京都・秋の旅(嵯峨野編)
嵯峨野は、小倉山の麓で、後嵯峨上皇が嵯峨御所(大覚寺)で院政を布いた地です。嵯峨野路では祇王寺、二尊院、化野(あだしの)念仏寺を巡りました。
祇王寺(真言宗)は、平家物語で平清盛の寵愛を受けた祇王(舞女)が、仏御前に心移りした清盛に都を追われて出家した悲恋の尼寺です。明治初めに廃寺になり、のちに現在の草庵を移築して再興された大覚寺の塔頭寺です。
平家物語では、諸行無常を感じた仏御前が尼僧姿で祇王の庵を訪ね、終生を共にしたとされます。仏間に祇王、母、妹と仏御前の像(いずれも鎌倉期の作)が並び、墓(宝筐印塔)も残っています。
秋は苔庭を赤く染める散り紅葉が美しい寺ですが、今年は…。
続いて二尊院へ足を延ばします。
二尊院(天台宗)は、承和年間(834-847)に慈覚大師が開き、「発遣の釈迦」(来世へ送り出す)と「来迎の弥陀」(極楽へ迎え入れる)の二尊を祀っています。
応仁の乱で焼失しましたが、本堂と唐門(勅使門)は三条西家が再建。総門は伏見城の薬医門を移築しています。御所の仏事を司った名門で、旧摂関家(二条・鷹司・三条・四条)の菩提寺でもあります。
訪れた時は、本堂が修復中で二尊は写真拝観となりました。秋の参道は「紅葉の馬場」と称される名所で、6割くらいの色づき。唐門の周りは綺麗に紅葉していました。
来た道を戻り、化野(あだしの)念仏寺へ。
あだし野は、古くから風葬の地でした。弘仁二年(811)、弘法大師が野ざらしの遺骸を手厚く葬り弔ったのが始まりで、のちに法然上人の常念仏道場となりました。
境内の「西院の河原」に立つ無数の石塔は、この地に葬られた無縁仏を祀っています。その数は8000体とも云われ、静かに佇む石塔の光景は、無言で説法を聴く亡者のようにも見えます。毎年8月、地蔵盆の夜、石塔に蝋燭を灯す千灯供養が行われています。
一帯が風葬の地ですから独特の雰囲気がありましたが、皮肉なことに紅葉は綺麗でした。
次は大原野へ移動します。
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