佐賀・祐徳稲荷神社と萬子媛
祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)は、江戸中期に肥前鹿島藩主・鍋島直朝の夫人・萬子媛が創建し、日本三大稲荷の一つとされています。
萬子媛は、後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好の娘です。
媛は、京都から肥前鹿島藩二万石の鍋島家に嫁ぐ際、花山院邸の稲荷大神から神鏡を授かり、皇室の永久と国家の安泰を祈るよう諭されたとされます。
媛は、2人の子を授かりましたが、いずれも早世。このこともあって、貞享四年(1687)、62歳の時、当地に庵を作り、自ら神仏に仕えて暮らしました。宝永二年(1705)、80歳の時、山腹に寿蔵(生前に作る自らの墓)を築き、断食して入定しています。
媛の諡名(祐徳院殿瑞顔実麟大姉)から、祐徳院と呼ばれ、御祭神の稲荷神とともに人々の信仰を集めました。明治の神仏分離で祐徳稲荷神社に改称して現在に至ります。
朱塗りに極彩色が施された楼門、神楽殿、拝殿と山腹の崖に懸造りで組み上げられた本殿があり、その絢爛さは「鎮西日光」と称されました。本殿の背後に萬媛命(萬子媛の神号)を祀った石壁社があり、さらに登ると千本鳥居を経て山上に命婦社が祀られています。
参道には土産物店が並び、昔ながらの生姜煎餅、筒状の稲荷ようかんなど、懐かしい味がうれしかったです。
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