« 秩父・貴布祢神社神楽 | トップページ | 香取・おらんだ楽隊 »

2012/05/19

秩父・秩父歌舞伎正和会

平成秩父座で行われた正和会の秩父歌舞伎を撮影。

20120519_4秩父は江戸期に生糸の集積で栄えた地域で、江戸の文化が伝わり、すでに江戸中期には盛大な秩父夜祭りや屋台芝居が演じられていました。

秩父歌舞伎は、江戸後期に初代板東彦五郎が修得して帰郷し、近郷の村人に教えたのが始まりです。
昭和初期まで近郷各地で盛んに演じられていましたが、その後は衰退。戦前の「出征遺家族慰問の夕べ」を最後に戦時中は中断。昭和22年、かつて演じた人々が正和会を結成し、伝統の秩父歌舞伎を復活させました。
地芝居では珍しく、週2回の稽古を欠かさず芸を磨き、襲名披露も行っています。

正和会の秩父歌舞伎は、秩父市無形民俗文化財に指定されているほか、国重文の「秩父夜祭りの屋台芝居」(12月3日)で屋台の張り出し舞台でも演じられます。

【この日の進行スケジュール】
15:10~16:20 「絵本太閤記-十段目尼崎閑居之場」

【メモ】
正和会の第30回定期公演は、初の掛け舞台「平成秩父座」で行われた。 「絵本太閤記-十段目尼崎閑居之場」は、謀反を起こした光秀の閑居が舞台。前段は、光秀の子・十次郎が初菊と祝言を上げて出陣する。中段は、泊めた旅僧の正体が真柴久吉と知った光秀が、久吉と間違えて母を竹槍で突く。そこに敗走した十次郎が戻り、光秀に戦況を伝えると自害して果てる。後段は、旅僧姿の久吉とその家臣・正清が現れ、光秀に戦場での再開を約して去る。役者は素人と思えないハイレベルな演技。
桟敷席は多数の見物人で埋まり、その後方にはカメラマンの三脚と脚立がずらりと並ぶ。当日は炎天で、レンズ鏡筒が熱くなるほど。そのせいかVRがしばしば誤作動。機材にも暑さ対策が必要だった。

| |

« 秩父・貴布祢神社神楽 | トップページ | 香取・おらんだ楽隊 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 秩父・秩父歌舞伎正和会:

« 秩父・貴布祢神社神楽 | トップページ | 香取・おらんだ楽隊 »