2017/09/03

大阪・露天神社

曽根崎・露(つゆの)天神社へ。

20170901c梅田・曽根崎地区の総鎮守で、平安期に菅原道真公が大宰府へ左遷の道中、当地で詠んだ句(露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば)に因むと伝わります。

通称「お初天神」の名でよく知られるのは、有名な「曽根崎心中」の舞台だからです。
元禄十六年(1703)、遊女お初と醤油屋の手代・徳兵衛が悲恋に落ち、この神社の森で心中しました。
この事件を近松門左衛門が脚本化し、文楽「曽根崎心中」が誕生。庶民に大評判となり、神社には大勢の参詣者が押しかけたそうです。

現在は、ビルと商店街(お初天神通り)に囲まれて想像できませんが、当時は社殿の裏手に広大な森があったと云います。お初と徳兵衛が見つめ合うブロンズ像には、恋の成就を願うハートの絵馬がたくさん奉納されていました。
例大祭(毎年7月第三金~土曜日)には、舞獅子や傘踊りが伝わっていて、機会があれば見たいものです。

大阪には何度か来ていますが、曽根崎界隈は初めてでした。夜は、昭和の香り溢れる「お初天神通り」で、旧知と串カツで一杯やるのも楽しかったです。今回の旅の機材はRICHO GRでした。

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2017/09/02

大阪・かしく寺

露(つゆの)天神社へ向かう途中、かしく寺に立ち寄ります。

20170901b正式には光智山法清寺(日蓮宗)ですが、遊女かしくの墓に因み、「かしく寺」の名で親しまれています。

江戸期、曽根崎の遊郭にかしくという遊女がいました。
武家に身請けされたものの、酒癖が悪く、心配した職人の兄から度々注意されていました。寛延二年(1749)、昼酒で泥酔しているのを咎められたかしくは、逆上して兄を刃物でメッタ刺しに…。ひと月後、市中引き回しの上、打ち首になりました。

この事件は、兄殺しという特異さと、かしくの最期の見事さが浪速っ子の話題をさらいました。かしくは、役人に油揚げを所望し、その油で髪を整えて遊女の矜持を示した上、酒癖を悔い「神霊となって酒害を絶つ」と誓って斬首されたと伝わります。

ここから酒封じの神として崇められ、「かしくの墓に手向けた手水を飲めば酒嫌いになる」と信じられるようになりました。それがいつしか「墓石を削って飲めば断酒できる」となって、戦後まで墓石を削る人が絶えなかったそうです。

現在は、削られて細った墓石は鞘堂に覆われ、禁酒祈願に奉納された「しゃもじ」がたくさん吊り下がっています。
私は酒癖は悪くありませんが、念のため、丁重にお参りしておきました。

さらに歩いて御堂筋を渡り、露(つゆの)天神社へ向かいます。

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2017/09/01

大阪・神明社旧跡

大阪に行ったついでに、ホテル周辺の曽根崎界隈を散策。

20170901a歓楽街の中に見つけた難波神明社の旧跡。

平安初期、嵯峨天皇の皇子源融公を祀ったのが始まりとされ、鎌倉末期には後醍醐天皇が勅願所として度々行幸したほどの大きな神社でした。
室町期に兵火に遭ったものの、江戸期には難波三神明(春日出、鶴町)・日本七神明(東京芝、京都松原、同東山、加賀金沢、信濃安曇、出羽湯殿山)の一つに数えられ、大阪城代・東西町奉行が替わる度に必ず参詣したそうです。

社殿が西向きだったので「夕日の神明」と呼ばれて親しまれましたが、江戸後期の大火、明治末期のキタの大火で二度にわたり焼失。再建されることなく、近くの露天神社に合祀されました。

周辺は江戸期の遊郭街で、今は風俗系の店やホテルが並んでいます。旧跡を示す石碑はきれいに手入れされ、大切に祀られていました。玉垣に奉納した風俗店が名を連ねて刻まれていて、珍しかったです。

次は、かしく寺を訪ねます。

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2017/08/23

タイ・仏の国の輝き展

上野・東京国立博物館で開催中の「タイ~仏の国の輝き」展に行ってきました。

20170823この特別展は、日タイ修好130周年を記念した巡回展(九州→東京)です。

タイの17国立博物館が所蔵する門外不出の仏教美術コレクションを、「タイ前夜 古代の仏教世界」「スコータイ 幸福の生まれ出づる国」「アユタヤ 輝ける交易の都」「シャム 日本人の見た南方の夢」「ラタナコーシン インドラ神の宝庫」の5つのテーマに分けて紹介しています。

タイに仏教が伝わったのは、日本より早い5世紀ころ。古来のヒンズー教と融和したり、王朝の変遷(ドヴァーラヴァティー王朝(7~9世紀)→アンコール王朝(9~13世紀)→スコータイ王朝(14~15世紀))とともに王権と密接につながっていきました。強大なアユタヤ王朝(15~18世紀)は、仏法をもって国を治め、偉大な王を表した「宝冠仏陀坐像」(王族の装飾を身に纏った仏陀像)が作られたりしました。

タイは国民の95%が仏教徒だそうですが、日本の大乗仏教(他力本願)と異なり、上座仏教(自身が仏陀の教えを実践することで修行し、修行を積むほど救われる)で、仏像=仏陀像ですから如来像や菩薩像はありません。
スコータイ期の「遊行像」(歩いている仏陀像)も、日本では見ない珍しい形態で必見です。

日本にいながら、古代~近代までのタイ仏教美術を体感できる貴重な機会です。

この特別展は、8月27日(日)まで開催しています。

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2017/08/12

アルチンボルド展

妻と一緒に、上野・国立西洋美術館で開催中の「アルチンボルド展」に行ってきました。今回は下の娘も一緒です。

20170812アルチンボルド(1526-1593)は、16世紀後半にハプスブルク家の宮廷画家です。
花や野菜・魚や動物を素材に組合せ、一つの肖像画を描き上げる手法は、当時のローマ皇帝や貴族に大変気に入られたと云います(パンフレットの写真は、連作「四季」の「春」)。

ルネサンスの徹底した写実主義と、ハプスブルグ家の富と覇権がもたらした世界中の珍しい動植物・魚介類が、作風に大きく影響しています。

後世、「騙し絵」と呼ばれることも多いアルチンボルドですが、よく見ると、緻密な観察眼+優れた写実技法+斬新な感性+論理的思考が一体となり、宮廷の知識人に向けて知略的に描いた作品ばかりで、単に奇をてらった「寓意的」な絵ではないことが分かります。

この企画展は、日本で初めて、世界中からアルチンボルドの作品30点ほかを集めて展示しています。特に、代表作の連作「四季」(春・夏・秋・冬)と「四大元素」(大気・火・大地・水)が一度に見られるのは奇跡的。
展示室前のコーナー「アルチンボルド・メーカー」は、カメラ前に立つとアルチンボルド風の自画像を自動作成するギミックが面白いです。

アルチンボルド展は、9月24日(日)まで開催しています。夜間開館の時間帯(金・土)は混雑していないのでお勧めです。

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2017/08/06

船橋・旧御馬見所(空挺館)

妻と一緒に、船橋・習志野駐屯地にある旧御馬見所(空挺館)を見学。

20170806明治天皇が旧陸軍騎兵実施学校(東京・目黒)で訓練を観覧する際の天覧台として、明治44年(1911)に建てられました。

大正5年(1916)、騎兵学校は習志野原の近衛師団・騎兵旅団の駐屯地に移り、旧御馬見所も移築されました。大正天皇や皇族が卒業式を観覧する迎賓館や、皇族将校の宿舎として使われました。
戦後は、陸上自衛隊第1空挺団の駐屯地となり、昭和37年(1962)から資料館「空挺館」として活用されています。

1階は空挺団関係、2階は旧陸軍(落下傘部隊・騎兵部隊)関係を展示。個人的には、日露戦争で騎兵第一旅団長として名を馳せた秋山好古少将や、ロス五輪(昭和7年)馬術大障害飛越の金メダリスト西竹一騎兵中尉の展示が興味深かったです。

20170806b2階正面は、天皇陛下や皇族が訓練を観覧した「御立ち処」が保存されています。菊の御紋は天皇家用(十六菊)と宮家用(十五菊)が混在し、他の皇族が気兼ねなく立てるようにとの明治天皇の配慮だそうです。

「習志野」の地名は、近衛兵大演習(明治6年)を総覧した明治天皇の御製「夏草も 茂らざりけり もののふの 道怠らず ならしのの原」に因みます(「習え篠原」の説も有力)。旧御馬見所は、明治天皇と習志野原の歴史を今に伝える現存する数少ない史跡です。

駐屯地内にあるので通常公開されていませんが、年に数回、駐屯地開放デーで見学可能です(館内撮影自由)。

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2017/08/02

館山・たてやまんまち

館山のまつり(たてやまんまち)を見学。

20170802【公式パンフレットの説明】
「その昔、各区の鎮守として祀られている神社のいわれにより、祭りの開催日は同日ではありませんでした。その後、幾度かの町村合併や更に大正3年に旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、笠名、大賀地区)が合併し、館山町となったのをきっかけとし、大正7年(1918)より13地区11社が8月1~2日の祭礼を合同で執り行うようになりました。
しかし、大正12年の関東大震災により、新井、下町の祀る諏訪神社、仲町、上町を祀る諏訪神社、楠見の厳島神社、上須賀の八坂神社の4社が倒壊した為、氏子の協議により4社が合祀を決め、昭和5年に館山神社として、創建することとなり、昭和7年にその神殿が完成したわけです。
それ以降、館山地区では13地区8社の合同祭礼として行われ、神輿7基、曳舟2基、山車4基がそれぞれの地区から出祭しています。」

【この日の進行スケジュール】
17:00~ 館山神社入祭(下町・仲町・上町・楠見の山車、新井・柏崎の曳舟)
18:40~ 神輿2基(上真倉・沼)の共演(館山神社付近)
19:50~ 三町(新井・上町・柏崎)曳き別れ(城山公園入口)
20:00~ 楠見・左官踊り、餅つき踊り、餅投げ(館山神社横)
20:30~ 新井・武走裸道の走り(城山公園入口~下町交差点)

【メモ】
朝から見どころが多い「たてやまんまち」。今回は二日目夜の館山神社入祭を撮影(実際の進行は、予定より1時間半遅れ)。合祀社の山車4基と新井の御舟が勢いよく境内に駆け込む。山車を拝殿ぎりぎりにつけて祭りの成功を奉告。神前から下がって他町の山車と向かい合い、エールとお囃子を交換。その後、整列して人形とお囃子を披露する。最後に柏崎・國司神社の御舟が入祭し、神前に参拝してすぐに引き返す。これを5町が見送ってから、各山車は自地区に戻って行く。新井の御舟が最後まで残り、各町と別れを惜しむ。
この日は天気が悪く、神輿や山車にビニールをかけた地区も多かった。夜の勢揃いで仲町の人形を見ることができなかったのが残念。改めてリベンジしたい。
合同祭礼で全体像がつかみにくいが、気に入った山車に終日ついて回るのもいいかも知れない。次回は日中の行事や「青柳のかっこ舞」、「仲町のぴっとこ踊り」、「楠見の天狗舞」なども見てみたい。
見物人は多く、境内を埋める。カメラマンも多数。臨時Pあり(館山小グラウンド隣)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/07/29

銚子・小川神社神楽

銚子市・小川神社で奉納された神楽を見学。

20170729小川神社は、川福寺の裏山にあり、天之御中主命を祀っています。天を司る神として妙見信仰と繋がり、神社の紋は千葉氏と同じ月星紋です。

夏祭の宵宮(毎年7月第四土曜日)では、地元の皆さんの演芸(カラオケ・舞踊)と神楽が奉納されます。

神楽は、大漁豊作・悪魔祓いを祈願して、「おかめとひょっとこの顔合わせ・恵比須様の鯛釣り・獅子舞(前段・後段)」が奉納されます。
〆のお囃子は、漁師町らしく大漁節。地元の皆さんが自然と輪になって踊ります。

この神楽は、旧八日市場市で開催された「第7回房総の郷土芸能」(平成15年)に出演しています。

【この日の進行スケジュール】
17:50~ お囃子(初切り)
18:00~19:20 奉納演芸1部(カラオケ・舞踊)
19:20~19:50 神楽奉納(おかめとひょっとこの顔合わせ・獅子舞)
19:50~20:20 奉納演芸2部(舞踊)
20:20~ お囃子(大漁節・早馬鹿)
20:30~ 神社総代挨拶、お楽しみ抽選会
21:20ころ 終了

【メモ】
先週(7/22)立ち寄って空振りだったので、リベンジ(浅間様の祭り(旧暦6/1)と重なり、1週間ずらしたとのこと)。奉納芸能と神楽は、境内の特設ステージで行われる。神楽は、おかめとひょっとこがオーバーなアクションで互いに顔を見合わせる舞で、他地域ではあまり見ない内容。今回は「恵比須様の鯛釣り」は演じられず残念。獅子舞は、前段が「袖舞・鈴舞・幣舞・剣の舞・悪魔払い」、後段は茶碗酒で寝込んだ獅子をひょっとこがからかう舞(ねこじゃらし?)で、最後まで楽しい舞だった。獅子の舞手が女性だったのも意外。小川町郷土芸能保存会の皆さんが継承し、後継者難だが何とか残していきたいとのこと。
宵宮祭は鎮守のムラ祭り的雰囲気で、ほのぼのと楽しかった。お楽しみ抽選会の景品の多さにも驚いた。見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンはなし。川福寺に駐車場あり。
忙しい中、詳しく教えて頂いた神社総代さん、地区役員さん、保存会長さん、地区の皆さん、すっかりお世話になり本当にありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/07/22

山武・本須賀北京塚の獅子舞

山武市(旧成東町)本須賀の八坂神社例大祭で奉納された獅子舞を見学。

20170722起源は不詳ですが、元禄十六年(1703)に作られた獅子頭があるので、江戸中期には舞われていたと考えられます。

本須賀の京塚地区に伝わる獅子舞で、一時中断しましたが、大正元年に復活して現在に至ります。

演目は「平神楽・四ッ足・三匹四ッ足・鳥さし・和藤内・ふり込み」で、かつては疫病退治で本須賀地区をムラ廻りしたこともありました。現在は、八坂神社の例大祭で神輿渡御に供奉して舞を奉納しています。

囃子方は、笛・太鼓・鼓(オーカ)・鼓(コト)で、子供たちもたくさん参加しています。
道中、獅子頭を手挽車(現在は軽トラ)に載せて引き、賑やかに囃しながら進みます。

長く「本須賀北京塚獅子舞保存会」が継承しましたが、後継者難でたびたび廃絶の危機に直面。平成5年から、北京塚地区だけでなく、本須賀全地区による「本須賀八坂神社獅子舞保存会」を作り、伝統を守っています。

【2017年のスケジュール】
7月22日(土)
16:00~ 例大祭(八坂神社)
式典→御霊入れ
獅子舞奉納
宮出し→仮宮へ
17:00ころ 仮宮入り

7月29日(土)
9:00~ 神輿渡御(仮宮→御浜降り)
獅子舞奉納
仮宮→小向→北京塚
11:00~15:00 しおさい会館(仮宮)・昼休憩
15:10~ 御浜降り(本須賀海水浴場)
北河岸→中河岸→東河岸→大南川岸→南京塚→馬渡→南の里→本郷→北の里
21:30ころ 還御(八坂神社)

【メモ】
例大祭は、毎年7月最終土曜日が本祭、その前週土曜日が仮宮祭。今回は仮宮祭を見学。地元の皆さんが見守る中、獅子舞が奉納され、神輿の宮出しが行われ、少し離れた仮宮まで渡御した。獅子舞は、平神楽(序の舞・御幣の舞・鈴の舞・狂い)で余興舞はなし。本祭は祭り衣装だが、仮宮祭は平服で舞っていた。舞手も囃し方も若い世代が多く、心強い。
見学者は地元の皆さんが十数名、カメラマンはなし。神社に駐車場なし。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/07/16

九十九里・おんべん囃子と合連唱

九十九里町真亀の須賀神社祭礼で行われた「おんべん囃子と合連唱」を見学。

20170716須賀神社の祭礼は、「真亀の天王様」と呼ばれ、神輿の御浜降りに囃子連・神子連・獅子連が供奉します。
神子連は真亀上(一区)、獅子連は真亀下(二区)、囃子連は真亀上・下・納屋(三~五区)が3年ごとに輪番制で担当し、長い行列で浜の御仮屋へ進みます。

囃子連は、行列の先頭で「てんのうまつり」「よーいよいやさー」と囃して歩きます。親方を先頭に、カボチャ4人(軍配・御幣)、若い衆(御幣)十数名、アトオセ2人(長竿)で構成され、途中の番所や鎮守様では「おんべん囃子」を、浜の御仮屋・水神社・宮入りでは「合連唱」を奉納します。

「おんべん囃子」は、親方の拍子木を合図に、二列縦隊のまま、腰を低くして廻りながら踊る簡単な手踊りです。
「合連唱」は、親方を中心に輪になって、片肌を脱ぎ右手を振り上げながら地を踏みしめる力強い踊りです。親方が口上を唱えながら手桶けの水を笹で撒き、最後に全員で手打をします。

九十九里には、神輿が浜降りする祭事が多いですが、このように長い行列で賑やかに囃して進む例は珍しいとされます。

【この日の進行スケジュール】
9:00~ 宮出し(須賀神社)
途中、番所2か所でおんべん囃子→神子舞→獅子舞
10:00~13:00 龍宮神社
おんべん囃子→神子舞→獅子舞→昼休憩
14:30~16:00 浜の御仮屋
合連唱→神子舞→獅子舞→休憩
17:00~18:20 水神社(真亀下)
合連唱→神子舞→獅子舞
19:00~ 宮入り(須賀神社)
合連唱(拝殿内)→御霊還し→神子舞→獅子舞
19:40ころ 終了

【メモ】
現在は7月海の日の直前日曜日に催行(旧行は旧暦6月7日)。行列は、囃子連・神子連・神輿・獅子連・花車の順に進む。かつては納屋区が山車を出したが、諸事情(人出不足など)で出せなくなって久しいと云う(須賀神社の山車蔵に飾置き)。道中の番所やお宮では、神子舞と獅子舞も奉納(特に水神社では、両舞ともフルバージョン)。囃子連の「おんべん囃子」は、往復路の途中、適宜演じられる。「合連唱」は、浜の御仮屋、水神社と宮入りの3回のみ。宮入りでは拝殿内の神輿の廻りで踊る。
カメラマンは浜降りでは多数、ムラ廻りは1~3人ほど。須賀神社に駐車場なし。
詳しく教えて頂いた親方さん、役員の皆さん、ありがとうございました。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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