2020/05/25

緊急事態宣言が解除

期限を数日残して、最後まで残っていた5都道県(東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道)の緊急事態宣言が解除されました。

以下は忘備録

12月 8日 中国、武漢で原因不明の肺炎を確認

1月 1日 中国、武漢の華南海鮮市場を閉鎖
1月 9日 中国、新型コロナウィルスと発表
1月16日 日本で初の感染者(武漢からの帰国者)
1月23日 中国、武漢をロックダウン
1月28日 邦人救出に武漢へチャーター便

2月 5日 横浜入港中のクルーズ船で船内感染
2月26日 大規模イベント等の自粛要請

3月24日 東京オリンピックの延期が決定

4月 7日 緊急事態宣言(埼玉・千葉・東京・神奈川・大阪・兵庫・福岡の7都府県)
4月 8日 中国、武漢のロックダウンを解除
4月16日 緊急事態宣言を全国に拡大

5月 4日 緊急事態宣言を延長(5月31日まで)
5月14日 39県につき緊急事態宣言を解除
5月21日 関西3府県につき緊急事態宣言を解除
5月25日 首都圏1都3県と北海道につき緊急事態宣言を解除

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2020/05/04

緊急事態宣言が延長

緊急事態宣言の期限が迫りましたが、期限延長が決まりました(5月31日まで)。

特定警戒都道府県(東京・神奈川・埼玉・千葉・大阪・兵庫・福岡・北海道・茨城・石川・岐阜・愛知・京都の13都道府県)では引き続き、極力8割の接触削減に向けた「これまでと同様の取り組み」が必要とされています。

それ以外の県では「感染拡大の防止」と「社会経済活動の維持」との両立に配慮した取り組みへと段階的に移行するとされています。

県内の祭事・行事はほぼ中止で、博物館・美術館・図書館などの公共施設もほとんどが臨時休館中です。

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2020/04/25

感染症拡大予防のため活動自粛中

新型コロナ・ウィルス(COVID-19)感染症が全国に拡散し、4月7日に政府の「緊急事態宣言」が出されました(5月6日まで)。

20200425千葉県内の祭事・行事も、2月後半から中止の動きがあり、3月以降は縮小か中止に、4月からはほぼ中止になっています。 

特に高齢者が感染すると命にかかわり、医療施設の少ない地方での感染症蔓延は地域医療の崩壊を意味します。

ウィルスは、持ち込んでも持ち込まれても困るので、今は互いの自粛と忍耐が求められています。

このような時期ですから、私もしばらく祭事・行事の採訪活動を自粛します。

房総全域に(そして日本中に)早く平穏な日々が戻りますように。

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2020/03/15

江戸城外・北町奉行所跡と八丁堀の組屋敷

北町奉行所は、呉服橋門内(今のJR東京駅八重洲北口付近)にありました。

20200315こちらは、時代劇「遠山の金さん」こと遠山左衛門尉景元(金四郎、1793-1855)で有名です。景元は、五百石の旗本ですが、若いころ江戸市中で放蕩生活を送ったりしています。

出仕中、十二代将軍・徳川家慶の信を得て47歳で北町奉行に就任。
在任中、老中(水野忠邦)・南町奉行(鳥居耀蔵)らの酷な施策に反対し、わずか3年で左遷。ほどなく老中・南町奉行らが失脚すると、町奉行に返り咲き、今度は南町奉行を7年務めています。隠居後は出家し、63歳で亡くなりました。

東京駅八重洲口の再開発で、北町奉行所の排水溝石組が発見されました。鬼門除けに北東を欠いた部分が丸の内トラストタワーN館の東側の小径に再現されています。また、八重洲北口を出た外堀通りの歩道にも「北町奉行所跡」の碑があります。

20200315bさて、南北両奉行所には、奉行配下の与力50人・同心280人が働いていました。与力は二百石の徳川直臣、同心はその配下の侍で三十俵二人扶持でした。与力と同心は、八丁堀の組屋敷(今でいう官舎)から徒歩で通勤していたようです。
着流しに羽織、帯に差した十手の朱房が粋で、江戸庶民から俗に「八丁堀(の旦那)」と呼ばれました。

組屋敷があったのは、今の八丁堀駅北側~茅場町駅南側の広いエリアです。遺構は何も残っていませんが、八丁堀駅そばの「京華スクエア」(旧京華小学校)に「八丁堀与力・同心組屋敷跡」の解説板があります。

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2020/02/29

江戸城外・大岡越前邸と南町奉行所跡

外桜田には、時代劇でお馴染みの大岡越前守忠相の屋敷もありました。

20200229忠相(1677-1752)は、江戸町奉行を19年間も務めた実在の人物です。
家格は三千石の旗本で、幕府中央のエリート官僚ではありませんでした。遠国の伊勢奉行に赴任中、天領と紀州家の境界争いを公正に裁き、これに感服した紀州藩主・徳川吉宗が、八代将軍に就くなり忠相を江戸町奉行に抜擢したとされます。

町奉行就任は40歳のとき。在任中、吉宗の改革を助け、町火消し制度の創設や小石川療養所の開設、青木昆陽のサツマイモ栽培を援助したりしています。

60歳で寺社奉行に昇進した後、三河西大平藩(今の岡崎市)一万石の大名に列せられました。吉宗が亡くなると、葬儀奉行の大任を務めた後、吉宗の後を追うように病没しました(享年76歳)。

忠相の屋敷は、今の霞が関の裁判所近く(弁護士会館と簡易裁判所のビル辺り)にあり、弁護士会館の敷地に「大岡越前守忠相屋敷跡」の解説板があります。

20200229bさて、忠相が勤めていた南町奉行所は、数寄屋橋門内(今のJR有楽町駅東側)にありました。
当時、江戸町奉行所は呉服橋門内と数寄屋橋門内の2か所にあり、月番で交代に開所していました。このため、江戸の庶民は「北」「南」と呼んで区別したようです。

このお白洲で「三方一両損」など数々の名裁きが生まれた…と思いたいところですが、それを裏付ける史料はなく、どうやら判官贔屓の江戸庶民の創作のようです。

有楽町駅前の再開発で、南町奉行所の下水溝石組や穴蔵などの遺構が発見されました。石組の一部は駅前に再現され、小さな金色の解説板があります。また、穴蔵の床が地下街ホールに立て掛けられ、木樋とともにベンチとして再利用されています。

次は、北町奉行所跡と八丁堀の組屋敷を訪ねます。

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2020/02/15

江戸城外・日比谷御門と伊達政宗終焉地

歴史の痕跡を訪ねて、江戸城外を散策しました。

20200215まずは日比谷公園内にある「日比谷見附跡」へ。ここは、江戸城外の日比谷御門があった所です。

江戸城に近いこの一帯は、江戸期に外桜田と呼ばれる大名屋敷街でした。城外の要所には、江戸防衛のため36の外郭門(見附)が設けられ、日比谷御門もその一つです。

御門が設けられたのは三代将軍家光のころ。今の日比谷交差点付近に高麗門・枡形・番所があり、渡櫓から内山下濠に沿って石垣が続く堅牢な造りでした。門は仙台藩伊達家の、石垣は安芸藩浅野家の普請によります。

御門の守衛は、二万石の外様大名が担当したようです。明治初めに取り壊され、現在は浅野家が築いた石垣と内山下濠の一部(心字池)が残っています。

20200215bその少し先、日比谷サローの手前に「仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地」の解説版があります。

関ケ原で活躍した伊達政宗は、慶長六年(1601)、徳川家康から仙台藩六十二万石と外桜田の御用屋敷を与えられます。以降60年間、ここに仙台藩江戸屋敷がありました。
この間、政宗は、寛永六年(1629)に日比谷御門の普請を行っています。

政宗は、家康・秀忠・家光と三人の将軍に忠誠を尽くし、高齢ながら病を押して参勤交代で参府した寛永十二年(1635)、江戸屋敷で病没(享年70歳)。その亡骸は葬列で仙台に戻り、霊廟「瑞鳳殿」(仙台市青葉区)に葬られました。

日比谷公園の一帯は、明治維新後に陸軍練兵場が置かれ、戦災後は急速に開発されたエリアで、江戸期の遺構はほぼ残っていません。わずかに解説版で痕跡を知ることができるのみです。

次は、大岡越前邸と南町奉行所の痕跡を訪ねます。

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2020/02/08

匝瑳・時曽根の大蛇まつり

匝瑳市の時曽根地区で行われた「時曽根の大蛇まつり」を見学。

20200208豊栄地区時曽根では、毎年2月8日、古くから伝わる大蛇まつりが行われます。

朝、時曽根コミュニティセンターに各戸から藁を持ち寄り、長さ3m・太さ30cmほどの大蛇を3匹作ります。できあがった大蛇は、庭の槇の木に巻き付け、千手院の護符を口に挿し、御神酒を飲ませて魂入れの後、ムラ境3か所の樹上に吊るします。区内安全、無病息災、五穀豊穣、悪魔退散を祈願します。

ムラ境に道祖神と同じ性格を持つ蛇神を祀り、ムラに災いが入るのを一年間防ぐことを願う「辻切り」習俗の一つです。

【この日の進行スケジュール】
8:00~ 藁を持って集まり始める
9:00~10:30ころ 藁蛇作り
14:15~ 護符・魂入れ
14:30~ ムラ境に吊るす(北・東・西)
15:00ころ 片づけて終了

【メモ】
藁蛇は、下あご、上あご、胴体の順に作る。時曽根では、眼や舌も藁を編んで作る。昼食休憩の後、米倉の千手院(西光寺の末寺)から頂いた護符を榊葉の枝で挿し、一升瓶で盛大に御神酒を飲ませて魂を入れる。3組に分かれて北・東・西のムラ境に運び、樹上に結び付けて吊るす。古い藁蛇はその場で焼き、煙にして天に戻す。時曽根では地区の若者により受け継がれている。
見学者は3人、駐車場なし(周辺にスペースあり)。忙しい中、詳しく教えていただいた区長さん、地区の皆さん、ありがとうございました。

※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2020/02/01

来訪神・仮面仮装の神々の現在~東北・北陸地方を中心に

国立歴史民俗博物館で行われた映画の会「世界無形文化遺産 来訪神・仮面仮装の神々の現在~東北・北陸地方を中心に~」に行ってきました。

20200201今回は、歴博研究部民俗研究系の川村清志氏が撮影・編集した「来訪神の今ーナマハゲ・アマメハギ・スネカ」(2020)の上映と解説でした。

ナマハゲ(秋田・男鹿半島)は、大晦日の夜、異形の仮面を付けて家々を廻り、怠け者の行状を諫めます。
アマメハギ(石川・能登半島)は、天狗・ガチャ(角のない鬼)2人・猿の4人で家々を廻り、ノミと槌を打ち鳴らして暴れ、家人の行状を諫めます。
スネカ(岩手・大船渡地方)は、異形の仮面に蓑をまとい、包丁を持って数人で家々を廻り、家人の行状を諫めますが、現在は中学生が扮して行われています。

いずれも家々の繁栄と豊穣を祈る来訪神で、家人を諫める過程で子供を威すのは郷中教育の一種です。しかし、民俗芸能は、世界無形文化遺産登録などで地域外にも知られるようになると、地元の想いとは無関係に、メディアの要望や海外からの誤解など様々な外的要因の影響を受けて芸能が変容する現実があり、東北・北陸地方の芸能もその局面にあるようです。他方、変容を避けるため外の影響を厳しく遮断(撮影・録音・メモ取りを禁止)して文化財化を拒むアカマタクロマタ(沖縄・八重山諸島)の例も紹介され、民俗行事の伝承と記録・公開の在り方(資源化)について深く考えさせられました。

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2020/01/26

房総の郷土芸能2019

香取市の佐原文化会館で行われた「房総の郷土芸能2019」を見に行ってきました。

20200126参加団体は、おらんだ楽隊(香取市)、文違麦つき踊(八街市)、久能獅子舞(富里市)、中沢麦つき踊り(同)、伊能歌舞伎(成田市)、北辺田獅子舞(栄町)、佐原囃子(香取市)の7団体でした。

今回は印旛・香取地域の伝統芸能がテーマです。
おらんだ楽隊は、客席通路からステージに練り込む演出で、観客と一体感があって盛り上がりました。伊能歌舞伎は、子供たちが「白浪五人男~稲瀬川の場~」を熱演。佐原囃子は、佐原の大祭で奏でる曲々を披露して、女衆の手踊りが華を添えました。
個人的には、以前から気になっていた文違麦つき踊(八街市)を見ることができて良かったです。

ステージ公演なので音録りと、初投入のZ50+Z DX16-50/3.5-6.3、Z DX50-250/4.5-6.3で200コマほど撮影。ミラーレスで民俗芸能を撮ると、動きの激しい被写体で微妙なタイムラグ(EVFとかシャッターとか)が気になります。三匹獅子など舞・踊り系の民俗芸能はDf、それ以外の民俗芸能はZ50と使い分けるのが良さそうです。

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2020/01/19

柏・船戸のおびしゃ

柏市船戸の船戸会館で行われた「船戸のおびしゃ」を見学。

20200119【現地案内板の解説】
「おびしゃ」は、新春に行われる村寄り合いの大切な行事です。関東地方、特に千葉県に多く、もとは弓を射って的に当てることで、その年の豊凶を祈る行事でした。
船戸のおびしゃは現在は的射(まとい)はありませんが、古い形態が残され、農民の生活感情、娯楽、また武士への皮肉などが込められており、貴重な存在となっています。
新年に当番が交代し、氏子当番の人たちが神前供物から酒肴膳部の準備をし酒宴の中で「三助踊り」「三番叟」「おかめ踊り」が演じられます。
かつては天満宮で神事をしてから4区域の旧家4軒を宿として酒宴が行われていましたが、大正7年からは神事も酒宴も「医王寺」で、平成6年からは「船戸会館」で行われるようになりました。
伝えによりますと、元和年中(1620年頃)から始まり、1月20日と決められたのは天保7年(1836年)からと言われています。平成6年からは1月20日直前の日曜日に改められました。〔柏市教育委員会・船戸のおびしゃ保存会〕

【この日の進行スケジュール】
13:00~ 神事
13:35~ 当番長挨拶→加入者紹介→奉納品披露→燗酒上呈
13:45~ 祝宴・余興(三助踊り→三番叟→おかめ踊り)
14:33~ 謡曲→手締め→万歳
14:45ころ 終了

【メモ】
正式には「船戸鎮守奉社祭」。現在は6地区が順番に年当番を務める。神事は旧4坪(区域)に伝わる菅原道真公の掛軸4幅を掛け、左右に蓬莱山(松竹梅に折り鶴と木製の亀)を飾り、神官が五穀豊穣と無病息災を祈願。その後の進行は当番組が仕切る。今年の当番は第三組合で「三助踊り」、「三番叟」(船戸では氏子の娘さんが舞う)、「おかめ踊り」を披露。増田社中の指導を受け、12月から練習を重ね、素人芸とは思えない踊りで会場を沸かせた。
宴席は氏子のみで見学者は座敷に入れない。見学は廊下からの立見になる。見学者用の駐車場なし。

※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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