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2024/01/15

太宰府・観世音寺(府大寺)

続日本記によれば、天智天皇は、筑紫の地で崩御した母斉明天皇の菩提を弔うため、観世音寺と筑紫尼寺を建立しました。

20240113c_300観世音寺は、壬申の乱(672)の影響で鎮護国家の目的に変更。完成は天平十八年(746)でした。

奈良期、大宰府の「府大寺」として西海道の仏教の中心となりました。
鑑真が来日した際(753)、大宰府で入京の許可を待つ間、観世音寺で初めて僧に戒壇を授けています。「天下三戒壇」(奈良東大寺・下野薬師寺)の一つとして、西国中から僧侶が集まりました。

平安期、空海が唐から帰国した際(806)、入京の許可が出ず、数年間観世音寺に留め置かれています(留学期間を待たず帰国したため)。境内北西の堂宇に止宿したとされ、湧水「弘法水」が今の山号(清水山観世音寺)になっています。

南門・中門、講堂、西に金堂、東に五重塔、北に僧房を配し、多くの子院を擁した大寺も、律令制が揺らぐと官寺の権威も失われ、度々の火災と大風被害で衰退。平安後期には、人々の観音信仰の寺に変容した様子が源氏物語から伺われます。

近世、秀吉が九州征伐の際、別当の応対が怒りを買い、寺領を没収され廃寺の危機に。江戸期、藩主黒田氏が講堂・金堂と戒壇院を再建し、のち藩命により戒壇院を分離して現在に至ります。

寺宝として、平安後期の巨大な仏像群(宝蔵)の他、日本最古の梵鐘(国宝)があります(九州国立博物館に寄託)。

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