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2012/12/31

千葉・千葉笑い

千葉市中央区の千葉寺(せんようじ)で行われた千葉笑いを撮影。

20121231江戸後期、大晦日に村人が千葉寺に集まり、お面やかぶり物をして、役人に対する不平不満から始まり、集落内の人の悪口を大声で言い合って大笑いをする風習がありました。
やり玉に上がった役人や村人は、二度と笑われないように自らの行状を改め慎んだといわれます。

一年間の憂さ晴らしと他人の行状をいさめるこの風習は、いつしか「千葉笑い」と呼ばれるようになりました。

文政元年(1818)の「相馬日記」には、「また千葉笑いとて、としごとのしはすのつごもりの夜、各おもておほひして、地頭村長(むらおさ)などの邪曲事(よこしまごと)よりはじめ、人のよからぬふるまひどもを、あげつらひののしりあふことありといえり。こは人々のおこたりをいさむるわざなれば、筑波嶺のかがひなどには、いといとまされる風俗といふべし」と書かれています。また、文政六年(1823)には、小林一茶が「千葉寺や 隅に子どもも むり笑ひ」と詠んでいます。

この風習も、明治維新以降は途絶えましたが、平成22年の暮れ、地元自治会や商店会で作る千葉笑い復活振興会の皆さんが町おこしで復活させました。

【この日の進行スケジュール】
15:00~ 第1部 寄せ太鼓と踊り(千葉笑い音頭)
15:30~ 第2部 千葉笑い
16:00ころ 終了

【メモ】
この日は、振興会のメンバー13人が村人の衣装に扮して熱演。四隅に斎竹を立て注連縄を張った中で、「貧しくて、食うためには娘を売らなければなんねえだ。代官、聞いてんのか?」などと不平不満をぶちまけては、全員が大声で笑い飛ばす。台詞は昨年と同様だったが、言い得て妙で面白い。見学者は30人位、カメラマンはケーブルTVのほか5~6人。駐車場は寺の裏手にあり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/12/24

横芝光・小田部の火防

横芝光町小田部地区に伝わる火防(ひぶせ)を撮影。

20121224江戸中期、集落で大火があった際、猿と獅子の面が伝わる伊藤家が延焼を免れたことから、毎年この時期に集落の火災除けを願って行われる伝統行事です。

集落の子供たちが、猿1匹、オス獅子2匹、メス獅子1匹の面をかぶり、地区内を廻って家々を浄めます。
面をかぶる役は、玄関から座敷に入ると、竹の御幣を振りながら「悪魔逃げろ」と繰り返し唱え、入ってきたのと別の場所から屋敷の外に出ます。その間、草履取り役の小さな子供たちが、履物を運んで手伝います。

村廻りに使う面は、その昔、地域の有力者が伊藤家から取り上げたところ、夜中に面がカチカチと歯を鳴らして帰りたがったので、今も伊藤家に伝えられているそうです。

【この日の進行スケジュール】
12:30~ 星宮神社
みんなで参拝→「せんどうもうせ、まんどうもうせ」と唱えながら境内を3周
12:45~ 村廻り
夕方ころ 終了

【メモ】
今年は12月23日の予定が子供たちの都合がつかず、24日に変更して催行。集落の子供たちと大人が星宮神社に参拝後(特に神事はなし)、村廻りに出発。面をかぶるのは小学生で、6年生、4年生、3年生二人の4人が参加。大人たちによれば「昔は子供たちが我先に面を取り合った」とか。今は集落の子供は5~6人とのことで、後継者難が深刻。面役の子供たちは、集落の全戸(40戸ほど)を廻り、座敷内をひと回りして出てくる。旧集落の十数軒を1時間ほどで廻り、区内の新興住宅地へクルマで移動するところで見学を終了。
他に見学者はなく、地元の皆さんのみ。カメラマンは7人と町広報さん。座敷での見学を快諾いただいた集落の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/12/14

江戸城・諏訪の茶屋

旧二の丸は、将軍側室や女官たちが暮らした二の丸御殿があったところです。

20121214a二の丸御殿にも「表」や「奥」があって、多くの居館が建ち並んでいました。古地図を見ると、東照宮も祀られていたようです。
御殿の庭は、小堀遠州の造園で、築山を背景にして池が配され、公式行事で舞われた能の水舞台がありました。

現在、二の丸御殿のあった辺りは、諏訪の茶屋と日本庭園になっています。
諏訪の茶屋(上の写真)は、優雅な外観の純和風建築です。もとは江戸城の吹上御庭(現在の皇居)にありましたが、皇居東御苑の整備に伴って今の場所に移されました。
現在の建物は、明治45年(1912)に再建されたもので、明治期の優れた和風建築の一つです。

20121214b日本庭園は、小堀遠州の造園を基に、拡張整備されたものです。築山から流れ落ちる滝や池が効果的に配されて、紅葉がきれいでした。

ここから天神濠を通り、平川門から外に出ます。
平川門は、江戸城の鬼門の方角にあって、別名「不浄門」と呼ばれました。城内で出た罪人や死人はここから外に出されたそうで、禁を破って恋に生きた大奥年寄の絵島や、殿中で刃傷に及んだ浅野内匠頭もこの門から出されています。今では、濠にかかる木橋が江戸期の面影を残す数少ない門の一つです。

今回訪れた皇居東御苑は、一般開放されている皇居外苑や北の丸公園と違い、宮内庁所管の皇居附属庭園(つまり皇居の一部)です。宮中行事に支障がない範囲で公開されていますが、入退場のチェックや警備は厳重です。歴史的な建物も中を見学できないのは残念ですが、江戸城の雰囲気は十分伝わり、面白かったです。

平日限定の見学ツアー(要事前申込み)では、通常は立ち入れない区域を見学できるそうなので、いつか参加してみたいです。

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2012/12/13

江戸城・天守台

江戸城の天守閣は、慶長12年(1607)、元和9年(1623)ころ、寛永15年(1638)の3回建て直されました。

20121213a最後の寛永天守は、初層と2層に千鳥破風、4層に唐破風がある5層の壮麗な天守閣でした。
明暦3年(1657)正月に江戸市中を焼き尽くした明暦の大火で焼失。再建計画はありましたが、財政悪化の中で江戸市中の復興を優先するため、天守閣の造営は中止。
その後は、二度と再建されることはありませんでした。

現在残っている天守台(上の写真)は、明暦の大火後の再建計画で造営されたものです。前田家の普請で、巨大な白御影石の切石で将軍家の権威を高めています。

20121213b天守台から中雀門の方向を見ると、旧本丸跡を一望できます(左の写真)。
この広大な敷地に、手前から大奥、中奥、表の本丸御殿がぎっしり建ち並んでいたと思うと、何だか不思議な気がします。
ちなみに、この写真の右方向が江戸城旧吹上御庭(現在の皇居)です。

20121213c天守台の横に見える建物は、桃華(とうか)楽堂です(右の写真)。香淳皇后の還暦を記念して、昭和41年(1966)に完成した音楽堂です。
屋根はテッセンの花の形で、八角形の壁面は、正面から時計回りに「日月星」「衣食住」「風水火」「春夏秋冬」「鶴亀」「雪月花」「楽の音」「松竹梅」をモチーフにした陶板画が描かれています。

次は、梅林坂を下って旧二の丸に戻ります。

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2012/12/12

江戸城・本丸

中雀(ちゅうじゃく)門跡を入ると、旧本丸です。

20121212a本丸には、幕府政庁の「表」、将軍の居館の「中奥」、正室や女官が住んだ「大奥」などの本丸御殿と、天守閣がありました。

さすがに警固も厳しく、本丸の石垣には要所に櫓が建ち、櫓と櫓の間を多聞(防御壁兼武器庫)でつないで防御線としていました。

江戸城には19の櫓がありましたが、現在残っているのは富士見櫓(本丸)、伏見櫓(西の丸)、桜田二重櫓(三の丸)の3つです。

上の写真は、本丸の富士見櫓です。明暦の大火(1657)で天守閣が焼失した後は、江戸城のほぼ中央にあったこの櫓が天守閣として代用されました。ここから将軍が両国の花火を楽しんだそうです。

20121212b遊歩道に沿って歩くと、松の大廊下跡の案内板があります(右の写真)。江戸城内で二番目に長い廊下で、襖戸に松と千鳥が描かれていました。播州赤穂藩主・浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた場所として有名になりました。

ちなみに、赤穂浪士の討入り後、遺子・浅野大学長広は御家再興を許され、安房朝夷郡平郡に五百石の所領を与えられて旗本に復帰した、ということで房総とも縁があったりします。

遊歩道を左手に進み、西側塁を上ると富士見多聞があります。本丸を取り囲んでいた多聞の一部が残っています。

20121212c富士見多聞を過ぎて坂を下ると、西側塁に掘られた石室(いしむろ)が現れます(左の写真)。
伊豆石で組まれた広さ20平方メートルほどの広さで、用途には諸説があります。
ちょうど大奥御納戸の脇に当たるので、非常時に大奥の調度品を収めた石蔵ではないかと云われています。

江戸城の古地図を見ると、将軍が大奥に渡る「御鈴廊下」はこの近くにあったようですが、現在は大奥の跡は広大な芝生広場になっています。

次は、いよいよ天守台に向かいます。

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2012/12/11

江戸城・同心番所

大手三の門は、高麗門と渡櫓がある枡形門で、かつては門の前に内濠があり、木橋が架かっていました。

20121211a木橋のたもとには同心番所があって、御三家以外の諸大名はここで駕籠を降ろされたので、三の門は別名「下乗門」とも呼ばれました。

上の写真は、現在の同心番所です。内濠は埋め立てられて道となり、番所は本来の位置から旧三の門内に移動しています。

三の門跡を過ぎると旧二の丸です。二の丸は、将軍側室や女官たちの御殿があったところです。

20121211b本丸へと進むと、巨大な百人番所(左の写真)があります。
大手三の門を警固する鉄砲百人組(根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組)が交代で詰め、江戸城最大の番所でした。

百人番所を過ぎると、一段と高い石垣があります。旧本丸に通じる中之門跡です。この門も巨大な渡櫓で、明治期の写真には残っているので、戦災で消失したのかな?

20121211c中之門跡を入るとすぐに大番所があります(下の写真)。
大番所は、本丸に至る最後の番所で、上位の与力や同心が警固していました。
泰平の世になっても、いざというときに備えていたのですね。

大番所を過ぎると、中雀(ちゅうじゃく)門跡です。この門を入ると、いよいよ旧本丸です。

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2012/12/10

江戸城・三の丸尚蔵館

三の丸尚蔵(しょうぞう)館は、皇室から国に寄贈された絵画や書、工芸品を一般に公開している博物館です。

20121210a訪れた日は、ちょうど「鎌倉期の宸筆と名筆~皇室の文庫(ふみくら)から」展を開催中。宸筆(しんぴつ)とは、天皇の直筆のことです。

展示されている書状が、平安期の貴族・藤原氏や平重盛の直筆だったり、鎌倉期の伏見天皇、後伏見天皇、花園天皇、光厳天皇、南北朝期の後村上天皇、崇光天皇の宸筆だったりして驚きます。西行法師の直筆書状もありました。

20121210b書についてはまったくの無知ですが、歴史の重みと本物の迫力に圧倒されました。
しかし、800年前に和紙に墨書したものが現存するってのはすごいと思います。今の洋紙に印刷したものって、ちゃんと後世に残るんだろうか…(謎)。

これらの書画は、皇室の文物を司る宮内庁書陵部が所蔵しています。ちなみに宮内庁の所管なので、国宝や重要文化財などには指定されていないようです。

三の丸尚蔵館の裏手は、かつて三の丸御殿があったところです。現在は宮内庁病院が建っています。

尚蔵館を出てさらに進むと、大手休憩所(売店)があります。三の丸と二の丸を隔てる内濠があったところですが、現在は埋め立てられています。もともと三の丸は、四方を濠に囲まれて、いざというときは外郭の役割を担っていたようです。

大手休憩所のそばに、大手三の門跡の石垣と同心番所があります。
ここから先は、旧二の丸です。

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2012/12/09

江戸城・大手門

師走のよく晴れた日曜日、妻と皇居東御苑を散策。

20121209a皇居東御苑は、もとは江戸城の天守閣や大奥などの御殿があった本丸、二の丸、三の丸の跡です。

まずは、江戸城の大手門へ。
将軍や勅使、諸大名が使った正門で、高麗門、枡形、渡櫓(わたりやぐら)で構成された典型的な城郭の門です。登城する諸大名は、大手前に御供を残し、わずかな人数で濠に架かる大手橋を渡り、この門から城内に入りました。

上の写真は、桔梗濠から見た現在の大手門。昭和43年(1968)に再建された高麗門とその奥に渡櫓が見えます。かつての大手橋は大正年間に埋め立てられ、地続きになっています。

20121209b登城した大名の気分で高麗門をくぐり、枡形から大手前方面を振り返ると…。城郭越しに見える大都会の風景は何だか妙な感じ…(下の写真)。

大手門を入ると、そこは旧三の丸です。
三の丸は、五代将軍綱吉が幼い時期を過ごした御殿や、生母の桂昌院、側室の瑞春院の御殿があったところです。

次は三の丸尚蔵館に向かいます。

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2012/12/01

師走の一日

12月に入りました。今年は暖冬か…といわれていましたが、はや年末なみの寒さで震える日が続いています。

20121201今日は、上京中の両親を送って羽田空港へ。
今回は日程が合わず、ゆっくり話もできなかったので、エクセルホテル東急で飛行機を眺めながらランチ。久しぶりに親、子、孫が集まり、大人数で賑やかでした。

帰りは、首都高で銀座へ移動し、ニコン銀座SCへ立ち寄りました。
毎年この時期は、銀座SCで撮影機材のLPF(ローパスフィルタ)清掃と点検を受けています。丸4年以上酷使したD300ですが、異常は見つからず、来年も元気に祭事撮影に活躍してくれそうです。
今回は、作業が混んでいたようで、完了まで2時間半ほどかかりました。

待ち時間を利用して、Xmasモードの銀座をぶらぶら。一人じゃ入るのを躊躇するブランド系のショップも、今日は女性陣が一緒なのでへっちゃらです。
クルマは松坂屋の駐車場に預けましたが、幸い(?)妻が松坂屋で高額消費したので、長時間の駐車料金も無料になって助かりました(汗)。

銀座界隈を歩き回った後は、久々に九州じゃんがららーめんへ。冷えた体に豚骨スープが一段と美味しかったです。

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