企画展示「陰陽師とは何者か」
国立歴史民俗博物館(佐倉市)で開催中の企画展示「陰陽師とは何者か」に行ってきました。
太陰暦(旧暦)が使われなくなり150年。この展覧会は、暦と陰陽道の歴史を振り返り、その育んだ文化を探る企画です。
古代中国の陰陽五行思想は、6世紀前半、百済から倭国に伝来。先進の天文・暦・易の知識は、朝廷の判断に大きな影響力を持つようになります。7世紀、陰陽寮が置かれ天文・暦・占を司る官人(陰陽師)が登場しました。
律令制下、陰陽道は宮廷社会の隅々まで浸透。平安中期(10世紀)には世襲寡占化が進み、賀茂忠行(賀茂家)と安倍晴明(安倍家)の二人が栄華を極めます。
武家政権下では、実利重視で陰陽道は衰退。賀茂家・安倍家は自領に戻り、勘解由小路氏・土御門氏を名乗ります。足利将軍家が土御門氏を登用しますが、戦国の世に陰陽道は失権。知識が民間に流出し、怪しげな加持祈祷や占いで渡り歩く民間陰陽師が出現します。
江戸幕府は土御門氏を陰陽道宗家として迎え、民間陰陽師を統制。土御門氏は、幕府公認で陰陽師を独占的に束ね、将軍家の儀礼に欠かせない存在となり全盛を誇ります。平安期の祖・安倍晴明の神格化が進んだのも同時期です。
陰陽師とは、先端の科学(天文学)に基づく分析(暦)で助言(易)する役割を忠実に果たそうとしたプロ集団でした。怪しげなイメージで語られがちな陰陽師の実相がよく分かり、シャーマニズムと日本人の宗教観についても考えさせられました(文字資料多め)。
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