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2012/01/15

袖ヶ浦・飽富神社の筒粥

袖ヶ浦市飯富の飽富神社で行われた「筒粥神事」を撮影。

20120115【現地解説板の説明】
「今日の飽富神社は,式内社の飫富宮にあたり,この神社の筒粥は,隣接する国勝神社の筒粥とともに,毎年一月十四日の深夜から十五日の未明にかけて行われます。
小川平左衛門家の当主が,十三日の夜から十四日の未明にかけて井尻(木更津市)の一定の場所でひそかに葦を切ってくる。
中山市左衛門家の当主が,いろりの鉤と箸(ともに柳の木を用いる)をととのえ,多田兵庫家の当主が,粥の米と版木を持ってくる。十四日の夜には神社の役員等が七十五本の葦筒をつくり,一定の数にわけてそれぞれ編んで束ねる。
深夜の零時に,数人の若者が裸で水を浴びて身を清め,ヒノキの板ときりで神聖な火を切り出し,この火で粥を煮る。粥に葦筒を入れてかきまぜ,神前での儀式の後にそれらの葦筒を裂いて筒のなかに入った粥の分量で,大麦,小麦,麻衣,早稲,中稲,晩稲,稗,粟,大豆というように,作物の作柄を占います。地元の人々は,その結果を見にくるとともに,午王串をうけて帰ります。
この神事は,禊が慣行され,旧家の役割が受け継がれるなど,年占いの古いかたちを残しているもので,作物の作柄を占う農耕儀礼のひとつとして本県民の生活文化の特色を示す典型的なものといえます。」

【この日の進行スケジュール】
14日
23:40~ 水垢離(手水舎)
15日
0:00~ 火鑽(ひき)り(社務所)
0:30~ 粥煮(社務所)
1:00~ 筒粥神事(拝殿)
祝詞→玉串奉奠→筒を開く→神職による判定→結果公表
1:20ころ 終了
1:30~ 直会

【メモ】
青菅→袖ヶ浦48kmを70分で移動。14日22時半に現地到着。水垢離し,火を起こすのは若者6人。火鑽り(火起こし)にかかった時間は27分でここ数年の最短記録。火をいろりに移し,鉄鍋に神水を入れ,煮立った湯に神職が米粉を入れる。葦筒を投入し,炊くこと15分ほどでドロドロの粥に。鉄鍋ごと神前に運んで神事。神事は八剱八幡神社の神職が催行。その後,奉仕者が小刀で葦筒を1本づつ割り,神職が判定。結果は大麦・麻衣が「九」で豊作,稲は「六~八」と出た(世情の項目はなし)。
見物人は地元の皆さんが30人ほど,カメラマンは私のみ。駐車場は境内にあり。
詳しく教えていただいた区長さん,地元の皆さん,ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/01/14

佐倉・青菅のどんどれえ

佐倉市青菅地区で行われた「どんどれえ」を撮影。

20120114江戸初期から続く小正月の行事で,毎年1月14日の夕方,青菅地区の通称「どんどれえ広場」で行われます。

正月飾りを焼いて年神様を見送る「どんど焼き」で,燃えた竹が破裂する「どん」という音と「払い」が訛って,地元では「どんどれえ」と呼ばれています。もとは地区の子供たちの行事で,少子化により大人たちが準備をするようになった今も,点火は地区の子供が行っています。

燃えた竹が青菅側に倒れると豊作になるとされています。地元では,この火で焼いた餅を食べると風邪を引かず,焦がした松飾りの枝を門先にさして一年間の災厄除けにします。

【この日の進行スケジュール】
18:00~ 点火
20:00ころ 終了

【メモ】
竹立ては,大人だけで前週の日曜日(朝8~11時)にクレーン車で行った。この日は16時に現地入り。消防団が延焼防止に周辺に放水。17時半,人が集まり始める。18時の点火は地区の男児が担当。瞬く間に炎に包まれ,竹のはぜる「どーん」という音が響く。舞い上がる火の粉が神秘的(熱いけど)。
見物人は100人以上,カメラマンはケーブルTVほか多数。地元よりも他地区の人が多く,たくさんの人が枝に餅を刺して焼いていた。19時半を過ぎると人もまばら,20時に消防団が放水して鎮火。広場周辺に駐車場なし。詳しく教えて頂いた消防団長さん,副区長さん,ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/01/08

茂原・昌平町のみろく踊り

茂原市昌平町で行われた「お水かけ」と「みろく踊り」を撮影。

20120108江戸期から三百年以上続く伝統行事で,毎年1月8日,昌平町の稲荷神社を中心に行われます。

午前中は「お水かけ」で,稲荷大明神が火伏せの神様であることに因み,地区の家々に,古い手押しポンプで少しずつ水をかけて廻ります。明治初期に中断したところ,二度の大火が起きて復活し,現在まで続いています(上の写真)。

夕方には「みろく踊り」が行われます。神社例祭の歩射(ビシャ)行事で,神社から歌い手,神官を先頭に烏帽子に白衣姿の氏子が縦に踊りながら町内を回り,直会で新年を祝います。

【この日の進行スケジュール】
9:00~10:30 お水かけ
16:00~ みろく踊り
稲荷神社→町内の辻8カ所→稲荷神社
16:40ころ 終了
18:00~ 直会

【メモ】
午前8時半に現地着。町会長さんの挨拶で乾杯後,「お水かけ」に出発(20人)。手押しポンプは昭和17年製。家々の前に置かれたバケツの水を補給しながら,町内110軒余を1時間半かけて巡回。休憩で頂いた漬け物とゆず茶が美味。神社で解散し,夕方まで市立図書館で資料収集して時間調整。午後4時,神社からみろく踊りが出発(15人)。町内の辻で短く踊り,神社に戻る。いずれも神職の参加はなく,すべて氏子が取り仕切る。
関係者以外に見物人なく,カメラマンは「お水かけ」では報道のほか3人,「みろく踊り」では2人。駐車場は神社横に駐車可。詳しく楽しく教えて頂いた昌平町の皆さん,ありがとうございました。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/01/07

君津・菅原神社のやぶさめ

君津市北子安の菅原神社で行われた「やぶさめ神事」を撮影。

20120107b【現地解説板の説明】
「毎年一月七日に,菅原道真,日本武尊,誉田別尊(ほんだわけのみこと)を祭神とする菅原神社において『やぶさめ』が行われる。
起源は明らかでないが,里伝によれば元禄年間に当時の領主が祭祀料を供進し,やぶさめの行事を行いつつ武道を奨励し五穀豊穣を祈願したと言われている。
一月六日に矢迎えの儀が行われ,弓,矢,的を総代六名が参加し新調する。弓は長さ約六尺(一.八メートル),矢は,十二本,的は竹で編みその上に紙を貼る。的は,その年の恵方にたてられ,射手との距離は,弓の長さの五倍とされ,的と射手の間には,新しいわらが敷かれる。
矢は,「わかと」,宮司,自治会長,総代の順に射る。的の白黒部分に当たった矢の数により,その年の天候,豊凶を占う。」

【この日の進行スケジュール】
9:30~ 神事(拝殿)
10:00~ やぶさめ神事
わかと→市長→宮司→氏子総代→氏子が3本ずつ射る
10:30ころ 終了

【メモ】
木更津→君津15kmを30分で移動。午前8時に現地入り。的と矢を神前に祀り神事の後,やぶさめを催行。「わかと」は氏子の長男から選ばれる。今年の恵方は北北西。矢は白に3本,黒に5本が命中。宮司さんによれば「雨が多い一年になりそう。33万人の避難者がいる今年は平穏無事であって欲しい」とのこと。最後に白味噌の雑煮が振る舞われて終了。
見物人は地元の人たちが中心,カメラマンは報道のほか数名。神社に駐車場あり。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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木更津・中島の梵天立て

木更津・金田海岸で行われた「中島の梵天立て」を撮影。

20120107a毎年1月7日,夜明けとともに,中島地区から六組(東・中宿・下宿・鯨・浜戸・新町)の若者が厳寒の海に「梵天」を立て,その間,岸では出羽三山の行人が般若心経を唱え,五穀豊穣・浜大漁と悪疫退散を祈祷します。

もともと房総は,関東の中でも奥州出羽三山信仰が盛んでした。中島地区では,江戸元禄期,役人から沖で難破した船の大錨を盗んだと疑われ,行人の祈祷で錨が見つかりムラの疑いが解けたことから,出羽三山の神徳に感謝して梵天を海に立てるようになったのが始まりと云われています。

口伝によれば,もとは行人が海に入りましたが,いつしかムラの青年の成人儀礼と結びつき,その年にムラの「ワカイシュ」(若い衆)に仲間入りする若者が海に入るようになったと伝わり,珍しい形態を残す行事です(国記録選択無形民俗文化財)。

【この日の進行スケジュール】
6:30~ 行人が集合(水天宮)
6:47 日の出
7:00~ 梵天立て
六組が順に海に入り,岸では行人が「拝み」を唱え続ける
7:30ころ 終了

【メモ】
午前6時に現地入り。この日は大潮(引き潮)で,気温2度,強い北風の中で催行。午前7時,行人が法螺貝を吹くと,ヤドから若者の組が続々と到着。白さらし姿で到着順に海に入る。後から立てる組は,前の組より沖に立てる慣わし。OBは浜で「大梵天」の藁筒を持って見守る。風向きを計算しないと竹が流されるのでコツが必要とのこと。
厳寒の早朝だが見物人で岸が埋まる。報道のほかカメラマンも数え切れず(岸には三脚+長玉レンズの砲列)。今年は報道用の小船2艘が出た(昔と違い,アマチュアの乗船は不可)。駐車場は金田漁協が利用可。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/01/06

船橋・梯子乗りと木遣り歌

今年の初撮りは,新春恒例の船橋市「梯子乗りと木遣り歌」を撮影。

20120106船橋に江戸期から続く梯子乗りと,明治以降に始まった木遣り歌。正月に一緒に行われるようになったのは,昭和10年以降だそうです。

梯子乗りを演じるのは若鳶会,木遣り歌を歌うのは親鳶会の皆さんです。毎年1月初めの「船橋市消防出初め式」までの間,市内各所で披露されます(市無形民俗文化財)。この日は,船橋市役所前で行われました。

【この日の進行スケジュール】
12:45~ 梯子乗り
梯子乗り(若鳶会)→木遣り歌(親鳶会)&纏い振込み(若鳶会)
13:00ころ 終了

【メモ】
早めに現地入りし,市役所の食堂で昼食。12時半,市役所前に梯子を積んだトラックが到着。道路に筵を敷き梯子を立て,手際よく準備完了。梯子乗りを演じたのは若鳶会の3人。梯子の後,全員で木遣り歌を唄い,纏いの振り込みを披露。最後に見物人と一緒に三本締めで終了。
見物人は市長や市職員,向かいの消防局員や来庁者など多数。カメラマンは報道のほか2~3人。駐車場は市役所のコイン駐車場を利用(市役所各課に用事があれば無料)。
※詳細記事は,本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2012/01/01

新たな年へ

新しい年を迎えました。

拙ブログは,今年で8年目に入りました。本宅サイト「ぐるり房総」の番外編としてスタートし(最近は祭事の編集後記に偏った感がありますが),たくさんの皆さんに見ていただき感謝しています。

本宅サイト「ぐるり房総」では,2002~2008年は年間3~5か所,2009年は39か所,2010年は58か所(走行距離7844km)を取材し,2011年は他県を含めて40か所(5376km)を採訪しました。今年も,新たな出会いを求めて,民俗行事を訪ねたいと思っています。

昨年は,大震災の災禍を目の当たりにして,様々なことを深く考えさせられました。人々の気持ちが沈み,各地で祭事の自粛中止が続く中,真っ先に「こんな時だからこそ」と声をあげたのが被災地・旭市の神楽保存団体だったことにとても勇気づけられました。

被災地域の皆さんが,一日でも早く元の穏やかな暮らしに戻れますように。
そして,今年も様々な地域の祭事を,地元の皆さんの目線で紹介できたらいいなと思っています。

新しい年も拙ブログをどうぞよろしくお願いします。

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