志賀島・漢委奴國王金印発光之處
宗像大社から志賀島(福岡市東区)へ。
志賀島は、砂州(海の中道)で九州本土と繋がった陸繋島です(全周約11km)。
神功皇后が三韓征伐の際に立ち寄り(筑前風土記)、万葉集に「大君の遠の朝廷とあり通ふ、島門を見れば神代し思ほゆ」と詠まれ、元寇で蒙古軍との激戦地になりました。
江戸後期、この島で金印(漢委奴國王)が発見されました。島の南部、周回道路に「漢委奴國王金印発光之處」の石碑(大正11年)があります。発見地点は石碑から海に向かい右斜め前の地点とされ、周辺一帯が金印公園として整備されています。
発見したのは農民で、農作業で偶然掘り起こしたとも、大きな石の下の箱に入っていたとも伝わり、諸説あります。郡奉行に届け出て、藩主黒田家に代々引き継がれました。現在は、黒田家から寄贈を受けた福岡市が所蔵し、福岡市立博物館で常設展示しています。
この金印、「後漢書(東夷伝)」に登場する印綬(1世紀)と同定されています(国宝)。同時代の遺物が一切出土しないことから、島の外部から持ち込まれたものと考えられていますが、その経緯は謎のままです。
しばし歴史ロマンに想いを馳せ、次は「蒙古塚」へ向かいます。
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