しての演技。肩車した二人立ちの獅子が高所で激しく舞う度、満員の観客から拍手喝采でした。やはり、梯子獅子は人気があります。
※場内は撮影・録音厳禁なのでいずれも写真はありません。

司会(水谷アナと竹下景子さん)の上手さ、来賓挨拶(高市早苗総務相)、進行や大道具セットの見事さはさすがNHKでした(笑)。

普段、房総を撮影フィールドにしている関係で、どうしても房総の郷土芸能との対比で見てしまいますが、全国各地には、まだ知らない郷土芸能がたくさんあって興味が尽きません。時々全国に目を拡げて、房総の芸能を見つめ直すとまた新たな発見があったりするので、郷土芸能は奥が深いです。

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2015/02/11

香取・片野の神楽

香取市片野地区で奉納された獅子神楽を撮影。

20150211片野地区に明治期から伝わる伊勢系の獅子神楽で、オビシャ(旧行1月20日、現在はその前の日曜日)と2月初午(二月ビシャ)に、区内安全・厄除け・五穀豊穣を願い奉納されています。

曲は「馬鹿囃子・砂切・布舞・幣束舞・鈴舞・けら探し・悪魔祓い」で、下座と舞は片野神楽保存会の皆さんが伝承しています。

オビシャでは稲荷神社→天神様(新福禅寺)→ヤドで舞を奉納し、2月初午では稲荷神社→ヤドで舞を奉納します。

【この日の進行スケジュール】
16:50~ 片野公民館を出発
17:00~17:30 神楽奉納(稲荷神社)
17:45~18:10 神楽奉納(ヤド)
18:10~ 直会(ヤド)

【メモ】
15時に現地入り。片野公民館では地区役員さんたちが直会中。稲荷神社とヤドを教えてもらう(神楽の詳細情報は得られず)。神社をロケハン後、新福禅寺でしばし待機。地区役員さんは直会が終わると公民館を戸締まりして解散。静まりかえった集落は何も起きなさそうな雰囲気で、催行日を間違えたかと不安になる。16時すぎ、祭り半纏を着た保存会の皆さんがポツポツと公民館に集まり始め、ひと安心。
この日は二月ビシャで、稲荷神社(オビシャの神社と異なる)で舞った後、ヤドで舞い納めて終了。見物人は地元の皆さんが数人、カメラマンは3人。公民館と新福禅寺に駐車可。いろいろ教えて頂いた保存会の皆さん、座敷での撮影を快諾頂いたヤドの皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2015/02/01

匝瑳・吉崎のサイコロ御奉謝

匝瑳市吉崎の星宮神社で行われたサイコロ御奉謝(おびしゃ)を撮影。

20150201a毎年2月1日の春季例祭で行われる御奉謝では、古儀にのっとり「粥穂会の神事」が執り行われます。

七地区が御奉謝の年番を持ち回り、年番が正月28日に神饌十二品と祭具一式を用意します。
当日は、神職の式典催行に続いて、昇殿した参列者に膳や酒が順番に饗され、年番渡しが行われます。

年番渡しでは、新旧当番が向かい合い、丁半揃ったところで壺振り役がサイコロを振り、出目で一年を占います。
丁が出たら「豊年万作、区内安全」、半が出たら「浜大漁、商売繁盛」と口上を述べ、勝ち負けはありません。座布団の周囲に置かれた「掛け金」は神社へ納められます。

かつて氏子の人々は、この祭儀が終わるまで、肉や魚を食べることを禁じられていたそうです。

【この日の進行スケジュール】
10:00~ 神事
修祓→祝詞奏上→玉串奉奠
10:30~ 御奉謝
御神酒→吸物→御膳→燗酒→火縄→甘酒→煎花(炒った米)→香の物→年番渡し→満献→酌納め
11:00ころ 終了

【メモ】
本殿と拝殿の間に渡り板を渡して神事催行。続いて、拝殿に蓬莱山を据え、粥穂会の神事に移る。膳が饗されるが、ほとんど箸はつけず、酒と腕に口をつける程度で粛々と進行。竹製のキセルと煙草が配られ、全員で一服するのが珍しい。サイコロ占いは、壺を振るのは1回のみでシャッターチャンスは一瞬。今年は四三の半が出た。新当番に祭具(壺とサイコロ、妙見さまの掛け軸)が引き継がれ、無事に御奉謝が終了。
見物人は地区の皆さんほか2人、カメラマンは3人。リサーチ不足で撮影ポジションに迷いが生じ、サイコロがよく写せなかった。神社に駐車場なし(参道に駐車可)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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