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2008/08/31

松戸・野菊の墓文学碑

晴れたかと思うと急に土砂降り…,このところ不安定な天気で写欲が湧かない週末が続きます。

080831少し晴れたので,妻と愛犬を連れて,松戸市矢切の西蓮寺境内にある「野菊の墓文学碑」へ。

「野菊の墓」は,明治39年に伊藤左千夫が発表した純愛小説です。左千夫は,九十九里の旧成東町(今の山武市)の生まれですが,小説では矢切を舞台に政夫と民子の悲恋が描かれています。

この場所には,政夫が民子を待った村はずれの坂道の大銀杏がありました。今は切り株だけが残っていて,小説の一節を刻んだ文学碑が建っています。
高台から畑の風景を眺めていると,どこからか「民さんは野菊のような人だ」と政夫の声が聞こえてきそうです。

この日は,江戸川が増水して,矢切の渡しが欠航していました。そのせいか,柴又側から訪れる人もなく,ひっそりしていました。

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2008/08/26

日本の祭り写真展

東京ミッドタウンの富士フイルムスクェアで開催中の「日本の祭り入賞作品展」に行ってきました。

080826キタムラ主催の写真コンテストの応募作品1万2千点余から選ばれた入賞作品の中から,特に秀逸な作品を展示しています。
応募はしていませんが,祭りを撮る際にいつも気になることがあり,皆さんはどうしているのか興味があったので出かけました。

それは,「肖像権」の問題です。最近では,どのフォトコンもこの問題を撮影者においてクリアした上で応募することを条件にしています。
地域の人々の習俗をテーマに撮る祭り写真では,祭り装束の個人を撮らせてもらうこともあれば,御輿や山車をメインに撮ることもあります。前者の場合,その人に承諾をもらえばすみますが,後者の場合,たまたま写った全員から承諾をもらうのは現実問題として不可能です。撮るときに意識して撮影していますが,限界があるように感じていました。

今回の入賞作品を見ると,個人をメインの被写体として撮った作品を除くと,人物は顔が写らない後ろ姿だったり,大きくぼかして処理している例が多かったです。やはり,皆さん相当「肖像権」を意識して撮っているようで参考になりました。

「日本の祭り入賞作品展」は,8月28日までです。

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2008/08/24

MFシステムとの別れ

ニコンMFシステムを処分して,機材を整理しました。

長い間お世話になったMFのAi-sレンズ群。マニュアルで写真を撮るのは至高の楽しみでした。
でも,老眼が進んだせいか,スプリットプリズムでのピント合わせが困難になってきました。この1年間の撮り方を振り返り,フィルムもAFで楽しむことにして,思い切ってMFシステムを処分しました。

今回処分したのは,F3とMD-4,Ai-s 28/2.8,35/2,50/1.4,105/2.5,180/2.8ED,TC14ASでした。いつもの中野F店に持ち込みましたが,さすがに後ろ髪を引かれる思いでした。
代わりに,フィルム用にBiogon T* 28/2.8と,デジ一眼のD300を購入しました。

D300が加わって,結局使わなくなったD200と稼働率の低いAF-S DX VR 18-200/3.5-5.6Gも手放しました。
防湿庫がガラガラになり,危険な予感です…(笑)。

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2008/08/21

会津・野口英世記念館

野口英世は,明治9年(1876),猪苗代湖畔の貧しい農家に生まれました。

0808211歳のとき,囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負いますが,貧しくて医師にかかれませんでした。15歳のとき,癒着した左手の大手術を受け,これがきっかけで医学を目指します。19歳で上京し,21歳で医師試験に合格しました。
順天堂医院や伝染病研究所に勤めた後,24歳でアメリカに渡り,ロックフェラー研究所で蛇毒の血清,梅毒スピロヘータの研究で実績を上げました。
42歳のとき,南米で黄熱病の病原体を発見し,以後は黄熱病の研究に没頭します。50歳でアフリカに渡り,現地で研究中,自らも黄熱病に感染して亡くなりました。

野口英世の生家(上の写真)は,当時のまま保存されています。母屋には,英世が火傷をした囲炉裏や,19歳の上京時に床柱に刻んだ「志を得ざれば再び此の地を踏まず」の文字が残っています。雄大な磐梯山と猪苗代湖に育まれ,世界的な偉人となった野口英世は,会津の大きな誇りだったことでしょう。

今回の会津の旅は,これで終わりです。帰路は,磐梯熱海温泉に立ち寄ってから常磐道で帰宅しました。

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2008/08/20

会津・飯盛山

会津と言えば,白虎隊の悲劇で有名です。白虎隊終焉の地,飯盛山を訪ねました。

080820_2幕末,会津藩では,玄武隊,青龍隊,朱雀隊,白虎隊の4隊が藩の防衛に就きました。白虎隊は,数えで17歳以下の少年兵で構成された予備隊でした。

白虎隊の士中二番隊42名は,猪苗代湖畔の防衛戦に出撃しますが,圧倒的多数の新政府軍の前に敗走します。城を目指して退却する途中,飯盛山で少年兵たちが見たものは,はるか眼下で砲声とどろく城下町と煙炎に包まれた天守閣でした。これを見た少年兵たちは,もはや落城したと思い込み,忠義に殉じてその場で全員が自刃しました。
これが世に伝わる白虎隊の悲劇です。
このとき自刃した1名が,偶然助けられて生還し,悲劇の顛末を後世に伝えたそうです。

写真は,自刃の地に立つ白虎隊士の石像で,若松城の方角を向いています。
眼下には,今は穏やで平和な町並みが広がっています。当時の少年兵たちが見た光景と気持ちを思うと,歴史の過酷さに胸が痛みました。
次は,猪苗代湖畔の野口英世生家を目指します。

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2008/08/19

会津・御薬園

御薬園は,旧会津松平家の日本庭園です。

080819早くから薬草園が置かれたので,御薬園(おやくえん)と呼ばれるようになりました。

現在の庭園は,元禄時代の1696年,遠州流に改修されたものだそうです。
広さは5100坪。池畔の御茶屋御殿から見ると,池には亀島と楽寿亭(写真)が浮かび,東山連山を借景にした純和風の山水庭園が見事です。

薬草園では,領民を疫病から救うため,朝鮮人参や各種薬草の研究が行われていました。そのため,戊辰戦争では政府軍の野戦診療所となり,戦火を免れたそうです。

散策中に雨が降ってきました。雨に濡れる和庭園の風情には,また格別の趣がありました。
次は,白虎隊の舞台となった飯盛山を訪ねます。

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2008/08/18

会津・若松城

会津若松の街に入り,最初に若松城を訪ねました。

080818若松城は,別名を「鶴ケ城」といい,白く気品のある名城です。
戦国期に伊勢松阪から転封した蒲生氏郷が築き,江戸初期に加藤氏が整備し,その後,永く会津松平23万石の居城となりました。
幕末の戊辰戦争で,新政府軍の総攻撃を受けて落城し,破却されていましたが,昭和40年に復元されました。

戊辰戦争は,守旧派の幕府方と急進勢力の薩長方が,日本中を巻き込んで戦った最後の内戦です。
徳川ゆかりの会津松平氏は,徳川家への忠義を重んじて幕府方として戦い,最後は薩長の画策で賊軍になってしまいました。大きな時代のうねりに翻弄され,白虎隊や婦女子の自刃などの悲劇が起き,今も会津の人々の間に語り継がれています。

わずか140年前に,このような凄惨な内戦があった事実を,再認識させられました。
次は,御薬園を訪ねます。

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2008/08/17

会津・大内宿

会津西街道の旧宿場・大内宿を訪ねました。

080817大内宿は,日光と会津若松を結ぶ会津西街道の途中にある山あいの集落です。その昔,会津若松から江戸に上る旅人は,険しい氷玉峠を越えて大内宿で休息し,日光今市を目指しました。
江戸時代は,参勤交代の大名行列が立ち寄る本陣が置かれ,旅籠や問屋が集まって大いに賑わったそうです。

幕末になると,会津征伐の官軍の侵攻を受け,明治以降は阿賀川沿いに新街道が整備されたため,大内宿は時代から取り残され,寂れていきました。

昭和56年,古い街並みが注目され,重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。集落が協力して,トタン屋根を茅葺きに戻し,舗装をはがして,往時の宿場町が再現されました。

写真は,早朝の大内宿です。街道に沿って茅葺き入母屋造りの古民家が並んでいます。その多くは土産物店か蕎麦屋です。両脇の水路ではラムネやスイカを冷やしています。他の重伝建地区と比べると,観光地化の度合いが強いように見えました。でも,一歩裏手に回ると,そこにはちゃんと地元の人々の素朴な生活がありました。
次は,会津若松を目指します。

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2008/08/16

会津・茅葺きの駅舎

080816a会津西街道と平行して走る会津鉄道。昭和62年に旧国鉄会津線が廃止され,第三セクターの会津鉄道が運行しています。今回の旅はクルマですが,途中で湯野上温泉駅に立ち寄りました。

この駅は,日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎です。開業は昭和7年ですが,今の駅舎は会津鉄道になってから,大内宿の玄関駅にふさわしい情緒ある建物に改築されたそうです。

無人駅ですが,見学していると商店のおばさんが説明してくれたり,古民家造りの待合室には囲炉裏があったり,近所の人が犬を散歩させたりと,時間がゆっくり流れていました。

080816bしばらく見学していると,ちょうど汽車が到着しました。車体には,会津ゆかりの野口英世とその母シカの写真が描かれていました(新千円札発行記念ペイントだそうです)。
次は,会津西街道の宿場町・大内宿を目指します。

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2008/08/15

会津・塔のへつり

妻の休暇に合わせて,会津若松に行って来ました。

080815東北道を西那須野塩原ICで降り,会津西街道をひた走ります。道の駅で仮眠した後,阿賀川に沿って北上し,最初の目的地「塔のへつり」へ。

塔のへつりは,浸食された岩が塔のようにそそり立つ名勝地です。「へつり」というのは,地元の方言で急な岸や断崖のことだそうです。

早朝,誰もいない観光駐車場から土産物店を抜けると,すぐに渓流に出ました。目の前に,渓流や風化で浸食された柱状の岩がいくつも並び,奇怪な光景が広がります。
下の水流は思ったよりずっと緩やかでしたから,なぜ浸食されるのか不思議に思いました。ただ,このような地形ができるまでに百万年はかかるそうで,国の天然記念物に指定されています。

吊り橋を渡ると,崖の真下まで行くことができます。岩に沿って遊歩道もありますが,崩落していました。しーんと静まりかえった深い山とマイナスイオンが気持ちよかったです。
次は,会津鉄道・湯野上温泉駅を目指します。

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2008/08/10

軽井沢・2008年夏

今年も,家族の恒例行事で夏の軽井沢へ出かけました。

080810今回は,東京で就職した姪も一緒です。
関越道は順調で,途中のSAで釜飯を食べても2時間ちょっとで到着しました。いつもの駐車場に車を預け,旧軽井沢銀座へ。ぶらぶらショッピングを楽しみます。

ミカドコーヒーでモカ・ソフトを食べ,新しいショップをチェック。娘たちに愛犬を任せて,茜屋珈琲店でゆっくり珈琲を楽しみます。ハチミツ屋さんでトチ蜜を舐めていたら,娘たちから携帯にコール。みんなそれぞれ大きな紙袋を抱えています。昼ころになると,通りは人でいっぱいになりました。

午後,人混みを避けて三笠ホテル(写真)へ。訪れるのは20年ぶりくらいです。娘と姪は,さかんにデジカメで写真を撮っていました。せっかくなので,白糸の滝まで足を延ばします。観光バスが何台も来ていて,ものすごい人…。滝の涼風を人の熱気が圧倒していました。
北軽井沢までドライブして遅いランチを食べましたが,旧軽井沢地区と違って犬OKの店がなくて困りました。北軽井沢はペット連れには不向きですね。
中軽井沢から南軽井沢に戻り,友人H氏の別荘を表敬訪問。その後,プリンスのアウトレットに立ち寄って帰宅しました。

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2008/08/04

山梨・赤沢宿2

6月に訪ねた山梨・赤沢宿(記事はこちら)。再び,早朝の情景を撮りに行きました。

080804道の駅で仮眠し,早朝6時ころ現地到着。車を置き,機材を担いで石畳を上り下りします。途中,前回は雨戸が閉まっていた大黒屋さんが,戸を開けて風を通し,打ち水をしていました。今は営業していないので,時々風を通して古い建物を維持しているのですね。

大黒屋さんといえば,前回,軒先のマネギ板(講中札)を写真ブログ(こちら)に掲載したところ,赤沢宿の街おこしブログを主催されている方から,「写っているランプシェードは,赤沢に電気が通った大正11年の物で,赤沢の貴重な文化遺産です」と教えていただきました。ありがとうございました。

石畳の坂を歩いていると,地元の人と行き交います。こちらから声をかけると,笑顔で挨拶を返してくれます。都会と違う人の温もりを感じ,うれしくなりました。
下まで降りると,今度は集落全体を見渡せる場所を探して石畳を上ります。この石畳,結構きつい坂なので,上がりきったときには汗だくになっていました。

今回の撮影行では,朝もやに煙る赤沢の集落を撮りたかったのですが,残念ながら連日の快晴で朝もやは出ませんでした。

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