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2024/01/16

太宰府・榎社(菅公館跡)

榎社は、かつて朱雀大路に面した大宰府南館(なんかん)の跡と伝わります。

20240113d_300都から赴任した官人の官舎で、菅原道真公が謫居した館として知られています。

道真公は、需家出身の学者で家格は低い貴族でした。文章博士や讃岐国司を務めた後、宇多天皇が重用。異例の出世を重ね、右大臣(従二位)に昇ります。

次の醍醐天皇は、側近の左大臣(正二位)藤原時平を重用。時平の讒言で、道真公は大宰権帥(次席)に左遷されました(901)。

都を発つ時、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」と詠んで名残りを惜しみました。その梅の木は、一夜にして大宰府まで飛んできたと伝わり(飛梅)、太宰府天満宮の御神木となっています。

大宰府では流刑に等しく、外出も許されなかったようで、「都府楼は わずかに瓦色を看る 観音寺はただ鐘声を聴く」と詠んでいます。
見かねた浄妙尼(もろ尼御前) が、梅の枝に刺した餅を差し入れ世話をしたのが、梅ヶ枝餅の始まりと伝わります。

903年、失意のまま59才で亡くなり、その遺骸を運ぶ牛が伏して動かなくなった地に葬られました(今の太宰府天満宮)。

その後、都では時平の急死、宮中への落雷と触穢(公卿らの死)、醍醐天皇の崩御と凶事が続きます。道真公の祟りと恐れた朝廷は、右大臣(正二位)を贈り、北野天満宮に祀りました(947)。南館には、大宰大弐(三席)藤原惟憲が浄妙院を建立し(1023)、現在の榎社となりました。

毎年9月の太宰府天満宮神幸式大祭では、道真公の御霊が榎社に下り、境内の「浄妙尼祠」の前で着座後、「御旅所」で一晩を明かします。 

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