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2021/11/02

平戸・オランダ商館跡

平戸瀬戸に面した平戸オランダ商館跡へ。

20111102平戸は、戦国期のポルトガル貿易(1550~1561)が長崎に移った後、江戸初期のオランダ貿易(1609~1641)で繁栄しました。

1600年、オランダ船リーフデ号が豊後臼杵に漂着。当時、オランダはスペインから独立した新興国で、積極的に海外へ展開中。1602年に東インド会社(VOC)を設立し、貿易、外交、武力行使の権限が与えられ、バタビア(今のジャカルタ)を本拠にアジアに進出しました。

1605年、平戸藩主松浦鎮信(法印)は、徳川家康の命で、リーフデ号の生存者を平戸からバタビアに送還。これに応える形で、1609年、オランダ船が国王の親書を携えて平戸に来航します。通商のみで布教を求めないVOCは、幕府の通商許可を得て、この年、平戸にオランダ商館を開設。平戸にポルトガル貿易以来の賑わいが戻りました。

1613年、イギリスも来航して平戸に商館を置きますが、熾烈な貿易競争に敗れて1623年に撤退。この後、オランダの貿易額は増え続け、商館の規模も拡大します。

1637年、島原の乱が勃発すると、幕府は禁教を強化し、布教を支持するポルトガルと断交。1639年には鎖国令を出し、友好関係にあったオランダに長崎移転を命じます。この年、平戸オランダ商館に大規模な石造り倉庫が完成しましたが、幕府から銘板の西暦年号(キリスト紀元)を咎められて破却。1641年、商館は長崎の出島に移り、平戸のオランダ貿易は幕を閉じました。

オランダ商館があった一帯は、平戸和欄商館跡(国史跡)として、オランダ塀やオランダ井戸、石積みの埠頭や常灯の鼻石垣が残っています。復元された白い1639年築造倉庫(2011)では、平戸交易と大航海時代のオランダ、禁教で国外追放された日本女性のジャガタラ文など、往時を物語る資料が展示されています。

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