2018/07/29

ウィリアム・モリスと英国の壁紙展

妻と一緒に、群馬県立近代美術館で開催中の「ウィリアム・モリスと英国の壁紙」展に行ってきました。

20180729ウィリアム・モリス(1834-96)は、19世紀ヴィクトリア朝の英国で活躍したデザイナーです。

英国で室内装飾に壁紙が使われるようになったのは19世紀ころ。フランス様式の宮廷風な古典的なデザインが好まれ、産業革命により大量に機械生産されるようになりました。
そのような時代にあって、モリスは、真に快適で満足できる「美しい生活」には丁寧な手仕事による家具や壁紙が欠かせないと考えました。鳥や草花をテーマにした明るくリズミカルなデザインと、木版による丁寧な手作業で美しい壁紙を生み出し、英国の壁紙デザインを革新しました。

この企画展は、モリスとその仲間たちのデザインを中心に、「1.モリス以前」「2.モリスとモリス商会」「3.アーツ&クラフツ運動」の3部構成で、19世紀に隆盛期を迎えた英国壁紙デザインの変遷をたどっています。展示された約130点の貴重な壁紙や版木は、英国有数の壁紙会社サンダーソンの協力で日本初公開です。

ブロックパターンの壁紙のほか、モリスデザインで統一した居間「クラッシックモリス」、現代風のモノトーン調で統一した「ピュアモリス」のコーナーが造作され(いずれも撮影可)、人気を集めていました。

この企画展は、8月26日まで開催しています。

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2018/07/15

房総の素掘りトンネル巡り

房総半島の丘陵部には、泥岩の柔らかい地層を活かした素掘りのトンネルが多く見られます。週末を利用して、房総半島の素掘りトンネルを巡ってきました。

20180708a初めに、小湊鐡道月崎駅近くの林道月崎3号線にある通称「月崎3連トンネル」へ。
県道沿いにぽっかり開いた「永昌寺トンネル」の入口。明治31年(1898)の完成で、全長142m・幅3.1m。将棋の駒のような五角形で、日本古来の「観音掘り」という掘り方です。
地元の生活道路として現役で、出口部分は鋼板とコンクリで補強されていました。

その次に現れるのが「柿木台第二トンネル」。銘板はありませんが、小さいながら綺麗な円形の素掘りで、暗闇に浮かんだ丸い出口に吸い込まれそうでした。

さらに進むと「柿木台第一トンネル」があります。こちらは、明治32年(1899)の完成で、全長78m・幅3.5m。全線できれいな五角形の観音掘りを留めています。

20180715a続いて、「いちはらクォードの森」の手前から林道月崎1号線へ。
どんどん奥に進むと、忽然と現れた「月崎トンネル」。掘られた年代は不明。もとは一つのトンネルだったのが、真ん中の天井部分が崩落し、入口と出口に短いトンネルが残りました。
天井から差し込む太陽光が神秘的なトンネルで、ネット上では「ジブリの世界」とか「クォードの森神殿」などと表現されることも。
さらに奥に進むと小さな素掘りの円形トンネルがあり、まもなく道がなくなりました。

20180715b最後に、養老渓谷の向山トンネルへ。
上下に出口があって、思わず目を疑います。
正確には、上が向山トンネル旧出口で、下が共栄トンネル現出口です。
戦前からあった向山トンネル(全長92m)は、もともと上り勾配で直線に掘られ、上の出口に通じていました。昭和45年、元のトンネル内を途中から下り勾配に掘り下げ、左に湾曲させて共栄トンネル(全長23m)の新出口が完成。おそらくすぐ先の養老川に架かる共栄橋に動線をつなげるためと思われますが、世にも不思議な二階建てのトンネルになりました。
壁面の高所に見られる横穴は、旧道時代に掘られた防空壕跡で、かつての道の高さが分かります。

今回の素掘りトンネル巡りは、林道メインなのでバイク+GRの軽装備で廻りました。
深い山に囲まれて次々に出現する非日常の光景が面白かったです。

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2018/06/02

市川・行徳神輿ミュージアム

市川散策で4月にオープンした行徳神輿ミュージアムへ。

20180602行徳地区の神輿造りは、江戸期から続きます。

塩の出荷で栄え、旧街道には商家や寺社が建ち並び、宮大工などの職人も多く住んでいたことから、神輿造りが始まったとされます。
行徳大唐派風と呼ばれる形が特徴で、後藤神輿店・浅子神輿店・中台製作所が造る神輿は全国にその名が知られました。後藤・浅子の両神輿店が廃業した今、中台製作所のみが伝統を受け継いでいます。

ミュージアムは、中台製作所の六代目社長が、神輿職人の技と本物の良さを知ってもらおうと開設。大・中・小の神輿のほか、道具や製作過程の説明展示、行徳の祭りを紹介したシアターで、神輿ができるまでがよく分かります(ミュージアムの方の説明も分かり易かったです)。地元小学校の体験学習先にも選ばれているようです。

神輿も安価な製品が選ばれる時代ですが、本物は精緻で見惚れるほど素晴らしい造りでした。これはもう3年に一度の行徳五か町例大祭(前回は平成29年10月)で渡御する大神輿(480kg)をぜひ見たいと思いました。

神輿製作の技術と文化を伝える神輿師の心意気を感じさせるミュージアムです。なお、開館は月曜~土曜の9:00~17:00(昼休みあり)、日曜・祝日は休館なので注意が必要です。

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2018/05/27

船橋・吉澤野球博物館資料展示室

船橋散策で吉澤野球博物館資料展示室へ。

20180527かつて日本では「野球といえば六大学野球を指す」時代がありました。

日本の野球史は、明治11年(1878)、米留学帰りの鉄道技師平岡熙(ひろし)が結成した初のbaseballチーム「新橋倶楽部アスレチックス」に始まります。これに参加した大学生らを中心に、慶応大・一高(今の東大)・早稲田大にチームが誕生。明治27年(1894)、一高の中馬庚(かのえ)が「野球」と翻訳し、知識階級の娯楽として定着しました。

明治36年(1903)、早稲田大の挑戦状により初の早慶戦が行われました。娯楽の少ない時代、早慶戦は国民を熱狂させ、学生野球は庶民の人気に。しかし、応援合戦が加熱して衝突したり、学生選手がスターなみにもてはやされて学業が疎かになり社会問題化。このため、明治39(1903)~大正14年まで20年間も中断しました。

中断の間、選手らは米国遠征で技術を学び、大正14年(1925)、明治・法政・立教・東京帝大を加えた六大学で学生野球が復活。ホームグラウンドの神宮球場が完成すると、六大学野球は再び大人気となり、大正末期~昭和初期に黄金期を迎えます。昭和11年(1936)、プロ野球が創設されましたが、今の野球人気の原点は東京六大学野球にありました。

吉澤野球博物館は、東京六大学野球の資料収集家・吉澤善吉氏(故人)が昭和54年(1979)に開設。数少ない東京六大学野球関連資料のコレクションとして知られましたが、平成26年に惜しまれながら閉館。コレクションは船橋市に寄贈されました。

市は、平成29年に船橋総合体育館(船橋アリーナ)内に資料展示室を開設。明治期の天狗倶楽部のユニフォーム、黄金期の早慶戦チケット、当時の新聞記事や選手のブロマイド写真のほか、沢村栄治が日米野球で渡米した際の旅券などを展示して、往時の熱狂が伝わるようです。

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2018/05/20

匝瑳・八日市場東照宮例大祭

匝瑳市八日市場で行われた東照宮例大祭を撮影。

20180520八日市場東照宮は、慶長九年(1614)、東金に鷹狩に出かけた家康公の愛鷹が行方知れずになり、当地にあった医王寺の松(お鷹の松)で見つかりました。この由来を聞いた日光山の天海僧正が、寛永九年(1632)、松の根元に東照大権現を勧請したのが始まりと伝わります。
平成4年、市道の拡張に伴い現在地に社殿が移りました。

毎年5月の例大祭では、高張提灯と大榊を先頭に、独特の祭り囃子と「あんりゃあどした」の掛け声も勇ましく、神輿が萬町区内を練り歩きます。

【この日の進行スケジュール】
11:30~ 神事式典
13:00~ 神輿発御
東照宮→河野木材(休憩)→JR八日市場駅→匝りの里(お囃子披露)→八重垣神社→門前十字路(休憩)→東照宮
17:00ころ 神輿還御

【メモ】
八日市場の祭りといえば、大きな担ぎ太鼓とお囃子が特徴。神輿の渡御に合わせて、砂切、馬鹿囃子、早馬鹿、揉み太鼓などが奏でられる。特に揉み太鼓の早調子は一度聞くと忘れられない。神輿は大神輿と子供神輿の二基が出る。この日は匝りの里まで神輿に同行。
見物人は地区の皆さんが多数、他にカメラマンはなし。神社に駐車場なし。久々の神輿祭りに元気をもらって帰路についた。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2018/05/12

クロスカブCC50

ホンダの新型クロスカブCC50が納車されました。

20180512今年は、ホンダがスーパーカブを発売して60周年の記念すべき年だそうです。だからという訳ではないのでしょうが、クロスカブCC110も2月に新型が出て、カブ主さんの間で話題になっていました。

今回は、110ccモデルのみならず、今や絶滅危惧種の50ccにもまさかの新モデル投入。ホンダのカブに対する強いこだわりを感じます。

これまでカブ系に乗ったことはありませんが、遊び心が感じられて楽しそうなので、連休中に思い立って購入しました。とはいえ、自動二輪の免許取得までは考えていないので、クラシカルホワイトのCC50を選択(写真はホンダの公式サイトから引用)。

原付一種なので、空冷4ストロークOHC単気筒、最高出力3.7ps/7,500rpm、最大トルク3.8Nm/5,500rpmなどの諸元はスーパーカブプロ50と同じ。近場の足替わりのつもりが、乗ってみると何だか楽しい。見慣れた風景がやけに身近に感じられます。ギアチェンジのガチャガチャも面白い。その上、リッター69kmの燃費で経済的…ということで、慢性的に渋滞している東葛エリアの取材にも十分使えそうな予感です。

うーん、ますます1号車の出番がなくなりそう…。


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2018/05/05

房総の出羽三山信仰

睦沢町歴史民俗資料館で開催中の企画展「房総の出羽三山信仰」に行ってきました。

20180505

この企画展は、房総に伝わる出羽三山信仰を、一宮町・大日堂行屋(2016年11月廃絶)と、長南町・芝原行屋(現行)の修行の様子などを関連資料で紹介しています。

千葉県は、関東地方でも出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)信仰が盛んな地域です。かつては、一生に一度は三山に参詣するのが通過儀礼とされ、その背景には「擬死再生」(死装束である白衣をまとい、一度他界(三山)に行って再び生まれ変わることにより、特別な力を獲得する)の考え方がありました。
現在も、市原~長生郡にかけて多くの講があり、三山に代参する行人は、出立前の数日間、行屋(修行場)に梵天を立てて籠もり、厳しく身を浄めます。

展示は、廃絶した一宮町・大日堂行屋の内部を再現し、祀られた掛軸、御神鏡や御幣、五鈷鈴や弘法大師像を展示したコーナーのほか、芝原行屋での拝みの様子、実際に使われた行衣・金剛杖や梵天、宿坊の関東檀家回りで配られた牛図の神札など、資料館が収蔵する出羽三山関係資料600点の中から特に貴重なものを公開しています。
仏画と神号の掛軸を祀り、仏具と神具が混在しているので、神仏習合時代から続いたことが分かります。

祭事撮影で訪れる神社の多くに出羽三山碑が立ち、大日堂行屋廃絶の記事を見かけてから、出羽三山信仰とは?と気になっていました。行屋の内部が公開されることは稀なので、今回の企画展はとても興味深かったです。

企画展「房総の出羽三山信仰」は、6月3日(日)まで開催しています。

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2018/03/21

さよなら伊勢丹松戸店

伊勢丹松戸店が43年の歴史に幕を下ろしました。

20180321自宅から歩いて行ける距離に老舗デパートがあるのは便利でしたし、地元にとって「あって当たり前」の存在だっただけに、少なからずショックと寂しさが隠せません。

もっとも、近年はいつ行ってもお客さんより店員さんの数の方が多い印象でしたし、私自身もデパ地下を除けば中元や歳暮で利用する程度だったので、やむを得ない気もします。

伊勢丹松戸店は、松戸市が積極的に誘致して、昭和49年(1974)4月19日に開業。当時のキャッチフレーズは「笑い声。いい音楽。そよ風。美しい香り。やさしい心…。あなたの街の、あなたのデパート」でした。
平成7年には新館を増床するほど好調でしたが、都心と柏に挟まれた立地が仇となり商圏が競合。その後は赤字店舗に転落し、平成28年に整理縮小店舗の一つになりました。

昨年8月、市は唐突に救済案を発表。10年契約で4階フロアを借り上げ公共施設を入れ、テナント料を支払う代わりに途中解約不可(つまり10年間は撤退しない)という案でしたが、テナント料として計21億円の税金を投入する内容に批判が集中。そこへ伊勢丹側が、5階以上の閉鎖を打診。さらに、賃貸借で公共施設を入れ、かつ、5階以上の閉鎖が存続の条件で、受け入れられなければ撤退すると伝えたことから、恫喝まがいの要求だと市議会が猛反発。9月に全会一致で市の救済案を否決すると、伊勢丹側は直ちに閉店を発表しました。

この一連の「騒動」がなければ、いいイメージのまま閉店を見送ることができたようにも思いますが、一部で「松戸を見限った店では買い物しない」と反発を招く結果になったのは残念でした。

ともあれ、街では早くも「次はショッピングモールがいいな」などと囁かれ、なかなか強かな松戸市民なのでした。

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2018/03/09

仁和寺と御室派のみほとけ展

上野・東京国立博物館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展に行ってきました。

20180309この特別展は、京都・仁和寺(真言宗御室派総本山)と御室派の寺院が所蔵する寺宝174点(うち国宝24点、国重文75点)を集めた特別展です。

仁和寺は、仁和四年(888)、御願寺(皇室の私寺)として宇多天皇が創建し、自らも出家して法皇となりました。その僧房を「室」と称したので「御室」と呼ばれ、明治維新までは法王・法親王が門跡を務めました。
歴代天皇家とゆかりが深く、また、真言密教の事相(修法の作法など実践を研究)の拠点として数多くの寺宝を伝えています。
ちなみに、千葉つながりでは、成田山新勝寺を開いた寛朝大僧正は宇多法皇の孫で仁和寺別当でした。

展示は、第1章「御室仁和寺の歴史」、第2章「修法の世界」、第3章「御室の宝蔵」、第4章「仁和寺の江戸再興と観音堂」、第5章「御室派のみほとけ」のテーマ別に構成。

第1章では、空海の息遣いを感じさせる国宝「三十帖冊子」(9世紀)、白檀で体高わずか11cmの国宝「薬師如来坐像」(1103)、第2章では、国宝「孔雀明王像」(10~11世紀)、奈良・子島寺の国宝「両界曼荼羅」(10~11世紀)、第3章では、国宝「医心方」(12世紀)、「鳥獣戯画」(18~19世紀)、京都・大福光寺の重文「方丈記」(13世紀)、大阪・金剛寺の国宝「延喜式」(12世紀)などが印象的でした。
第4章では、何といっても現地非公開の観音堂内を再現した展示が圧巻(上の写真、撮影も可)。現地の観音堂が改修工事中だからこそ可能になった企画でしょう。
第5章では、仁和寺の本尊で国宝「阿弥陀如来坐像と両脇侍立像」(888)、一木造りとは思えない大阪・道明寺の国宝「十一面観音菩薩像」(8~9世紀)、1041本の手を持つ大阪・葛井寺の国宝「千手観音菩薩像」(8世紀)などが興味深かったです。精巧な造りと豪華な装飾は、平安期の官営工房ならではの特徴だそうです。

仁和寺は2015年に金堂(旧紫宸殿)と経蔵の特別拝観で訪問しています。今回は、混雑を避けるため夜間開館日を利用しましたが、さすがに会期末が近かったので閉館時間(21時)ぎりぎりまで大勢の人でした。
この特別展は、3月11日まで開催されています。

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2018/02/07

京都・冬の特別拝観2018(洛南編)

20180204f旅の最後は、洛南の東寺(真言宗)へ。
特別公開の五重塔(国宝)は3度目の見学です。
元慶七年(883)に建立され、焼失と再建を繰り返し、現在の塔は寛永二十一年(1644)に再建された五代目。高さ55mの日本一高い五重塔で、京都のシンボルです。
初層の内部は、極彩色の文様が描かれた煌びやかな空間。中心を貫く心柱を大日如来に見立て、その四方を金色の四如来像と八菩薩像が守っています。四方の柱には金剛界曼荼羅が、四面の端柱には八大龍王が、壁には真言八祖像が描かれています。須弥壇の下の穴から、心柱を支える巨大な礎石を見ることができます。

昨年までは、塔内に入って間近に見学できたのですが、今回から開いた外扉から中を覗く拝観方式に変更され、塔内への立ち入りはできなくなりました。その代わり、薄暗かった塔内にLEDのスポット照明が設置され、より鮮やかに見えるように工夫されていました。

今回の京都・冬の旅では、一泊二日で十一寺四院を巡りました。今回もツアーだったので、現地で説明を聞きながら見学と撮影に集中できました。
今回の旅の機材はD40+18-55mmf/3.5-5.6GII。念のため55-200m/f4-5.6Gも持参しましたが、望遠系は一度も使いませんでした。

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