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2017/05/28

浦安・水神祭(再現行事)

浦安市の境川で再現された水神祭を見学。

20170528浦安の水神祭は、かつて漁師町だった堀江・猫実地区で行われた祭事です。

戦前は毎年6月巳の日(戦後は6月第二週前後の日曜日)に、境川から数十隻の舟を連ねて、沖合に立てた「水神様のボンギ」(棒の木)に向かいます。ボンギでは、神職が御神酒と稚貝を撒き、神楽や囃子を奉納して、海の神様に豊漁祈願と海難者供養をしました。

昭和46年(1971)、海の埋立てが進み、浦安の漁師が漁業権を全面放棄して舟を降りると、水神祭も廃絶しました。

平成9年(1997)に一度再現されて以来、今回は20年ぶりの再現。大漁旗を掲げた「御座舟」を先頭に、猿田彦と浦安囃子保存会が乗る「音舟」、神楽を舞う「踊り舟」、おひねりを網で受け取る伴舟に、浦安細川流投網保存会の「投網舟」の5艘が、境川を往復しました。

【この日の進行スケジュール】
13:45~ 水神祭(再現行事)
境川のあけぼの橋~江川橋間400mを往復
14:20ころ 終了

【メモ】
かつてはべか舟が雑然と係留され、漁師町独特の趣があった境川。放置船が撤去され、きれいに護岸された川では、毎年「カフェテラスin境川」イベントが開かれる。今回は、そのイベント行事の一つとして催行。御座舟と音舟は伝馬船、踊り舟はべか舟、伴舟と投網舟はFRP漁船が使われた。ボンギは、漁師が水路や漁場の目印として沖合に立てた棒で、「棒の木」がなまったもの。現在の浦安市役所から南はすべて埋立地で、かつてボンギが立っていた浅瀬は住宅団地に姿を変えている。漁師の舟が待ち合わせた「待ち合わせのボンギ」の跡は、現在の入船中央エステート内に説明板がある。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載予定。

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2017/05/27

松戸・東葛雅楽会の雅楽

松戸市・松戸神社に奉納された東葛雅楽会20周年記念の雅楽を見学。

20170527雅楽は、大陸から伝来した楽器や舞が日本独自の発展を遂げ、平安中期に完成した古典音楽です。朝廷や貴族社会で奏された正統の音楽として、「俗楽」と区別されました。

この日は、東葛雅楽会の設立20周年記念で、管弦、浦安の舞、舞楽が神前奉納されました。

東葛雅楽会は、平成8年、東葛地区の神職で結成され、県内では松戸神社のほか、廣幡八幡宮(柏)や玉前神社(一宮町)などで奉仕しています。

【この日の進行スケジュール】
17:00~ 管弦(双調音取→武徳楽→胡飲酒破)
17:35~ 神楽(浦安の舞)
17:50~ 舞楽(抜頭(右方))
18:05ころ 終了

【メモ】
管弦とは、三管(笙・篳篥・龍笛)両弦(琵琶・筝)三鼓(鞨鼓・太鼓・鉦鼓)で奏する器楽合奏。篳篥が主旋律を奏し、龍笛が旋律を装飾し、笙が和音を付ける。神楽は、日本固有の歌舞に外来の篳篥を取り入れた国風歌舞で、今回は「浦安の舞」を披露。舞楽は、大陸系(唐楽)が赤系の装束で舞う「左方」、朝鮮半島系(高麗楽)が緑系の装束で舞う「右方」と呼ばれる。今回の演目「抜頭」は、天平年間にベトナムの僧が朝鮮に伝え、猛獣を討って歓喜する姿を表す。なので右方なのに赤系の装束。里神楽系を見慣れた目には、舞楽特有の動きがとても新鮮だった。
松戸神社の神楽殿は、昨年建て替えられ、杉戸絵(獅子に牡丹)は市有形文化財。見物人は30~40人ほど、カメラマンは3人。神社に駐車場あり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載予定。

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2017/05/06

国東・宇佐めぐり

宇佐市内では、大分県立歴史博物館と宇佐市平和資料館を訪ねました。

20170506a大分県立歴史博物館は、宇佐神宮からクルマで10分ほどの所にあります。宇佐・国東半島の歴史と文化に焦点を当てた展示が素晴らしく充実しています。

エントランスホールの巨大な熊野摩崖仏(原寸大レプリカ)に度肝を抜かれながら進むと、「富貴寺大堂の世界」が広がります。照明を落とした中、千年前の富貴寺大堂と内陣(原寸大の復元)が浮き上がり、極彩色で描かれた極楽浄土の壁画に圧倒されます。裏面には千手観音が描かれており、学芸員さんの解説で壁画の詳細がよく分かりました。

他にも、「生死いのり」、「豊の古代仏教文化」、「六郷山の文化」、「宇佐八幡の文化」、「広がる仏教文化」、「信仰と暮らし」の各コーナーがあり、所々で写真撮影可なのもポイントが高いです(写真の富貴寺大堂も撮影可です)。
個人的には、「豊の古代仏教文化」では奈良期の天福寺奥院塑像三尊仏像(国重文)が、「六郷山の文化」では各寺の修正鬼会の様子や面の展示が面白かったです。

20170506b県立歴史博物館からクルマで10分ほどの所に、宇佐市平和資料館があります。
宇佐には、かつて旧海軍航空隊の基地があり、開戦時には真珠湾攻撃に向かう攻撃部隊の訓練が行われたり、大戦末期には人間爆弾「桜花」(神雷隊)30機や沖縄に向かう特攻隊(八幡護皇隊)81機が出撃しました。昭和20年3月と4月の宇佐空襲では、軍民合わせて数百人が死傷しています。

市では、戦争の悲惨さと平和の貴さを伝えるため、戦争遺跡や資料の収集・保存に努めており、1800m滑走路跡、爆弾池、米軍機の弾痕が激しい落下傘整備所、掩体壕を保存しています。
その一環として、平和資料館には、映画「永遠の0」の撮影で使われたゼロ戦21型(原寸大模型)や、97式艦攻の尾部(原寸大模型)が展示されています。
将来は、滑走路を復元し、掩体壕にゼロ戦を格納し、97式艦攻1機も復元して、旧宇佐海軍航空隊基地の一帯を平和ミュージアムとして整備することを目指しているそうです。

今回の旅は、国東半島をレンタカーで320kmほど走り回りました。GWで人とクルマは多めでしたが、それでも関東と違ってゆっくりとした時空の旅を楽しむことができました。旅の機材は、Ricoh GRでした。

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2017/05/05

国東・半島めぐり

国東半島を横断しながら、いくつか見どころを廻りました。

20170505a国東半島の南西部にある田染(たしぶ)郷(豊後高田市)へ。
田染は、六郷の一つで宇佐神宮の荘園だった所です。中でも小崎地区は、鎌倉期に荘園を支配した田染氏の本拠で、村落や棚田の風景は700年前のムラの姿をとどめているというから驚きます。平成22年、国の重要文化的景観(田染荘小崎の農村景観)に選定され、脚光を浴びています。

房総では田植えが終わった時期なので、展望台から見た棚田の風景はさぞや…と期待しましたが、当地ではやっと田起こしが始まった段階でした。6月の田植え後は、夕日観音や金比羅から見渡す景色が素晴らしいそうなので、時期を合わせて再訪したいです。

20170505b国東半島の東部にある安国寺集落遺跡(国東市)へ。
弥生時代は、九州北部に稲作技術を持つ集団が渡来して定着して始まったと考えられています。田深川に沿った低湿地帯で見つかった安国寺集落遺跡は、出土品の多様さから「西の登呂遺跡」とも云われ、特徴的な土器は「安国寺式土器」と命名されました。
一帯は国史跡で、現在は、市の「弥生のムラ安国寺遺跡公園」として整備されています。復元された竪穴式住居4棟と水田、湿地帯と高床式倉庫群が、1800年前にタイムスリップした感じでした。

20170505c国東半島の北西部にある粟嶋神社(豊後高田市)へ。
海に突き出た岩窟に建ち、寛永二年(1625)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀って創建されました。少彦名命は、一寸法師のモデルになった神様です。医療、とりわけ婦人病や子授けの御利益が大とされ、縁結びの神として恋人たちが訪れるようになりました。
神社前は恋叶ロードと粟嶋公園が整備され、ハート型のモニュメントに愛の南京錠がたくさん掛けられていました。

20170505d粟嶋神社をやや南下して真玉海岸(豊後高田市)へ。
水平線に沈む夕日の名所として知られ、風景写真を撮る人なら一度は見たことがある有名な撮影ポイントです。潮が引くと縞模様状の干潟と夕日が織りなすコントラストが美しく、この日は曇り空でしたが、日没時にはアマチュアカメラマンをはじめ、大勢の人が集まっていました。ちなみに、完全に日が沈むと人っ子一人いなくなり、静かな干潟に戻ります。

20170505e真玉海岸から1kmほどの所に海門温泉があったので、立ち寄りました。
後から知ったのですが、実は温泉県おおいたでも知る人ぞ知る秘湯だそうで、元旅館が廃業した後、2組のご夫婦が交代で管理人をして共同浴場を再開しています。
泉質は塩化物泉で、湯はぬるめ、茶褐色で強い鉄臭がして、タオルが茶褐色に染まるほどです。湧出口の湯は透明なので、酸化して茶褐色に変わるのかしらん?舐めてみると強い塩分の味がしました。

湯舟に浸かりながら、宇部から国東半島の山めぐりに来た人としばし旅談義。リタイア後、夫婦で車中泊をしながら登山を楽しんでいるとか。75歳と年齢を聞いて、またびっくり。お元気だなあ。
ちなみに、海門温泉の入浴時間は11時~20時、料金は350円です(第二・四木曜は休み)。

次は、宇佐市内を巡ります。

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2017/05/04

国東・六郷満山開山1300年

妻と一緒に、国東半島(大分県)の六郷満山開山1300年で行われた非公開文化財特別公開を巡りました。

20170504a国東半島は、奈良~平安期に、宇佐神宮の八幡信仰と仏教(主に天台密教)が結びつき、神仏習合の「六郷満山」と呼ばれる独自の仏教文化が発展しました。山々に点在する六つの集落(郷)が丸ごと寺を形成し、多くは養老年間に仁聞(にんもん)菩薩(宇佐八幡神の化身)が開基したとされ、2018年で開山1300年を迎えます。

今回は、宇佐神宮・富貴寺・文殊仙寺の3社寺で非公開文化財の特別公開が行われました。

初めに訪ねたのは、文殊仙寺(国東市)です。
正式には峨眉山文殊仙寺(天台宗)で、大化四年(648)、役之行者(えんのぎょうじゃ)の開基と伝わります。断崖の岩窟に文殊菩薩を奉って修験を極めたとされ、鬱蒼として昼なお暗い山中を、長い石段をやっとの思いで登ると、岩肌に張り付くように建つ本殿(文殊堂)が現れ、ここが厳しい修験の場であることを感じさせます。
今回は、文殊堂奥之院内陣と岩窟内の特別拝観(説明付き)と、寺宝の両界曼荼羅2幅・鬼会面5面を特別公開。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉が生まれた寺で、岩窟内に湧き出る「智慧の水」を頂きました。

鬼会面は、満山の各寺に伝わる修正鬼会で使われた鬼の面です。かつては、旧暦1月7日、僧侶が鬼に扮して松明の火を掲げ、各戸を祓って廻りました。当地では、鬼は邪悪でなく、先祖の化身で福をもたらす「鬼さま」で手厚くもてなされます。現在は、多くの寺で廃絶し、天念寺(豊後高田市)と岩戸寺(国東市)で行われています(国重要無形民俗文化財)。

20170504b続いて、富貴寺(豊後高田市)へ。
正式には蓮華山富貴寺(天台宗)で、養老二年(718)、仁聞菩薩の開基と伝わります。国宝の大堂は九州最古の木造建築で、阿弥陀如来坐像と内陣の壁画(いずれも国重文)が有名です。
こちらは10年ぶりの再訪で、今回は一般公開の大堂と、本堂で特別公開の寺宝・観世音菩薩坐像と満山最古の鬼会面(鈴鬼男女2面と菩薩面)を見学しました。

大堂の壁画は、千年の時を経て色あせ、図柄が分からなくなっていますが、大分県立歴史博物館に実物大の復元があり、極彩色で描かれた極楽浄土の壁画が再現されています。

20170504c最後に、宇佐神宮(宇佐市)を訪ねます。
全国八幡社の総本宮で、神亀二年(725)、八幡大神(応神天皇)を祀ったのが始まりです。八幡神が菩薩に化身して六郷満山を開いたとされ、古来の神道と外来の仏教が融合した神仏習合の発祥地です。天平十年(738)、境内に神宮寺として弥勒寺が建立され、僧侶たちはここから六郷満山に修行の場を広げていきました。
今回は、八幡造りの本殿(国宝)と北辰神社の特別拝観と、一般公開の宝物館で孔雀文馨(国宝)を見学。本殿は、一ノ御殿(応神天皇)・二之御殿(比売大神)・三之御殿(神功皇后)が並び建ち、八幡造りの美しい社殿でした(撮影禁止なので、写真は回廊の楼門です)。

今回の非公開文化財特別公開は3社寺のみでしたが、今年10月~来年3月には15か寺で特別公開が予定されているとのことです。

この他にも、六郷満山の寺をいくつか廻りました。

20170504d真木大堂(豊後高田市)は、かつて満山の本山寺八か寺の一つで最大規模を誇った馬城山伝乗寺の跡にあります。
伝乗寺と36坊は中世ころに衰退し、その諸仏像のうち、700年前の大火をくぐり抜けた9体の仏像(不動明王と二童子像、阿弥陀如来坐像、四天王立像、大威徳明王像)を今に受け継いでいるのが真木大堂です。

これらの仏像は、いずれも国宝に指定され、完全空調・遮光の立派な収蔵庫でガラス越しに見学できます。中でも、水牛に跨った大威徳明王像は日本最大とされ、とても迫力がありました(撮影禁止なので、写真は伝乗寺で唯一残る本堂です)。

20170504e両子寺(国東市)は、養老二年(718)、仁聞菩薩の開基と伝わります。満山の中山本寺(根本道場)で、江戸期には杵築藩の最高祈願所として、満山を統括しました。
一般公開されている護摩堂の大聖不動明王像(鎌倉期)や大講堂の阿弥陀如来坐像(鎌倉末期)を拝観。寺域は青紅葉が美しく、紅葉の時期はさぞやと思わせます(写真は、大講堂)。

特に、朱塗りの無明橋から仁王像が立つ山門に続く石段は、国東の石造文化を感じさせる古刹らしい雰囲気です。ガイドブックやパンフレットの写真に取り上げられる理由がよく分かりました。

次は、国東半島の各地に社寺以外を訪ねます。

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