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2012/12/12

江戸城・本丸

中雀(ちゅうじゃく)門跡を入ると、旧本丸です。

20121212a本丸には、幕府政庁の「表」、将軍の居館の「中奥」、正室や女官が住んだ「大奥」などの本丸御殿と、天守閣がありました。

さすがに警固も厳しく、本丸の石垣には要所に櫓が建ち、櫓と櫓の間を多聞(防御壁兼武器庫)でつないで防御線としていました。

江戸城には19の櫓がありましたが、現在残っているのは富士見櫓(本丸)、伏見櫓(西の丸)、桜田二重櫓(三の丸)の3つです。

上の写真は、本丸の富士見櫓です。明暦の大火(1657)で天守閣が焼失した後は、江戸城のほぼ中央にあったこの櫓が天守閣として代用されました。ここから将軍が両国の花火を楽しんだそうです。

20121212b遊歩道に沿って歩くと、松の大廊下跡の案内板があります(右の写真)。江戸城内で二番目に長い廊下で、襖戸に松と千鳥が描かれていました。播州赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた場所として有名になりました。

ちなみに、赤穂浪士の討入り後、遺子・浅野大学長広は御家再興を許され、安房朝夷郡平郡に五百石の所領を与えられて旗本に復帰した、ということで房総とも縁があったりします。

遊歩道を左手に進み、西側塁を上ると富士見多聞があります。本丸を取り囲んでいた多聞の一部が残っています。

20121212c富士見多聞を過ぎて坂を下ると、西側塁に掘られた石室(いしむろ)が現れます(左の写真)。
伊豆石で組まれた広さ20平方メートルほどの広さで、用途には諸説があります。
ちょうど大奥御納戸の脇に当たるので、非常時に大奥の調度品を収めた石蔵ではないかと云われています。

江戸城の古地図を見ると、将軍が大奥に渡る「御鈴廊下」はこの近くにあったようですが、現在は大奥の跡は広大な芝生広場になっています。

次は、いよいよ天守台に向かいます。

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