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2022/05/22

大牟田・旧三池炭鉱(宮原坑)

妻と大牟田の旧三池炭鉱跡を訪ねました。

20220522三池の石炭は、室町期(1469)に農夫が山で焚火中に「燃える石」を見つけたのが始まりとされます。江戸中期、柳河藩や三池藩が採掘し、瀬戸内で製塩の燃料として使われました。

明治の富国強兵・殖産興業政策で、西洋から蒸気式巻揚機や英国製ポンプを導入。さらには炭鉱専用鉄道と三池港の築港で輸送力も強化され、最先端の産業モデルとなりました。

宮原(みやのはら)坑は、三池炭鉱の初期(明治~大正期)の主力坑で、明治34年(1901)に採炭を開始。2基の堅坑で深さ150mの石炭層にケージ(昇降機)で人馬を降ろし、横坑を掘って採掘。石炭はケージで揚炭し、地上の選炭場で女衆が石炭とボタを選別。専用鉄道で三池港に運ばれ、ボタは埋立てに使われました。

明治~大正期には年間50万tを出炭しましたが、大正末~昭和初期にはベルトコンベアで大量搬出できる斜坑が主流に。旧式となった宮原坑は、昭和6年(1931)に閉坑しました。

現在は、第二竪坑の鋼鉄製櫓(現存最古、人馬昇降用)、蒸気式巻揚機室、デビーポンプ室の内壁、石積みの北側排水路、炭鉱専用鉄道敷跡が残っています。

三池炭鉱跡は、平成27年(2015)に世界文化遺産(明治日本の産業革命遺産)に登録。宮原坑の建物群と炭鉱専用鉄道敷跡も、その構成要素になっています。

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