山鹿・熊本県立装飾古墳館
「装飾古墳」は、古墳時代後期(4世紀末~7世紀)に北部九州を中心に見られる古墳の形態です。
壁や石棺に、浮彫や線刻、彩色で幾何学的・抽象的な文様を描くのが特徴です。
石棺系(石棺に線刻)、石障系(石の障壁に線刻や彩色)、壁画系(石室の壁面に彩色文様)、横穴系(横穴入口の外壁に浮彫)に分類されます。
ヤマト王権の古墳には見られない特徴で、磐井の乱(527)で九州豪族連合がヤマト王権に屈した後、九州独自の墳墓(古墳に石人石馬を飾る)が否定され、反発した九州豪族が新たな墳墓の装飾文化を生み出したと考えられています(通説)。
近年は、石室の構造の違いなどから、九州では「飾られた死者」を見せることで権威付け、畿内では死者を見せないこと(隠された死者)で権威付ける、死生観の違いとする説も有力です。
古墳時代は、終末期に畿内で「壁画古墳」(大陸的な人物画を描いた高松塚古墳・キトラ古墳)が出現した後、大化の薄葬礼(646)で終焉を迎えます。
熊本県立装飾古墳館は、県内の装飾古墳の石室を原寸大で復元。普段は見ることのできない石室内の雰囲気を体験でき、被葬者になった気分が味わえます。
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