佐賀・有田内山
妻・下の娘と有田焼の里を訪ねました。
有田焼の始まりは、今から400年前に遡ります。秀吉の朝鮮出兵に参戦した肥前鍋島氏は、高度な技術を持った陶工を連れ帰りました。その一人、李参平が有田・泉山の土で白磁器を焼いたのが始まりとされます。
江戸初期、佐賀藩は泉山磁石場に近い内山に陶工を集め、磁器生産の専業地としました。成型~施釉~絵付~焼成の過程を職人たちが分業し、集落の東西端には藩の口屋番所が置かれ、職人や技術の流出に厳しく目を光らせました。
内山は有田焼の産地として栄えましたが、文政十一年(1828)、窯の火が強風にあおられ大火となり、町をほぼ焼失。その後の復興で江戸後期~明治~大正~昭和初期の建物が混在し、独特の景観を造り出しています(国重伝建保存地区)。裏通りには、古い窯の耐火レンガを再利用した土塀「トンバイ塀」の小路が続き、風情があります。
上の写真は、有田ポーセリンパーク内にある有田焼の工房です。ろくろや手ひねり、絵付の体験ができ、家族連れで賑わっていました。