2017/10/29

浦安・浦安囃子(70周年記念公演)

浦安市・浦安市文化会館で行われた浦安囃子保存会結成70周年記念公演を撮影。

20171029浦安囃子は、戦後、浦安の祭りを自分たちの囃子で盛り上げようと、5人の漁師が江戸・葛西囃子を伝習して始まりました。

大太鼓(おおなり)1・締太鼓(しめ)2・笛(とんび)1・鉦(よすけ)1の5人囃子で、締太鼓の「上げ」で始まり、「屋台→昇殿→鎌倉→四丁目→玉→玉送り→神田丸」と進み、「屋台」に戻って終わります。

昭和22年に「浦安囃子睦会」が結成されてから今年で70周年。記念公演では、第一部として浦安囃子、第二部として里神楽「宝剣泥棒」、フィナーレに「寿獅子と大黒舞」が演じられました。

【この日の進行スケジュール】
13:30~ 第一部
400歳の調べ→保存会長挨拶→浦安囃子→保存会70年の歩みとともに→浦安小お囃子部による祭囃子
14:25~ 休憩
14:35~ 第二部
里神楽(宝剣泥棒)
15:30~ 休憩
15:40~ フィナーレ
寿獅子→大黒舞→実行委員長挨拶→手打ち
16:00ころ 終了

【メモ】
第一部では、5人合わせて400歳の師匠方が「屋台」を演奏。第二部の里神楽「宝剣泥棒」は、台詞のある面芝居でコミカルな掛け合いが面白い。フィナーレは、厳かな寿獅子で始まり、最後は全員で賑やかに舞い納めた。
お囃子とともに古いVTRをオムニバスで流したり(保存会70年の歩みとともに)、照明を落とし、スポットライトに浮かび上がる金獅子(寿獅子)など、演出が上手く、魅せるステージ公演だった。
台風接近の中、客席はほぼ満席。カメラマンは3人ほど。駐車場は市役所Pを利用。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/10/21

白子・白子神社式年祭

白子町・白子神社で行われた61年毎の式年祭を撮影。

20171020【現地パンフレットの説明】
「永承三年(1048年)、今から968年前、平安時代に創建された白子神社は平成29年に式年祭の年を迎えます。
式年祭とは、式年(一定期間を定める意)に一度大祭を行うことです。
今から300年余り前の宝永五年(1708年)に白子神社は正一位白子大明神の極位に昇られ、これを記念して61年毎の式年祭が定められました。
式年祭を行うことにより、神社のご神霊の甦りとご神威の発揚がなされます。」

【今回の進行スケジュール】
初日(10/20)式年祭
10:00~11:00 本殿祭
修祓→宮司一拝→献餞→奉祝祝詞奏上→本庁幣献幣→祭詞奏上→奉幣神事→舞楽(蘭陵王)→玉串拝礼→本庁幣撤幣→撤饌→宮司一拝→宮司挨拶→奉賛会長挨拶→退下
11:00~ 本殿御開帳
午後 浦安の舞(2回)

中日(10/21)神幸祭
9:00~ 本殿御開帳
9:10~ 獅子舞奉納(南日当獅子舞保存会)
前かがり→幣束舞→鈴舞→くるい
9:30~16:00 神輿渡御
御霊遷し→宮出し→白潟・関廻り→白子海岸→還御
午後 豊栄の舞・浦安の舞

最終日(10/22)奉納行事
9:00~ 本殿御開帳
和太鼓・子供みこし他

【メモ】
61年に一度の祝い年。次回は見られないので初日・中日と二日間通って撮影。初日:小雨の中、午前中本殿祭。続いて、本殿御開帳へ。御神体は白亀の上に白蛇が乗った「玄武」。白色の玄武は珍しい。午後、拝殿で「浦安の舞」奉納。舞手(東金・八幡神社宮司)の雅な所作が美しい舞。中日:本降りの雨の中、朝一番で南日当の獅子舞。その後、神輿にビニールをかけることもなく威勢よく宮出し。雨が強まり、撮影を切り上げて撤収。
今回の反省点は、現地入りが遅れて舞楽を撮り逃したこと。式典後の奉納だろうとの予測が外れた。早めの現地入りは鉄則と改めて痛感。見物人は地元の皆さんが多数、カメラマンは数人。神社に臨時Pあり。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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2017/09/24

岡本太郎の東北展

妻と一緒に、東京・南青山の岡本太郎記念館で開催中の写真展「岡本太郎の東北」に行ってきました。

20170924岡本太郎氏と云えば、「芸術は爆発だ!」で知られる前衛的な芸術家です。私は、大阪万博(1970)で太陽の塔をリアルタイムで見に行った世代なので、特に強烈な印象があります。

そんな太郎氏が、日本の民俗芸能にカメラを向けていたことは、つい最近知りました。
写真展では、縄文文化をきっかけにシャーマニズムに関心を寄せた氏が、東北を訪れて土着の魂の叫びを見い出し、独特の視点で切り取った写真を展示しています。

1960年代の東北には、人々の生活に根付いた郷土芸能が純粋な形で、いい意味で「泥くさく」残っていました。氏は、これらの民俗を芸術家の鋭い感性で撮影しています。人々の素朴な表情がモノクロ写真で迫り、凄みすら感じます。

たしかに民俗を撮っているのですが、普通の民俗写真と何か違う…。何が違うんだろうとしばし考えて、氏の視点が被写体の「顔」に据えられていることに気付きました。民俗の表層にではなく、人・動物・物の「顔」に真っすぐ向けられた強烈なまでの関心…。
プロの写真家ではなく芸術家としての斬新な視点、切り取り方にハッとさせられ、民俗芸能と対峙する姿勢を深く考えさせられました。

記念館は、氏のアトリエを公開したもので、生前のアトリエや庭のオブジェが印象的(館内撮影自由)。近くには根津美術館や秋山庄太郎写真芸術館(こちらは当分の間、休館中)もあります。

この写真展は、10月9日(月)まで開催しています。

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2017/09/03

大阪・お初天神

曽根崎・露(つゆの)天神社へ。

20170901c曽根崎地区の総鎮守で、平安期に菅原道真公が大宰府へ左遷される途中、当地で詠んだ句(露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば)に因むと伝わります。

通称「お初天神」の名で知られ、「曽根崎心中」の舞台となった所です。
元禄十六年(1703)、遊女お初と醤油屋の手代・徳兵衛が悲恋に落ち、この神社の森で心中しました。
この事件を近松門左衛門が脚本化し、文楽「曽根崎心中」が誕生。大評判となり、神社に大勢の参詣者が押しかけたそうです。

現在は、ビルと商店街に囲まれて想像できませんが、当時は社殿の裏手に広大な森があったそうです。お初と徳兵衛が見つめ合うブロンズ像には、恋の成就を願うハートの絵馬がたくさん奉納されていました。
例大祭(毎年7月第三金~土曜日)には、舞獅子や傘踊りが伝わり、機会があれば見たいものです。

今回の旅の機材はRICHO GRでした。大阪は何度か来ていますが、初の曽根崎界隈でした。夜は昭和のムード溢れる「お初天神通り」で、旧知と串カツで一杯やるのも楽しかったです。

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2017/09/02

大阪・かしく寺

お初天神への途中、かしく寺に立ち寄りました。

20170901b正式には光智山法清寺(日蓮宗)ですが、遊女かしくの墓があるので「かしく寺」の名で親しまれています。

江戸期、曽根崎遊郭の遊女かしくは、武家に身請けされたものの、酒癖が悪く、心配した職人の兄から度々注意されていました。寛延二年(1749)、昼酒で泥酔しているのを兄から咎められたかしくは、逆上して兄を刃物でメッタ刺しに…。ひと月後、市中引き回しの上、打ち首になりました。

この事件は、兄殺しという特異さと、かしくの最期が浪速っ子の話題をさらいました。処刑の日、かしくは油揚げを所望し、その油で髪を整え、遊女の矜持を示しました。そして、自らの酒癖を悔い「神霊となって酒害を絶たん」と言い残して斬首されたと伝わります。

ここから酒封じの神として「かしくの墓に手向けた手水を飲めば酒嫌いになる」と信じられるようになり、いつしか「墓石を削って飲めば断酒できる」となって、戦後まで墓石を削る人が絶えなかったそうです。

現在は、削られて細った墓石は鞘堂に覆われ、禁酒祈願に奉納された「しゃもじ」がたくさん吊り下がっています。
せっかくなので、(酒癖は悪くありませんが)丁重にお参りしておきました。

さらに歩いて御堂筋を渡り、お初天神へ向かいます。

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2017/09/01

大阪・夕日の神明

大阪に行ったついでに、曽根崎界隈を散策。

20170901a歓楽街の中に見つけた難波神明社の旧跡。

平安初期、嵯峨帝の皇子(源融公)を祀ったのが始まりで、鎌倉末期に後醍醐天皇が勅願所とし度々行幸しました。
江戸期には難波三神明(春日出、鶴町)・日本七神明(東京芝、京都松原、同東山、加賀金沢、信濃安曇、出羽湯殿山)の一つに数えられ、大阪城代や東西町奉行が替わる度に必ず参詣したそうです。

社殿が西向きだったことから「夕日の神明」の名で親しまれましたが、明治末期にキタの大火で焼失。再建されることなく、近くの露天神社に合祀されました。

周辺は昔の遊郭街で、風俗店やホテルが並んでいます。旧跡を示す石碑はきれいに手入れされ、大切に祀られていました。風俗店が名を連ねて刻まれた玉垣が面白かったです。

次は、かしく寺を訪ねます。

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2017/08/23

タイ・仏の国の輝き展

妻と一緒に、上野・東京国立博物館で開催中の「タイ~仏の国の輝き」展に行ってきました。

20170823この特別展は、日タイ修好130周年を記念した巡回展(九州→東京)です。

タイの17国立博物館が所蔵する門外不出の仏教美術コレクションを、「タイ前夜 古代の仏教世界」「スコータイ 幸福の生まれ出づる国」「アユタヤ 輝ける交易の都」「シャム 日本人の見た南方の夢」「ラタナコーシン インドラ神の宝庫」の5つのテーマに分けて紹介しています。

タイに仏教が伝わったのは、日本より早い5世紀ころ。古来のヒンズー教と融和したり、王朝の変遷(ドヴァーラヴァティー王朝(7~9世紀)→アンコール王朝(9~13世紀)→スコータイ王朝(14~15世紀))とともに王権と密接につながっていきました。強大なアユタヤ王朝(15~18世紀)は、仏法をもって国を治め、偉大な王を表した「宝冠仏陀坐像」(王族の装飾を身に纏った仏陀像)が作られたりしました。

タイは国民の95%が仏教徒だそうですが、日本の大乗仏教(他力本願)と異なり、上座仏教(自身が仏陀の教えを実践することで修行し、修行を積むほど救われる)で、仏像=仏陀像ですから如来像や菩薩像はありません。
スコータイ期の「遊行像」(歩いている仏陀像)も、日本では見ない珍しい形態で必見です。

日本にいながら、古代~近代までのタイ仏教美術を体感できる貴重な機会です。

この特別展は、8月27日(日)まで開催しています。

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2017/08/12

アルチンボルド展

妻と一緒に、上野・国立西洋美術館で開催中の「アルチンボルド展」に行ってきました。今回は下の娘も一緒です。

20170812アルチンボルド(1526-1593)は、16世紀後半にハプスブルク家の宮廷画家です。
花や野菜・魚や動物を素材に組合せ、一つの肖像画を描き上げる手法は、当時のローマ皇帝や貴族に大変気に入られたと云います(パンフレットの写真は、連作「四季」の「春」)。

ルネサンスの徹底した写実主義と、ハプスブルグ家の富と覇権がもたらした世界中の珍しい動植物・魚介類が、作風に大きく影響しています。

後世、「騙し絵」と呼ばれることも多いアルチンボルドですが、よく見ると、緻密な観察眼+優れた写実技法+斬新な感性+論理的思考が一体となり、宮廷の知識人に向けて知略的に描いた作品ばかりで、単に奇をてらった「寓意的」な絵ではないことが分かります。

この企画展は、日本で初めて、世界中からアルチンボルドの作品30点ほかを集めて展示しています。特に、代表作の連作「四季」(春・夏・秋・冬)と「四大元素」(大気・火・大地・水)が一度に見られるのは奇跡的。
展示室前のコーナー「アルチンボルド・メーカー」は、カメラ前に立つとアルチンボルド風の自画像を自動作成するギミックが面白いです。

アルチンボルド展は、9月24日(日)まで開催しています。夜間開館の時間帯(金・土)は混雑していないのでお勧めです。

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2017/08/06

船橋・旧御馬見所(空挺館)

妻と一緒に、船橋・習志野駐屯地にある旧御馬見所(空挺館)を見学。

20170806明治天皇が旧陸軍騎兵実施学校(東京・目黒)で訓練を観覧する際の天覧台として、明治44年(1911)に建てられました。

大正5年(1916)、騎兵学校は習志野原の近衛師団・騎兵旅団の駐屯地に移り、旧御馬見所も移築されました。大正天皇や皇族が卒業式を観覧する迎賓館や、皇族将校の宿舎として使われました。
戦後は、陸上自衛隊第1空挺団の駐屯地となり、昭和37年(1962)から資料館「空挺館」として活用されています。

1階は空挺団関係、2階は旧陸軍(落下傘部隊・騎兵部隊)関係を展示。個人的には、日露戦争で騎兵第一旅団長として名を馳せた秋山好古少将や、ロス五輪(昭和7年)馬術大障害飛越の金メダリスト西竹一騎兵中尉の展示が興味深かったです。

20170806b2階正面は、天皇陛下や皇族が訓練を観覧した「御立ち処」が保存されています。菊の御紋は天皇家用(十六菊)と宮家用(十五菊)が混在し、他の皇族が気兼ねなく立てるようにとの明治天皇の配慮だそうです。

「習志野」の地名は、近衛兵大演習(明治6年)を総覧した明治天皇の御製「夏草も 茂らざりけり もののふの 道怠らず ならしのの原」に因みます(「習え篠原」の説も有力)。旧御馬見所は、明治天皇と習志野原の歴史を今に伝える現存する数少ない史跡です。

駐屯地内にあるので通常公開されていませんが、年に数回、駐屯地開放デーで見学可能です(館内撮影自由)。

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2017/08/02

館山・たてやまんまち

館山のまつり(たてやまんまち)を撮影。

20170802【公式パンフレットの説明】
「その昔、各区の鎮守として祀られている神社のいわれにより、祭りの開催日は同日ではありませんでした。その後、幾度かの町村合併や更に大正3年に旧館山町(現在の青柳、上真倉、新井、下町、仲町、上町、楠見、上須賀地区)と旧豊津村(現在の沼、柏崎、宮城、笠名、大賀地区)が合併し、館山町となったのをきっかけとし、大正7年(1918)より13地区11社が8月1~2日の祭礼を合同で執り行うようになりました。
しかし、大正12年の関東大震災により、新井、下町の祀る諏訪神社、仲町、上町を祀る諏訪神社、楠見の厳島神社、上須賀の八坂神社の4社が倒壊した為、氏子の協議により4社が合祀を決め、昭和5年に館山神社として、創建することとなり、昭和7年にその神殿が完成したわけです。
それ以降、館山地区では13地区8社の合同祭礼として行われ、神輿7基、曳舟2基、山車4基がそれぞれの地区から出祭しています。」

【この日の進行スケジュール】
17:00~ 館山神社入祭(下町・仲町・上町・楠見の山車、新井・柏崎の曳舟)
18:40~ 神輿2基(上真倉・沼)の共演(館山神社付近)
19:50~ 三町(新井・上町・柏崎)曳き別れ(城山公園入口)
20:00~ 楠見・左官踊り、餅つき踊り、餅投げ(館山神社横)
20:30~ 新井・武走裸道の走り(城山公園入口~下町交差点)

【メモ】
朝から見どころが多い「たてやまんまち」。今回は二日目夜の館山神社入祭を撮影(実際の進行は、予定より1時間半遅れ)。合祀社の山車4基と新井の御舟が勢いよく境内に駆け込む。山車を拝殿ぎりぎりにつけて祭りの成功を奉告。神前から下がって他町の山車と向かい合い、エールとお囃子を交換。その後、整列して人形とお囃子を披露する。最後に柏崎・國司神社の御舟が入祭し、神前に参拝してすぐに引き返す。これを5町が見送ってから、各山車は自地区に戻って行く。新井の御舟が最後まで残り、各町と別れを惜しむ。
この日は天気が悪く、神輿や山車にビニールをかけた地区も多かった。夜の勢揃いで仲町の人形を見ることができなかったのが残念。改めてリベンジしたい。
合同祭礼で全体像がつかみにくいが、気に入った山車に終日ついて回るのもいいかも知れない。次回は日中の行事や「青柳のかっこ舞」、「仲町のぴっとこ踊り」、「楠見の天狗舞」なども見てみたい。
見物人は多く、境内を埋める。カメラマンも多数。臨時Pあり(館山小グラウンド隣)。
※詳細記事は、本宅サイト「ぐるり房総」に掲載しています。

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