2022/12/18

「バンクシーって誰?」展

福岡アジア美術館で開催中の「バンクシーって誰?」展に行ってきました。

20221218a英国・ブリストルの街で1990年代にストリート・アートを描き始めたとされるバンクシー。
世界各地で、政治的・社会的事象を痛烈に風刺したアートを残すゲリラ的な表現活動で知られますが、正体は謎のままです。

この展覧会は、世界各国で好評を博した「ジ・アート・オブ・バンクシー」展の傑作群を、独自の切り口で紹介した日本オリジナルの企画です。コレクター所蔵のアトリエ作品のほか、バンクシーの主戦場=ストリートを丸ごと再現した展示(没入展示)が見どころです。

写真は、2002年、ロンドン・ウォータールー橋の階段に描かれた「Girl with Balloon」(赤い風船と少女)の再現。この絵のアトリエ作品は、ザザビーズのオークションで落札(約1億5000万円)された瞬間、バンクシーによって額に仕組んだシュレッダーで切り刻まれ、大きな話題となりました。

ストリート作品には、その時代にその場所で描かれた理由があります。街並みごと再現することで、その時代背景と空気感を疑似体験でき、作品に込められた意味を深く考えさせられました。

この企画展は、東京など5都市を巡回し、福岡で3月26日(日)まで開催中です。

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2022/11/06

企画展示「おはまおり」展

千葉県立中央博物館で開催中の企画展示「おはまおり」展に行ってきました。

20221106

海や川に囲まれた千葉県を特徴づける習俗の「お浜降り」を通じて、海に育まれた房総の文化を再発見する試みです。

展示は「海に現れる神々の物語」「武神と海の信仰」「民衆の海への祈り」「泥のまつり」の4テーマに分け、19の祭礼(東葛1・千葉3・印旛北総4・東総九十九里2・外房2・内房2・南房総5)を取り上げています。

各祭礼は、詳しい解説と写真、祭礼用具や神輿などで丁寧に紹介され、海とともに生きる房総の人々の暮らしと民俗を一堂に俯瞰できる好企画です。

今回の展示には、県内の祭礼愛好家の個人・団体が協力。当サイトも祭礼写真を何枚か提供しています。

この日は関連行事の「おはまおりセミナー2022」も開催。1講「白間津オオマチは浜降りの祭りなのか」(成城大学・俵木悟氏)、2講「常陸国金砂大小祭礼について」(NPO美和の森・石井聖子氏)、3講「和歌山県沿岸部の祭礼とお浜降り」(和歌山県立紀伊風土記の丘・蘇理剛志氏)と、パネルディスカッションが行われました。

1講では、関西の風流踊りの系譜ながら地域性を取り入れて独自に変化した珍しい形態であることを再確認。2講と3講では、茨城(磯出)と和歌山(汐かけ)との比較が紹介され、特に房総と紀州では(関係深いにもかかわらず)随分と習俗が異なるなど(複数神社の神輿が集まって「汐かけ」することはない)、とても勉強になりました。

パネルディスカッションでは、大原はだか祭り(いすみ)、寒川神社のお浜降り(千葉)、上総十二社まつり(一宮)に出祭している関係者さんが登壇。それぞれ現況と問題、解決策などについて熱く語りました。パネラーの地域特性と年代層の選定が絶妙で、地域の祭礼が抱える問題点と、持続可能で実効性のある方策について改めて考えさせられました。

この企画展は、来年1月9日(祝)まで開催中です。

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2022/10/15

特別展「ポンペイ」

九州国立博物館で開催中の特別展「ポンペイ」に行ってきました。

20221015ポンペイは、古代ローマの植民市で、貴族~奴隷まで老若男女1万2000人が暮らす港湾商都でした。

紀元79年、ベスビオ火山の大噴火で一夜にして火山灰に埋もれて消滅。1748年に発見されるまで、完全に地中に封印されていました。

今回の特別展は、ナポリ国立考古博物館が所蔵する出土品をメインに、日本初公開を含む約120点の出土品を展示しています。

展示は、「序章 ベスビオ山噴火とポンペイ埋没」「1 ポンペイの街~公共建築と宗教」「2 ポンペイの社会と人々の活躍」「3 人々の暮らし~職と仕事」「4 ポンペイ繁栄の歴史」「5 発掘のいま、むかし」の5テーマに分けて紹介。

個人的には、女性犠牲者の石膏像は衝撃でした(ポンペイの犠牲者は2000人、その多くが邸内に避難した富裕層だそうです)。

邸宅の壁を飾ったフレスコ画、床を飾ったモザイク画の精巧さに驚嘆し、炭化したパンに庶民の日常を想い、剣闘士が使った兜や膝当てに円形劇場の熱狂が伝わりました。

古代ローマの都市の繁栄と人々の暮らしが生き生きと蘇る好企画です。

この特別展は、東京→京都→宮城と巡回して、九州が最後。九州展は12月4日(日)まで開催中です。

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2022/10/09

長崎・ながさき大くんち展

出島メッセ長崎で開催された「ながさき大くんち展」に行ってきました。

20221009d長崎くんちは、諏訪神社の秋季大祭に、当番の各踊町が神前で「演し物」(だしもの)を奉納する「奉納踊り」で知られ、国重要無形民俗文化財です。

もとは寛永十一年(1634)に二人の遊女が神前で小舞を奉納したのが始まりとされます。

「奉納踊り」は毎年10月7日から三日間行われますが、今年はコロナ禍で3年連続の中止。代わりに「大くんち展」が開催されました。

全43踊町から傘鉾、曳き物、担ぎ物などが一堂に集まるのは今回が初。会場に入ると8町の傘鉾が迎えます。先に進むと獅子踊を持つ2町の獅子が狛犬のイメージで左右に配され、6町の川船が追込み漁を展開しています。

圧巻は龍踊(じゃおどり)の展示。2町の竜宮船と龍船に囲まれ、龍踊を持つ4町の龍(じゃ)が大迫力で迎えます。その先には3町の担ぎ物(コッコデショ、鯱太鼓)、さらに13町の船型屋台・壇尻・鯨山車が絢爛豪華に並びます。

踊町は七組(6~7町ずつ)に分かれているので、地元の人でも全ての演し物を見るには7年かかるとか。それを一度に見ることができる滅多ない機会とあって、場内は大勢の人で満員御礼。

実演では、シャギリ、長崎検番、鯱太鼓(銀屋町)、龍踊(筑後町や五嶋町)が披露されました。演技のたび、地元の皆さんから「ヨイヤー」(いいぞー!)、「ショモーヤーレ」(もう一度!)、「モッテコーイ」(アンコール!)の掛け声が溢れ、踊馬場さながらの雰囲気で盛り上がりました。

帰りは、老舗で長崎ちゃんぽんを味わい、西九州新幹線かもめ→リレー特急かもめを利用しました。

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2022/10/03

福岡・鴻臚館跡

福岡市中央区の鴻臚館(こうろかん)跡展示館を訪ねました。

20221003鴻臚館は、平安期に存在した迎賓館です。京・難波・筑紫の3か所に置かれたとされますが、遺跡が確認されたのは筑紫のみです。

筑紫には、飛鳥~奈良期(7世紀後半)、朝廷の外交拠点「筑紫館」(つくしのむろつみ)が置かれていました。688年に筑紫館で新羅使を接遇した記録が残っており、唐・新羅の使節の受入れや、遣唐使や留学生が出発する施設として使われました。

平安期に拡張されて「鴻臚館」になり、838年に大宰の「鴻臚館」で唐の人と詩を詠んだ記録が残っています。この頃は、唐や新羅が衰退して外国使節の来訪が途絶え、やがて遣唐使も廃止されます。代わって帰国留学生や外国商人の接遇の記録が多くなり、外交施設から商客宿坊に役割が変わったようです。1047年に放火された記録を最後に、「鴻臚館」は歴史の舞台から忽然と姿を消しました。

謎が多い鴻臚館ですが、旧平和台球場跡から見つかった筑紫の鴻臚館は、遺構の一部が公開されています。復元建物のほか、中国や朝鮮半島の陶器片や中東のペルシャガラス片、便所遺構から発見された籌木(ちゅうぎ)などを展示して、1200年の時空を超えて往時の繁栄を今に伝えています。

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2022/10/02

「鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」展

福岡市美術館で開催中の「国宝鳥獣戯画と愛らしき日本の美術」展に行ってきました。

20221002鳥獣戯画は、京都・高山寺に伝わる四巻(甲・乙・丙・丁)の絵巻物です。

甲巻は擬人化した動物が、乙巻は実在と空想の動物が、丙巻は人物と擬人化した動物が、丁巻は人物のみが描かれています。甲・乙巻は平安後期の、丙・丁巻は鎌倉初期の作と考えられていますが、誰が何のために描いたのかは不明だそうです。

今回の展覧会は、鳥獣戯画に連なる「動物」と「簡潔な表現とユーモア」を描いた作品がテーマです。「1章 祈りにはぐくまれしいのち」「2章 いのちへのまなざし」「3章 引き算の美」「4章 心を伝える」の4部構成で64点を展示しています。

訪れた日は後期展示(9/27~)で、鳥獣戯画の乙巻と丙巻が展示されていました。10m前後の長い巻物ですが、解説と対比して楽しく見学できました。江戸期に描かれた戯図巻や略画式も、笑える内容で面白かったです。

次はぜひ鳥獣戯画の甲巻と丁巻も見てみたい…と思いました。この展覧会は、福岡市美術館で10月16日(日)まで開催中です。

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2022/09/24

八女・福島の燈籠人形

福岡県八女市・福島八幡宮で奉納された「八女福島の燈籠人形」(国重要無形民俗文化財)を撮影。

20220924【現地案内板の説明】
「燈籠人形は延享元年(1744)に八幡宮放生会に奉納されたのが初まりで、当時は至って簡素な設備をなし燈火を点じ飾人形を陳列奉納したものであったが、次第に改良され飾付人形から棒、糸によるカラクリ仕掛けの人形を動かすようになったものである。
燈籠人形が郷土の民俗芸能として高く評価されるのは古い伝統だけではない。豪華な二階建の屋台が一本の釘や鎹(かすがい)も使わないで自由に組立て解体できるようになっていて、この屋台の中で囃子にあわせて人形をあやつるものであり全国に例がないとされている。屋台が出現したのは明和年間(1772頃)といわれ、現在のようになったのは天保年間(1835頃)である。
この屋台の二階には囃子方十五人、人形遣いは横遣い下遣いに分かれ、横遣いが東西それぞれ六人計十二人、下遣いは人形一体に六人を配し、その他背景係等総勢四十人から五十人が出演、囃子方の地唄につれて人形が踊るのである。屋台の壮麗美と人形が舞うカラクリの精巧さは、まさに優雅で嘆賞久しうするものである。」

【今年の進行スケジュール】
9月23日(金)~25日(日)の三日間、演目は「春景色筑紫潟名島詣」
13:30~ 第1回公演
15:00~ 第2回公演
16:30~ 第3回公演
19:00~ 第4回公演
20:30~ 第5回公演

【メモ】
屋台の提灯に灯が入る夜公演(第4回・第5回)を撮影。舞台正面の観覧席と石垣席は整理券が必要(先着順)。開演前に簡単な説明があり、前しゃぎりの演奏で幕が開く。演目は、春の名島神社に詣でた大名(飾人形)一行が海沿いの茶屋でまどろみ、夢に弁財天が現れて金財童子とともに舞い遊ぶストーリー。公演時間は約30分。各回の終了後、二階から子供たちに風船を撒く。舞台下(下遣い)・左右の舞台袖(横遣い)・二階(囃子方)は板戸や障子で中は見えないが、最終日の千秋楽のみ、すべてが開け放たれて上演される。
今年はコロナ禍で3年ぶりの奉納。境内には露店が立ち並び、大勢の見物客で賑わっていた。祭礼を撮るカメラマンは2人程度。臨時Pあり(八女市役所と伝統工芸館)。

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2022/09/18

雅楽「源氏物語」

妻と一緒に、久留米シティプラザで行われた「雅楽 源氏物語」公演に行ってきました。

20220918大名有馬家久留米入城四百年記念行事の一つで、平安王朝文学の最高傑作「源氏物語」に歌舞(うたまい)の曲を組み合わせた企画です。演奏は東京楽部(がくそ)、プロデュースは野原耕二さんでした。

公演に先立ち、旧藩主家十六代御当主(東京水天宮宮司)の挨拶と、その御息女(東京水天宮権禰宜)による奉納神楽「天之産」(あめのむすび)が披露され、十二単装束の雅な舞で観客を魅了しました。

第一部は管弦で、「盤渉調音取」(ばんしきちょうねとり)、「青海波」(せいがいは)、「越天楽」(えてんらく)の三曲。第二部は舞楽で、左舞の「萬歳楽」(まんざいらく)、右舞の「落蹲」(らくそん)の二舞でした。

雅楽は、律令制(880)によって日本独自の音曲の創作が始まり、約150年かけて完成したそうです。このため、日本古来の「国風歌舞」(くにぶりのうたまい)、外来ベースに日本化した「舞楽」、和歌や漢詩に曲を付けた「朗詠」(うたもの)の3つに分類されます。千年続く歴史的文化財として、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

この日は、数十年に一度の猛烈な台風14号の接近で開催が危ぶまれましたが、大勢の観客が王朝絵巻を見守りました。

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2022/08/12

「二つの旅 青木繁×坂本繁二郎」展

東京・京橋のアーティゾン美術館で開催中の「ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」展に行ってきました。

20220812

青木繁(1882-1911)と坂本繁二郎(1882-1969)は、ともに久留米出身で、同じ師の下で絵画を学びました。今回の展覧会は、二人の生誕140年を記念したアーティゾン美術館と久留米市美術館の企画展で、二人展としては、石橋正二郎が久留米に石橋美術館(現久留米市美術館)を開設(1956)した時の記念展以来、66年ぶりです。

展示は、第1章「出会い」(二人の出会い~上京後の親しい交際)、第2章「別れ」(二人の明暗を分けた1907年の東京勧業博覧会~青木の早逝)、第3章「旅立ち」(その後の坂本の歩み)、第4章「交差する旅」(二人に共通する画題と絶筆)の4部構成です。

天才肌の青木と努力家の坂本。性格も芸術性もまったく正反対だった二人の出会いから別れ、坂本の青木顕彰の動きとその後の画業を、館所蔵作品など約250点で俯瞰しています。

個人的には、青木が房州布良で描いた「海の幸」(1904)、命運をかけた「わだつみのいろこの宮」(1907)、絶筆の「朝日」(1910)の実物を見ることができ、感動しました。

この展覧会は、10月16日(日)まで開催中です。その後、久留米市美術館で10月29日(土)~翌1月22日(日)まで開催されます。

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2022/07/23

佐賀・有田内山

妻・下の娘と有田焼の里を訪ねました。

20220723有田焼の始まりは、今から400年前に遡ります。秀吉の朝鮮出兵に参戦した肥前鍋島氏は、高度な技術を持った陶工を連れ帰りました。その一人、李参平が有田・泉山の土で白磁器を焼いたのが始まりとされます。

江戸初期、佐賀藩は泉山磁石場に近い内山に陶工を集め、磁器生産の専業地としました。成型~施釉~絵付~焼成の過程を職人たちが分業し、集落の東西端には藩の口屋番所が置かれ、職人や技術の流出に厳しく目を光らせました。

内山は有田焼の産地として栄えましたが、文政十一年(1828)、窯の火が強風にあおられ大火となり、町をほぼ焼失。その後の復興で江戸後期~明治~大正~昭和初期の建物が混在し、独特の景観を造り出しています(国重伝建保存地区)。裏通りには、古い窯の耐火レンガを再利用した土塀「トンバイ塀」の小路が続き、風情があります。

上の写真は、有田ポーセリンパーク内にある有田焼の工房です。ろくろや手ひねり、絵付の体験ができ、家族連れで賑わっていました。

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