日田・小鹿田(おんた)焼の里
妻と日田・小鹿田(おんた)焼の里を訪ねました。
小鹿田焼は、皿山集落で窯元9軒が一子相伝で継承しています。窯元一軒にろくろは2基までとされ、「機械を使わず」「絵を描かず」「手作りの道具で」「窯元の名を入れない」など、伝統を守って製作されています(国重文)。
小鹿田焼のルーツは、小石原焼にあります。秀吉の朝鮮出兵の際、筑前黒田氏が朝鮮半島から陶工を連れ帰り、その子孫が高取山に小石原焼を開窯。江戸中期、日田の代官が山一つ隔てた小石原から陶工柳瀬三右衛門を小鹿田に招いたのが始まりです。
日田では生活雑器として広く普及し、昭和初期に柳宗悦が紹介して全国に知られるようになりました。昭和29年(1954)、研究のため滞在したバーナード・リーチは、飛び鉋の技法に驚愕したとされます。
集落を一望する小鹿田焼陶芸館では、技法や工程を分かりやすく紹介し、リーチ作の鹿文大皿(1954)も展示しています。
窯元を巡りながら、お気に入りの皿や湯呑を何点か購入。唐臼の土を挽く音、登り窯から立ち上る煙と薪の燃える匂い、天日干しや登り窯で作業にいそしむ人々…。皿山集落の風景は、国重要文化的景観にも指定されています。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント