柳川・旧藩主立花邸「御花」
柳川の旅の最後に、旧藩主立花邸「御花」を訪ねました。
旧藩主の立花氏は、天正十五年(1587)、豊臣秀吉の九州仕置で立花宗茂が柳河十三万二千石を拝領しました。
関ケ原(1600)では秀吉への忠誠で西軍に加わり、領地没収の上、改易。筑後には田中吉政が三十二万五千石で入りました。
浪人となった宗茂でしたが、家康も認める勇将ゆえ、ほどなく陸奥棚倉一万石の大名に復帰。大坂の陣では徳川方として参戦しています。元和六年(1620)、田中氏が二代で無嗣断絶すると、柳河に十万九千石で再封され、藩主に返り咲きました。江戸期、没収された旧領に復帰できた大名は立花氏だけとされます。
「御花」は、元文三年(1738)、五代藩主立花貞俶が二の丸御殿から「奥」の機能を移し、側室や奥女中を住まわせたことから、「御花」と呼ばれるようになりました。江戸末期には、本丸御殿の機能も「御花」に移り、藩主の私邸となりました。
和庭園(松濤園)と本館、西洋館は、明治43年(1910)、14代当主立花寛治が伯爵邸として整備したもの。現在も立花家が運営しています。敷地内の立花家史料館(殿の蔵)では、立花家伝来の武具と美術工芸品を展示しています。
今回の旅は、初めての柳川を西鉄「柳川特盛きっぷ」で満喫しました。旅の機材はNIKON Z50+Z DX 16-50/3.5-6.3でした。
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