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2016/08/13

金沢・兼六園

二日目は、兼六園と金沢城跡へ。

20160812a兼六園(国特別名勝)は、江戸初期に5代藩主・綱紀公が城内に別荘と庭園を造ったのが始まりです。江戸後期に12代・斉広(なりなが)公が「兼六園」と名付けました。

宋の故事に因み、「六勝」(宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古・水泉・眺望の六つの優れた景観)を全て兼ね備えた名園という意味です。

桂坂口から入り、ことじ灯籠→雁行橋→唐崎松→根上松→黄門橋→夕顔亭→噴水と見て回ります(定番コースです)。澄んだ水を湛える池や曲水が見事で、いつか雪吊りのシーズンにも訪れたいと思いました。

ここでふと疑問が…。高台にある兼六園にどうやって水を揚げてるんだ?
兼六園の水は、辰巳用水(寛永大火(1631)の翌年、城下の防火目的で掘削)から引いています。犀川から10.6km、極めて緩やかな上り勾配(平均4/1000)にすることで、水流が自然に高台の兼六園に揚がるというから驚きです。
さらに、水は小立野口の沈砂池→曲水→霞ケ池→瓢池→城の白鳥堀へ流れ、再び逆サイフォンの原理で内堀→二の丸堀へ揚がる仕組みで、昔の人の知恵に二度びっくりです。

20160812b随身坂口を出て、金沢神社へ立ち寄ります(入園券を見せれば何度でも再入園可です)。
ご祭神は学問の神様・菅原道真公で、境内に「金城霊沢」という泉があります。
その昔、百姓の藤五郎がこの沢で芋を洗ったところ、泥から砂金がたくさん採れ、藤五郎は砂金を村人に分け与えたので、皆が幸せになったと伝わります。いつしか沢は「金洗いの沢」と呼ばれ、「金沢」の地名の元になりました。泉を囲った堂宇は12代・斉広公によるもので、天井絵の白龍が見事です。

20160812c再び園内に戻り、成巽閣(せいそんかく)を見学。江戸末期、13代・斉泰公が母・真龍院のために造営した「巽御殿」で、国重文です。

真龍院(隆子)は、京都五摂家の鷹司家から12代・斉広公に嫁ぎ、38歳で仏門に入り真龍院と称しました。実子はありませんでしたが、孝養の高い13代・斉泰公、14代・慶寧公がよく庇護し、明治3年(1870)、この館で83年の生涯を終えています。

豪華な「謁見の間」、蝶・花鳥が描かれた障子腰板やガラス板(ぎやまん)など、大名家に相応しい格式と女性らしい優美さを備えた書院造りで、大名家の奥方御殿として貴重なものです。

この後、石川県立伝統産業工芸館と加賀友禅会館に立ち寄り、金沢城跡へ向かいます。

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